SSブログ

紅葉の季節 [思うこと]

yokokura5.jpg
いよいよ11月ですね。
あちこちで紅葉の便りが聞かれるようになってきました。
桜や新緑もいいですが、紅葉もまた、なんともいえない美しさがあっていいものですね。
若い頃には、なんで葉っぱの色がかわっただけなのに、
どこがそれほどいいんだろう、なんでわざわざ遠くまで見に行くんだろうなぁって
不思議におもっていたのだけど・・
そういう自分もわざわざ紅葉見物にでかけていくように変わってきたことが、なんだかおもしろい。
きっと年齢とともに、美しいと感じるもの見たいとおもうものが変わっていくんでしょうね。

ある人によると、人がどんどんと年齢を重ねていって、最後に惹かれる対象として
行きつくところは”石”なのだそうです。
石というのは庭石のことなのかな。
今のところ、石には興味がわかないしよさもわからない。。
まだまだ経験や年齢を重ねないとよさがわからないってことなのかもしれませんね。

短く終わりそうな今年の秋
紅葉の時期が過ぎれば、もう一気に冬がやってきます。
10月中は、もっぱらスポーツの秋になってしまいましたが、やはり読書の秋がないのは淋しい。。
今年は国民読書年(ちょっと忘れられてるようにも感じるのですが・・)ということでもあるので、
そろそろ気合入れて本を読みたいと、感じているこの頃でもあります。

市立図書館で借りている本がなかなか読み終えられなくて、
同じ本を再び借りてくること数回。いいかげんに読み終えたいなぁ。
何冊もの本を同時に読みかけてるので、1冊の本がなかなか終わらない。
でも終わるときは、一気になのかもしれないけれど。
今読みかけてるのは、やはりこのところずっと読み続けている中島義道さんと川上未映子さんの本。

とりあえず、これまでに読んだ川上未映子さんの本について、次回書いておくことにします。
感想などというほどのものは書けないので、メモ程度にですが・・

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

7年目 [思うこと]

きのう10月2日は、晴香の7回目の命日でした。
あれから7年。
もう7年?・・まだ7年?
晴香のいない春や夏、秋に冬をいくつもすごしてきて
本人のいない誕生日を何回も迎えてきて・・
お盆やお正月、さまざまな行事、たくさんたくさんいろんなことがあって
だから、自分の中に、まだ7年なのかという感じはもちろんあるんだと思います。
一方で、晴香のことを思い出すときには、(意識して思いだすというより、何かの拍子に不意に思い出が向こうからやってくるという感じ)そのときの映像だけでなく、そのときの思いや感情までもがそっくりそのままに蘇ってきたりします。
だから、時間が経っているのだけど、経ってないような、
そんな感じで、どうもフツーの時間的な感覚というものがなくなってしまうようなのです。
死者と生者の関係って、地上の時間とはちがうところで繋がってるんでしょうね、きっと。

昨年のこの日は雨だったけれど、今年は晴天
雲ひとつない青空とはいえなかったけれど、朝から明るい陽ざしに、
日中はちょっと暑いくらいのよいお天気でした。
やはり雨や曇りよりも、晴天のほうが晴香のイメージに合います。

以前は命日が近づいてくる何日も前から
もうすぐだなぁっと思いながら、なんとなく落ち着かないような気分だったのですが
今回は、自分でも不思議なくらい穏やかにすごし、
夕方には、東レパンパシフィックオープンテニス決勝戦を、普段通りな感じで見たり。
穏やかにフツーにすごせるようになったことは、いいことなのだろうけれど、
それはそれで、なんとなく後ろめたいような気もしたり、複雑ではありますが。
でも、もうあと何年か後には、そういう気持ちも起きなくなるのかもしれません。

