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「遠野物語」~日本人が失った大切なもの~ [柳田國男]

今年に入ってから、「遠野物語」について取り上げられた、テレビ番組や新聞のコラムを、何度か目にします。偶然なのかと思っていたら、今年は「遠野物語」発刊100周年なのですね。

1か月か2ヶ月ほど前だったか、(たしか・・)NHKだったと思うけど、水木しげるさんが、「遠野物語」の舞台である岩手県遠野地方を、訪ね歩くという番組が、放送されていました。
水木さんといえば、「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親ですから、鬼太郎や目玉おやじなども登場(?)していました。

遠野物語と聞いて、真っ先に思い出すのは、座敷わらしの伝承。
番組の中では、他にも、河童や山の神、「オシラサマ」などさまざまな神さま、姥捨て伝説など、
映像や語りを交えながら、詳しく取り上げられていました。
番組の中で映し出されていた、のどかな遠野地方の風景は、物語の中で描かれている神秘的なイメージを壊すことなく、むしろ古くから伝わる神さまや妖怪、精霊、動物たちなどが今もそこここにいるような、そんな雰囲気さえ醸し出していました。

「遠野物語」は民俗学の父と称される柳田國男氏により書かれたものですが、
この作品は、遠野出身の佐々木喜善の話を、聞きとる形で生まれたのだそうです。
そして、この佐々木喜善は、宮沢賢治や石川啄木とも交流があったのだという。
宮沢賢治も、「自然」や「動物」を元にした作品を多く残していますから、
もしかしたら、お互いにどこかで影響し合っていたのかもしれませんね。
「ヤナギダクニオ」といえば、柳田邦男を思い起こしますが、
私は、何年か前まで、こちらの柳田氏のことをあまり詳しく知りませんでした。
それで、*「ヤナギダクニオ」といえば、民俗学者の柳田國男を思い浮かべていました。
同じ作家で(分野は違いますが)同姓同名というのも珍しいですね。


テレビ番組もなかなか興味深かったのですが、つい最近
地元新聞のサンデー特別版に、「遠野物語」のことが、見開き2ページにわたって詳しく取り上げられていました。
物語の主役たちについて、絵入り、地図入りで、とてもわかりやすく説明されていました。
この特集の中に載せられていた、民族学者である谷川健一氏の文章、「日本人が失った大切なもの」には、次のようなことが書かれていました。



・・・・・・・・(略)・・・・・・・私はかつて民俗学を定義して「神と人間と動物の交渉の学」といったことがあるが、それにはまさしく「遠野物語」の世界があてはまる。・・・・・・(略)・・・・・・・・「遠野物語」の世界には、人間以外のものとの共存、交流することで得られた豊かさがあった。しかし日本人は神を忘れ、妖怪を忌み、獣たちを遠ざけた。柳田國男が世を去ったのは1962年で、日本が高度経済成長期に入る直前であった。その後、日本の社会は経済や技術の面で大きな進歩を遂げるが、引き換えに何かを失った。私たちは柳田國男という存在をかつて必要としたし、今も、これからもきっと必要とすると思う。私たちが失った大切なものは何か。それを知るために、「遠野物語」がある。
(中日新聞7月4日付サンデー版 日本民俗学の金字塔発刊100年 遠野物語より)



今年に入ってから、何度も遠野物語という言葉を目にしたり耳にしたりするのは
もちろん100周年ということがあるからなのでしょうが、
もしかしたら、それだけではない何か、谷川氏のおっしゃっているような何か、
私たちが失った大切なものが何か、そういったものを知るためにも「遠野物語」が
注目を集めているのかもしれませんね。なんとなくそんな風にもおもえてきます。



*柳田國男氏は「ヤナギダクニオ」ではなく、「ヤナギタクニオ」が正しいようです。
「ダ」と「タ」の違いですね。遅ればせながら、訂正しておきます。


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