SSブログ

今年の桜 [思うこと]

このところ、暖かくなったとおもったら急に真冬並みに寒くなったりと
とても寒暖の差が激しいですね。
なんとなく体調がすぐれないのは、このおかしな気候のせいなのかも。

3月に入ってから、いったん暖かくなったあと、しばらく気温が低い日が続いたのですが
そのせいなのか、今年は桜の花が咲き始めてから満開になるまで
例年よりも長くかかったようです。
それだけ何日か桜の花を楽しめたというわけですね。
それに、いつもの年以上に桜の花が美しく思われたのですが、
そう感じたのは私だけなのかな?

飛騨地方は、これから満開を迎えるようですが、このあたりの桜はもう大半散ってしまい
今年の桜はほとんど終りのようです。
わずか10日ほど前には、満開に咲いていたのに、儚いものです。

sakura6.jpg

しかし、もし桜の花が、もっともっと長く咲き続けていたとしたら・・・
果たして、私たちは桜の花に、これほどまでに惹かれるものでしょうか。

『道元「禅」の言葉』(境野勝悟著)という本の中に、こんなことが書かれてありました。

桜の花を眺めても、しみじみと心に感激をおぼえないのは、この美しい花も、すぐ、散ってしまうと思わないからだ。あっという間に、いさぎよく散ってしまうからこそ、桜の花に思いが込められるのである。
「無常」つまり、いつまでも存在しないで、いつか、必ず散る。すぐ散ってしまうからこそ、花は美しいのだ。
今の一瞬だけを咲いていることが、いかにも尊く思われるのだ。
人間も、花と同じように、この世に生まれてきたら、だれもが、死ぬ。やがては、必ず死ぬ命だからこそ、いま、生きていることが、限りなくありがたいのだ。・・・・・
(志の至らざることは無常を思わざるに依るなり<正法眼蔵随聞記>の言葉の解説部分よりp57)


最初にこの本を見たとき、池田さんを感じ(どなただったか忘れたけれど池田さんの対談相手が、池田さんの考えが道元のそれに似ているとおっしゃっていたことを思いだして・・)、興味を覚えました。
実際に読んでいて、池田さんに通じるなぁと思われるところも、そこここに。。
とくに桜といえば、池田さんの「暮らしの哲学」を、どうしても思いだしてしまいます。
満開に咲く桜をみて、帰らぬ日々を思い「痛み」を感じてしまう、それはまさに自分自身であったから。
だから、強烈に印象に残っているのかもしれません。

痛くて、まともにみることができなかった桜。
でも、6年が過ぎ、自分の気持ちは少しずつ変わってきているようです。
今年は、何度か桜の花を見に出かけました。
心を掻き毟られるような激しい「痛み」にはもう苦しめられませんでした。
今の一瞬を懸命に咲く桜、穏やかな気持ちで眺めている自分がいました。

時間だけが、気持ちを変えさせたというわけではないのかもしれません。
でも、6年が過ぎ、変わってきているものも、たしかにあるようです。

nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 4

E・G

はるママさん

体調を崩されたとのことですが、現在お加減いかがでしょうか?
ぼくも、ジェットコースターのような天候のせいか、風邪気味です。
そういえば、テレビで桜の花に雪が降り積もっている映像を見ましたが、何か不思議な感じがしました。

一瞬のいのちだからこそ、いとおしい。
すべてのひとが互いにそう思い合うことができたら、どんなに素晴らしい世の中になることでしょうね。その時ひとは一瞬のなかに永遠を発見するのかもしれません。

池田さんの言葉・・

感傷とは、失われた時への愛情だと思っていた。しかし、これは正確ではない。むしろそれは、決して失われることのないものへの驚きと畏れなのだ。

一瞬のいのちを深く感じること・・・そこに愛が現れるのだと思います。
決して失われることのないものとして。






by E・G (2010-04-17 23:53) 

はるママ

E・Gさん、こんばんは。
こちらでは、今日はひさしぶりに穏やかで暖かな一日でしたが
そちらのお天気はどうでしたか?
明日からは、もう少し暖かくなるとのことですから、
風邪もすっきり治るといいですね。

私の方は、なんとなく頭がちょっと痛いとかいったくらいで
それほど重症ではなかったのですが、それも
娘といっしょに数日、灸(自宅でせんねん灸・・)をやってみたところ、かなり良くなってきました。
東洋医学もなかなかですね。


>その時ひとは一瞬のなかに永遠を発見するのかもしれません。

桜に惹かれるのは、一瞬に咲く花を見て
その中に自分自身の姿をも見ているからなのかもしれませんね。
限りある命だからこそ尊い、そしていとおしい。
ほんとうにすべての人がそう思えたら、どんなにか温かく素敵な世の中になることでしょう。

PS. 
この言葉から、プルーストの「失われた時を求めて」を思いだしてしまいました。
マドレーヌを口にした時、一瞬にして過去の記憶が蘇る・・
過去現在未来のすべてが繋がり、時空を超えた存在に・・
原作を読んだわけではないので(原作はあまりにも長いので漫画で・・(^^;))、もしかしたら関係ないかもしれませんが。。
ちなみに、「カラマーゾフの兄弟」も同じころに漫画本で読みました。
こちらは、いつかぜひ原作を読んでみたいと思ってますが・・
「カラマーゾフの兄弟」は、小林秀雄も絶賛してましたね^^

by はるママ (2010-04-18 23:53) 

あきおパパ

はるママさん、こんばんは~♪
東京も殆ど葉桜になってしまいましたが、冬の寒さが日替わりでやってきます。
風邪を引いている同僚も多いので、体調には気をつけてくださいね。
とにかく睡眠を十分にとることと、寒さに身をさらさないことが肝心です。

さて、池田さんの「暮らしの哲学」。冒頭のエッセイにある「来年の櫻は見られるだろうか」ということばが、とても強烈ですよね。でも今の私にはとてもよくわかります。今年限りかも知れないと思うからこそ、今を精いっぱい誠実に生きたいと思えるのかもしれません。

櫻を見ると、やはり晴香さんとの思い出が心を駆け巡りますよね。
楽しい思いで、嬉しい思い出、暖かい思い出だけ、残してくださいね。
いつも空から笑顔でみていてくれているはずです。
そしていつも心の中に、いてくれるはずですから。

ではまた~♪
by あきおパパ (2010-04-20 01:02) 

はるママ

あきおパパさん、きのうは久しぶりにこの時期らしい暖かさになりましたが
今日はまたまた雨模様の肌寒い日になりましたね。
その後、体調はいかがでしょうか。
いろいろとお忙しいご様子ですが、どうぞ頑張りすぎて無理なさらないように。

>冒頭のエッセイにある「来年の櫻は見られるだろうか」ということば

とても印象に残る言葉ですね。
私自身、闘病中の晴香と共に桜道を散歩しながら、
「来年の桜をいっしょに見ることができるのだろうか・・」と考えていましたから。
満開の桜をみると、そのときそのままの気持ちがそっくり蘇ってきて、戸惑うこともしばしばありました。
それでも、この頃では、そういうことも少なくなってきましたが。
かといって、そういう気持ちをすっかり忘れてしまったというのとは違うようで・・
心の奥にしまいこんであるようなのです。

今はこちら側にいる私たちも、いずれは同じところにいくわけですから
そう考えたら、悲しみに浸ってばかりはいられないですね。

by はるママ (2010-04-20 11:58) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

「私とは何か」若葉の季節 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。