最初のころは、1年、2年、3年・・・過ぎるにつれ、
だんだんと、一緒に過ごした日々が遠ざかっていくような、晴香と離れていくような
淋しい気持ちになっていました。
もちろん、今でもそういう淋しさはあるのですが。
ただ、このごろはむしろ、だんだんと離れていくというより、
少しずつ晴香のところに近づいているような感じもしています。
平均寿命からいったら、まだまだこんな感覚を抱くのはおかしいのかもしれないけれど。
いつどうなるかわからないということを考えれば、自分も晴香に近いところにいるんだ
という気持ちになってきます。
世の中の、生きている間がすべて、死んだらおしまい、だから生きるためには手段も選ばず・・
的な雰囲気になんとなく違和感を覚えるこのごろ。
今生きているものも、たまたま奇跡的に生きているのであって
いつかかならず同じところへ行くのだということを考えれば、
死んでいったものとそれほど違いのないものであると言えるのかもしれません。
みんな死ぬ、いつか必ず。もちろん私も。
それまで、束の間、この世でのあれこれをもう少し楽しんでみるのもいいかな。
晴ちゃん、もうちょっとだね、また逢えるまで。

nice!(0)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

夏の終わりに [思うこと]

全国的な猛暑に見舞われた今年の夏。
お盆のあたりまでは、夏だから仕方ないとまだまだ頑張れていたのですが
お盆を過ぎてからのあきれるような暑さ、
9月に入ってからの、追い打ちをかけるような暑さには、ほとほと参りました。
もうほんとに、参りましたと観念して、あきらめるより仕方がなかったのですが、
それでも、昼間エアコンで凌げたり、暑いといいながらも汗をダラダラ流しながら、走りまわるエネルギーのあった自分なんかはまだいい方で。。
闘病中の方や、抵抗力の弱った高齢の方、あるいは連日炎天下や冷房のないところでお仕事された方などは、ほんとうに厳しい日々を送られたことでしょうね。
今日の雨で、グンと気温が下がってきたから、これでやっと
日本列島お騒がせし、多くの人が多大な迷惑を被った猛暑も
終りを告げたようですね。やれやれ~。

心配していた実家お隣の”ゴンちゃん”は、やはりこの夏を乗り切ることができませんでした。
お盆もちょっと前の頃だったとか。
それまでにも、”ゴンちゃんが死んだ!”騒動があったらしい。
もう目も見えなく、考える力もなくなっていたのか、あるいは暑さで朦朧となっていたためなのか
道路の真ん中に、ゴンちゃんがフラフラっと出てきて、灼熱のアスファルトの上にペタンと寝ころんでしまっているところを、姪が発見。もうゴンちゃんが死んじゃった、と思いこんだ姪が、慌てたということが1度か2度あったとか。ゴンちゃんは無事保護されて、事なきを得たとのことだったのだけど。
それにしても、真夏のアスファルトの上に意識朦朧でへたり込んでいたとは、
そのころには、もうすでにゴンちゃんは、半分生死の間を彷徨っていたのかもしれません。
最後の数年は、老衰のためにいろいろな機能がうまく働かず、苦しい思いをしていたようですが、今は痛みや苦しみから解放されて、自由に走り回っているのかもしれません。

夏の始めころから読みかけていた本数冊。
9月に入ってから、市立図書館で借りて読んだ本が数冊。
暑さのために、夜はヘタってしまいなかなか読めなかったのですが
それでも、ぼちぼちと読み進め、中島義道さんの本を3冊、
川上未映子さんの本を3冊、そのほかにも数冊。
こちらに書き留めておこうと思いつつも、暑さのためなのかなんなのかわからないけど
まったく書くことができずにいました。
不思議なもので、書き出すとあれもこれもと書きたい気分が溢れてくることがある一方で
しばらくの間書かないでいると、なぜかなかなか書けなくなってしまったりもするのです。
書かずにいられない・・という時期もあったのに、少しずつ変わってきてるのかなぁという思いもしています。
そうかといって、じゃあこのブログもう終わりにしようという決断もできなくて。
なんとなく終りのような終りでないような・・きっとこうやってだんだんと、ほそぼそきれぎれになって
終末に向かっていくのかもしれません。それもまたいいのかも、すべては自然のままで。。

最近読んだ本について、書く機会があったら、そのときにまた。

若葉の季節 [思うこと]

いつの間にか桜の花も散り、あたりの山や木々、いたるところ新緑が眩しくなってきました。
薄ピンク色から、緑や黄緑色へと、風景も一変。
桜の季節もいいですが、この若葉の季節もまたいいものですね。

桜の季節にはなんとなく感傷的な気分になるのですが、
この若葉の季節になると、気持ちも伸びやかで明るくなってくるようです。
ほんの1か月あまり、短い間のことなのに、風景も気持ちも変わっていくことが、
なにか不思議に思われます。
この季節には、どうしてこんなにも心地よい気分になってくるのだろうか。
若葉の緑と空の青さのコントラスト
穏やかな気候、爽やかな風、あかるい陽のひかり
そういったもろもろが、きっと影響してるのだろうけど。。

池田さんは、「暮らしの哲学」の中で、若葉の季節にも触れられていますね。
この季節、我々が気持ち良いと感じ心浮き立つのは、つまりそれが「生命」だからなのだと。
自分自身が若さのただ中にあるときには、生命として漲っていたから、だから気づかなかったけれど、
若さを失いつつある年齢になって、この当たり前に気がついたのだとも。

私も池田さんと同世代であるわけですから、
このように、季節に対していろいろなことを感じるようになったのは、やはり年を経たせいでもあるのでしょう。
池田さんは、また次のようにも書いてみえます。


「・・・これはコスモロジーです。季節を感じるということは、宇宙(コスモス)を感じるということに他ならない。木々を芽吹かせる生命の力は、宇宙を満たしているその力だ。ビルの谷間のアスファルトの隙間からでさえ、春には草が伸びてくる。今さらながら、そこにはなんと玄妙な力が働いていることか。
桜の花にはその満開にこそ、人は死の影を見ますが、木々の若葉に死を見る人はいません。それは、桜においては、冬と春、我々の死と生が交差するからなのですが、若葉から新緑そして万緑へと、そこには再生して萌え上がる生命の力を見るばかりだからだ。・・・」  ー暮らしの哲学ー「生命」の漲る季節より


年とともに生命力も衰えつつあるこのごろ
若葉を眺め、その萌え上がる生命をイメージし、
自分のなかにも、活力を蘇らせていきたいものです。生命力の再生・・ムリカナ?


「暮らしの哲学」は、何度読んでもいいですね。
季節感たっぷり。2度3度読んでも、また新たな発見があったり。。
ずっと傍らに置いておきたい本です。
ところで、池田さんの本といえば、しばらく図書館で何冊か借りて読んでいたのですが
「君自身に還れ 知と信を巡る対話」を最後に小休止しています。
「君自身に・・」は、池田さんと浄土真宗の学者大峯顯氏との対談集
池田さん対談集は以前の「オン!」もそうだったけど、なかなか深みがあり読みごたえがありますね。
対談相手の方の言葉もなかなかすごい。
さすがに「本物の学者」と池田さんがおっしゃるだけあります。
浄土真宗のみならず、カントやヘーゲル、キルケゴールなど西洋哲学にも触れられたりして、難しい部分もたしかにありますが・・
一度読んで終り、じゃなくて、いつかまたもう一度読んでみたいです。

今はBOOK OFFで買い込んだ本が何冊か(「聖徳太子」や名作漫画シリーズや茂木健一郎さんの脳シリーズなど)、机の上に山積みになっています。
最近読んだのは、池田理代子さんの(池田ちがいですが・・^^;)「聖徳太子」日本書紀の聖徳太子像にわりと近いものだとか。コミックといえども、なかなか感動的でした^^
聖徳太子のような、庶民のことを何よりも考えて政治を行ってくれる心あたたかな、知と徳を兼ね備えた優れた指導者が、現代にもいたらいいのに・・とつくづく思いました。。

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

今年の桜 [思うこと]

このところ、暖かくなったとおもったら急に真冬並みに寒くなったりと
とても寒暖の差が激しいですね。
なんとなく体調がすぐれないのは、このおかしな気候のせいなのかも。

3月に入ってから、いったん暖かくなったあと、しばらく気温が低い日が続いたのですが
そのせいなのか、今年は桜の花が咲き始めてから満開になるまで
例年よりも長くかかったようです。
それだけ何日か桜の花を楽しめたというわけですね。
それに、いつもの年以上に桜の花が美しく思われたのですが、
そう感じたのは私だけなのかな?

飛騨地方は、これから満開を迎えるようですが、このあたりの桜はもう大半散ってしまい
今年の桜はほとんど終りのようです。
わずか10日ほど前には、満開に咲いていたのに、儚いものです。

sakura6.jpg

しかし、もし桜の花が、もっともっと長く咲き続けていたとしたら・・・
果たして、私たちは桜の花に、これほどまでに惹かれるものでしょうか。

『道元「禅」の言葉』(境野勝悟著)という本の中に、こんなことが書かれてありました。

桜の花を眺めても、しみじみと心に感激をおぼえないのは、この美しい花も、すぐ、散ってしまうと思わないからだ。あっという間に、いさぎよく散ってしまうからこそ、桜の花に思いが込められるのである。
「無常」つまり、いつまでも存在しないで、いつか、必ず散る。すぐ散ってしまうからこそ、花は美しいのだ。
今の一瞬だけを咲いていることが、いかにも尊く思われるのだ。
人間も、花と同じように、この世に生まれてきたら、だれもが、死ぬ。やがては、必ず死ぬ命だからこそ、いま、生きていることが、限りなくありがたいのだ。・・・・・
(志の至らざることは無常を思わざるに依るなり<正法眼蔵随聞記>の言葉の解説部分よりp57)


最初にこの本を見たとき、池田さんを感じ(どなただったか忘れたけれど池田さんの対談相手が、池田さんの考えが道元のそれに似ているとおっしゃっていたことを思いだして・・)、興味を覚えました。
実際に読んでいて、池田さんに通じるなぁと思われるところも、そこここに。。
とくに桜といえば、池田さんの「暮らしの哲学」を、どうしても思いだしてしまいます。
満開に咲く桜をみて、帰らぬ日々を思い「痛み」を感じてしまう、それはまさに自分自身であったから。
だから、強烈に印象に残っているのかもしれません。

痛くて、まともにみることができなかった桜。
でも、6年が過ぎ、自分の気持ちは少しずつ変わってきているようです。
今年は、何度か桜の花を見に出かけました。
心を掻き毟られるような激しい「痛み」にはもう苦しめられませんでした。
今の一瞬を懸命に咲く桜、穏やかな気持ちで眺めている自分がいました。

時間だけが、気持ちを変えさせたというわけではないのかもしれません。
でも、6年が過ぎ、変わってきているものも、たしかにあるようです。

nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

雨の命日 [思うこと]

今日は、晴香の6回目の命日
朝から夜まで、ずっと雨が降り続き、晴香の命日らしからぬ一日でした。
これまで、毎年のように、この日はすばらしい秋晴れになっていたのですが。。

昨年の今日も・・・
aozora2.jpg

おととしのこの日も・・
aozora.jpg

真っ青な空は、晴香のイメージにぴったり
なのに今日は、青空の欠片も見ることができなく、残念でした。

それでも、午前中、私の両親と姪が来てくれ
午後からは中学のときの担任だった先生が、わざわざお参りに来てくださいました。
数日前にもNさんTさん母子が訪ねてくださったり。。
幸せ者ですね、母も子も。。感謝の気持ちでいっぱいです。


少し前に県立図書館で、本を数冊借りてきました。
その中の一冊が、「亡き子へ~死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言」若林一美編 
これは、「ちいさな風の会」という、子どもを亡くした親の会の文集に寄せられた、1200以上の
エッセイから80余編を収録したもの

こういった手記集のような類の本は、ここのところ読んでいなかったのですが
晴香の命日も近いということで、読んでみようという気持ちになったのかもしれません。

お子さんを亡くされてまだ数カ月、という方の文章からは
悲しみや苦しみの気持ちが生々しく伝わってきて
自分自身の当時の記憶が蘇ってくるようで、読みながらつい涙してしまいます。

それでも、1年、3年、6年・・・と、気持ちは微妙に変わっていくのだということ
時間というのは、人の心を少しずつ癒していくようです。
胸が張り裂けるような悲しみに日々悩まされることもしだいになくなり
普通に毎日を過ごし、笑い、楽しむことができるようになる一方で
それはそれで、なんとなく淋しくまた後ろめたくも、思えてしまう。
現実の世界に我が子がいないことに慣れ、いないことが普通になり
いっしょに過ごしたときのことが、まるで夢の世界のできごとであったかのように思えてくる・・
そんな複雑な気持ちや不思議な感覚は、経験した者にしかわからないのかもしれません。

いろいろ共感した中でも、とくに伊藤忠男さんの書かれた文がとても心に残りました。
「十年」というタイトルが付けられたその文章は、今の自分の心境と、よく似ているように思えます。
最後の部分だけ、少し引用させてもらいます。

『・・・子どもを亡くしてからは人生設計というものを考えたことはありません。
毎年毎年が生きられればいい、いや一日を大切に生きたい、
一生懸命に、頑張って生きるのではなく、その時その時を自分の気持ちに素直に生きたいと思う。
子どもはいつも心の中に生きている、自分に生ある限りこの子を思ってやりたい。』

今日でちょうど6年。
来年、再来年・・・そして10年、20年後の自分は、どんな思いでいるのだろうか。
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

もうすぐ七回忌 [思うこと]

長い長い梅雨が明けて、ようやく夏らしい夏がやってきたかとおもっていたら
今度は台風の接近で、再びの大雨。
今夜から明日の朝にかけて、かなりの雨が降るらしい。
もうすぐお盆だというのに、もうこのまま夏は終わってしまうのでしょうか。

予報では、14日以降の天気はまずまずのようですが・・・
どんなお天気になるのか、気になるところです。
というのも、お盆は毎年、菩提寺と御先祖のお墓がある山岡に、出かけていくからです。
空家にしている家の掃除、布団干し、山の木を切り、家の周りの雑草をとって、お墓の掃除をして。。
なので、なんとしても天気が良くなってもらわないと、困るのです。

今年は、15日から17日までの3日間を、あちらで過ごし
真ん中の16日にお寺にて、極近しい身内だけで晴香の七回忌をする予定でいます。
晴香の命日は10月2日なので、日にち的にはちょっと早めの法要ということになるのでしょうが。
お寺さん曰く、「命日より後はいけないけれど、前というのはかまわない」のだそうです。

3回忌のときに、納骨をするべきかどうか少し迷ったのだけど
結局決断はできませんでした。
そのときに、「七回忌のときになったら、思いきりがつくのではないだろうか。」
とおもったのですが、今七回忌直前になっても、三回忌のころの気持ちと
ほとんど変わることはなく、納骨する決断はやはりできていません。
そろそろした方がいいかな、と思う気持ちもどこかにあるのですが
遠くてお墓参りになかなか行けない、ということがやはり一番ひっかかっているようです。

昨日、テレビで最近のお墓事情と供養のことを放送していました。
このごろは、お墓にこだわらない人が少しずつ増えてきているそうで
お墓を買わずに、遺骨から石のように固めたものをつくり、それに名前などを刻み
家のなかで供養するという手元供養や、粉末にしたものを海や山に撒くという散骨をする人も増えてきているのだそうです。
また、遺骨からペンダントを作ることもできるらしい。
私自身は、遺骨そのものには、それほど執着はないつもりだし、そういうことをしてみようとは考えたことはありません。
執着はないつもり。。でも、納骨したならばお墓参りにちょくちょくいってあげないと・・・
と、いつまでたっても堂々巡り。
6年後の十三回忌になっても、結局また同じようなことになっているのだろうか。

それでも、私のまわりには納骨をせかすようなことを言う人は、一人もいない。
気が済むまで置いておけばいいのでは・・と、身近な人もお寺さんも言ってくださる。
まわりのみなさんが、温かく見守っていてくださるということ、ほんとうにありがたいことです。

nice!(0)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

生きる権利自然に死ぬ権利 [思うこと]

先日、福岡大で入院中の60代男性患者の人工心肺装置を止め、延命治療を中止したというニュースが報道されました。→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090226-00000043-san-soci

こういうニュースを聞くといつも晴香が入院していた病棟のことを思い出します。
正確に言うと、病棟に入院していた多くの患者さんたち
中でも人工呼吸器を装着し、水分と栄養点滴で命を繋いでいる患者さんたち
そのほとんどは高齢の方だったように思いますが
中にはまだ若い女性の方もいらっしゃいました。
晴香が入院していた病棟は脳神経外科と心臓循環器関係。
だからほとんどは大人、それも高齢の患者さんが多かったように覚えています。


終末期医療関係のリンクをたどって読んでいたら、こんなページを見つけました。

救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)について→http://www.jaam.jp/html/info/info-20071116.htm

平成19年に、このガイドラインが作られたようです。
ときに命の切り捨てといわれたりもする尊厳死について
以前から問題になっていましたが、このようなガイドラインができていたのですね。
関心をもっていながら、具体的な内容について文章を最初から読んだのは初めてでした。

数年前どこかの病院で、終末期の患者さんの人工呼吸器を外したことで担当医が罪に問われたことがあったとおもうのですが、その時
「生きる権利はあるのに自然に死ぬ権利はないのだろうか」
と思った記憶があります。
尊厳死は”命の切り捨てだ”っていう人がいるけど
体は生きるのをやめようとしているのに、機械の力で、無理やり生かされる・・・
いろいろな場合があるから一概に言えないかもしれないけど
これが、本人あるいは家族が望まないことであるなら
自然に死ぬ権利があってもいいのではないのか。
当時そんなことを感じていました。

晴香が入院していたのは、今から6年ほどまえのことですから
当時はこのようなガイドラインはまだなかったわけで
だから一度人工呼吸器を装着したら、途中ではずすことはできなく・・・
まだそういう時期だったとおもいます。

晴香が最後の手術を受けたあとのことは
このブログやHPの「晴香との思い出の記録」にも書いてないのですが・・・
(というか、辛くて書けないでいたのですが)今日は、最後のころのこと、少しだけ書こうとおもいます。

晴香は、手術のあとしばらくしてから高熱が続くようになり、話すことも意思表示することもできなくなってしまい
最後には、呼吸もどんどん弱くなっていってしました。
担当医からは、「いつなにが起きるかわからない状態」
と言われ、さらにはもしものときには人工呼吸器をつけるかどうかの選択を迫られました。
私たちの選んだのは「No」でした。それは、
手術後しばらくしてから毎日のように高熱が出て「苦しい」とも「痛い」ともいえないわが子を見続けていたから
意思表示はできないけれど、もしかしたら痛みや苦しみは感じていたのかもしれない
それだったら、人工呼吸器で生きさせ続けることは、晴香にとって苦痛でしかないだろう
もう充分に苦しんで病気と闘ってきたんだから、これ以上を望むのはもはや親のエゴでしかない
助かる望みも他の治療ももはや望めないのであれば、自然のままに逝かせてやりたい
そう思ったから。
当時は今から5年半ほど前になるので、まだこのガイドラインができていなかったことになります。
晴香のように、病気が徐々に進行していったような場合とちがって
救急で運ばれて、突然にこのような状況になった場合は、おそらく違った選択をすることが多いのではないかとおもわれます。
また、あのときの担当医は「病気の場合でも、子供さんの場合はつけられることが多いです」
とおっしゃっていました。
あのころだったら、一度人工呼吸器をつけたら途中ではずすことができなかったのですね。
最初は呼吸器をつけたものの、途中で事態がわかってきたり、気持ちがかわったりしてはずしてほしくなってもできなかったということ
最初につけるかどうかの選択はできても、途中ではできない・・・なんかヘンだと感じるのは自分だけなのだろうか。

人工呼吸器をはずすことの選択
もちろん、いろいろな場合があるだろうし、人それぞれに死生観もちがうだろうから
すべてをこうすべきと決めることはできないのでしょう。
でも、いろいろな人やいろいろな場合があるように、いろいろな選択があってもいいのではないかと思います。
上のニュースを読む限りは、まだガイドラインも十分でない(あるいは理解が進んでいない)?!ようだけど
もっとガイドラインが浸透して、よりよい選択が可能になるといいとおもいます。
nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

夢であえたけど・・・ [思うこと]

急に寒くなってきました。
気温も低くなったけど、風が強いせいか気温以上に寒く感じられます。
高山では、今朝雪が降ったらしい。
いよいよ冬将軍到来といったところでしょうか。

きのう、日記書こうと思いつつも結局書かずじまいになってしまいました。
最近、どうも疲れやすくて、
特に夜はパソコンの前に向かっても、ほとんどなにも書くことができない。
ちらちらっとあちこちみてまわって、そのうちにねむくなってしまう。
もう年なんでしょうか。

ところで、一昨日の夜、
ひさ~しぶりに、晴香が夢にでてきてくれました(^^)
年のころは小学3年生くらい。
一緒に列車に乗るところだったのに、
途中で晴香がいなくなってしまい、必死になって探しているうちに
目が覚めてしまいました。
すっかり、日常生活に埋没して、晴香のことをじっくりと考えて
どーんと落ち込んだりすることも少なくなったこのごろだけど
なんとなくそういう自分がさみしくおもえたり
数日前にも、もうずっと晴香にあってないんだなぁ。。とか考えていたから
だからこういう夢をみたんだろうか。
夢の中でも、晴香のことをさがし、結局あうことができず
現実と同じなんだなと夢がさめてからも、さみしさがのこりました。

晴香を亡くしてから5年がすぎた今、
1年目や2年目のころのような、激しい悲しみはなくなったものの
それはそれで、さみしいような、親として薄情なような、
そんな風に感じて、ちょっと複雑な気持ちにもなったりしてます。
nice!(0)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

きのうで5年になりました [思うこと]

きのう10月2日は、晴香の5回目の命日
当初の予報では、台風の影響で2日は雨か曇りになるだろうとのことでした。

晴香って、名前のせいなのか、晴香本人の雰囲気のせいなのか
私の中には、晴香といえば、曇天よりも晴れた青空が似合うというイメージがあります。
そのためか、命日に台風とか雨とか嵐になるなんて
なんとなく似合わないなぁ、イメージとちがうなぁっておもってました。

そしたら、きのうは、ここ何日間かなかったようなすばらしい秋晴れになりました。
ほんとに、久しぶりのいい天気。
「やっぱり、晴れたなぁ」って、おもわず心の中で呟いてました。

家の中から撮った画像
030.JPG
北側の風景~遠くにみえるのは金崋山と岐阜城
昨年まったく同じ場面を撮ってました→http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2007-10-02
まさに、雲ひとつない秋晴れ。

午後から、両親が
夜に、晴香の同級生だった子が、おまいりに来てくださいました。
ほかにも、メールやお手紙をくださったかた
声をかけてくださったかた
5年も経つのに、この日のことを今も覚えていてくださって、ほんとうにありがたいことです。


夜きてくれた晴香の同級生が語ってくれた言葉

「晴香さんのことは、当時の自分にとってもとても衝撃だった。
今も忘れられない。
あれから、時間というものが大切なんだとおもうようになった。
よく自殺する人がいるけど、そういうのはどうかと・・・」

晴香のことで、こんなにも真剣に考えてくれたのかとおもうと
ほんとにうれしかった。
命の大切さや儚さ、今というときの大切さを、わずか15歳にして
感じてくれたんだなと。

やっぱり、晴香は今もみんなの心の中で生きていてくれるんだなぁ。

032.JPG
ありがとう・・


nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。