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「パエトーン」 [本(その他)]

山岸涼子さんの「パエトーン」、原発事故の後からネット上で随分と話題になっていたようですね。
山岸さんの作品では、学生の頃に読んだ「アラベスク」、
そして最近になって読んだ「日出処の天子」などくらいしかよく知らなかったのですが、
このような作品を、20年以上も前に書かれていたのですね、驚きました。
なんとかして、作品を手に入れて読んでみようと思っていたのですが、
すでに「パエトーン」が収録されたものは多く絶版になっているようです。
しかし、昨日電子書籍にてやっと読むことができました。
3月の末あたりからネット上で無料公開されていたのですね。
以下、その件に関するニュースより

asahi.comニュース
「原発是非問う漫画「パエトーン」、電子書籍で無料公開」記事より
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 漫画家の山岸凉子さんが、チェルノブイリ原子力発電所の事故後に原発の是非を問うた作品「パエトーン」を、電子書籍の形で無料公開している。福島の原発事故直後、ネット上で話題になったのがきっかけ。先月25日の公開以来、15万回以上読まれている。

 チェルノブイリ事故から2年後の1988年に発表した。ギリシャ神話に出てくる高慢な少年パエトーンは、太陽神の日輪の馬車を暴走させ、あわや地球を焼き尽くしそうになる。
 作品はこのパエトーンを、原子力を制御できると信じる人間に重ねて描く。さらに原発の仕組みや日本の原発分布、日本で事故が起きた場合の影響などを、図入りで説明している。

 公開した潮出版社によると、福島の事故直後、ネット上で「まさにパエトーンの状態だ」と話題になり、山岸さんに知らせると、「ぜひ無料公開したい」と返事があったという。
 チェルノブイリ事故後、山岸さんは原発について本で学び、「今、日本で起きてもおかしくない」と危機感を覚えたという。
 「原発は、ひとたび事故が起きれば人間の力で制御できないほどのエネルギーを持つ。メリットに対するリスクが大きすぎ、25年前と危険は少しも変わっていない。原発について、一人でも多くの人に考えてもらいたい」と話す。
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作品の前半部分は、ギリシャ神話にでてくる「パエトーン」についての物語

太陽神アポロの日輪の馬車を、人間の身でありながら操ろうとし、
あげく広大な土地と人々を焼き払うことになってしまった、愚かなパエトーン
神をも超えられるとおもったのか、と人間であるパエトーンの
思慮浅さと傲慢さに対する批判は当然のこととして。。
私は、太陽神アポロが、人間には操ることができないことを知っていながら、
なぜパエトーンに「日輪」を貸し与えてしまったのか、不思議に思えてしまうのです。
もしも操ることができなくなったら、その時にはどうなるのか・・
アポロは知っていたのであろうに。
パエトーンの懇願に負けてしまったということなのでしょうか。

神でさえも御することの難しいものを操ることができると思い込んだ人間の傲慢さ
その危険性を知りながら誘惑に勝てずに許してしまう人間の弱さ、
漫画から人間世界のそんな構図を思い浮かべてしまいました。

作品の後半部分は、チェルノブイリの事故後に、著者が調べたことをもとに
原発のしくみ、もしも原発で事故がおきたらどうなるのか、
プルトニウムやウランなどについてもわかりやすく説明されていました。
放射性元素は超新星爆発のときに生まれたものだとか、なかなか興味深く、
また核分裂でうまれるプルトニウムは地獄の神プルトーンの事とか考えてみると
改めて恐ろしくなります。

それにしても、20年以上も前にこのような作品を書かれているとは、
先見の明があるというか。。
山岸涼子さんが心配されていたようなことが、今回実際におきてしまって、
ご本人もさぞ驚き悲しんでいらっしゃることでしょう。
そして、「パエトーン」を通して多くの方に原発問題について考えてほしいとの願いから
今回電子書籍と言う形で無料公開されることになったのでしょう。
これが、事故の後でなくて、事故がおきる前により多くの人に読まれていれば・・
いや、たとえ読まれていたとしても、真剣になって考えた人はどれだけいたのか。
やはり悲しいことに人は、大変な事態が実際におきてみないと危機を感じることができない、ということなのでしょうか。

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ホーキング博士 天国を否定 [科学・宗教]


【5月17日 AFP】英国の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング(Stephen Hawking)博士は、16日の英紙ガーディアン(Guardian)のインタビューで、天国について「暗闇が怖い人間のための架空の世界」と述べ、宗教の根幹を成す概念を改めて否定した。

 ホーキング博士は、世界各地でベストセラーとなった『ホーキング、宇宙を語る(A Brief History of Time)』(1988)では「神というアイデアは宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」と記していたが、その後四半世紀で宗教に対する態度は著しく厳しいものになった。

 2010年の『ホーキング、宇宙と人間を語る(The Grand Design)』では、「宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない」と述べている。物理学における一連の進展により、そう確信するに至ったという。

 博士は今回のインタビューで、自分の考えは21歳の時に発症した運動ニューロン疾患との闘いにも影響されていると語った。
「わたしはこの49年間、死と隣り合わせに生きてきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。やりたいことがまだたくさんあるからね」
「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」(c)AFP
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以前は神について否定的でなかったホーキング博士が、
今回神の存在をきっぱりと否定する発言をされたことは、唐突のようにも思われます。
なぜそのように考えるに至ったのか、という疑問は当然出てくると思います。
最新の著書である『ホーキング、宇宙と人間を語る』では、
宇宙、空間、時間について触れられていて、その中でそのことに関しても述べられています。

実はこの本、日本でも昨年末に発売されていて、
その直後から気になっていたのです。
読んでみたい、でも難しいだろうなあと迷いつつ・・
そして2月に入ってからとうとう思い切って購入、その後
読んで戻りつ、再び読んで・・と実に長い時間をかけてほぼ一通り目を通しました。
それで、どれだけ理解できたのかについては、実に怪しい、
というか専門的な用語や理論についてはわけがわからない・・・
でも、金魚鉢や、サッカーボールとゴールに例えた実験や説明などわかりやすく、
一般的な物理科学に関した書物に比べると、哲学的な要素もあり、
興味をもって読めるところが結構ありました。でも、やっぱり難しい~(´_`。)

ホーキング博士については、以前このブログでも少し触れたことがありました。
たしか埴谷豊さんとの対談集である池田さんの著書「オン!」の中にも出てきていたはず。
こちら
http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2010-02-20

このときから、一風変わった科学者だとちょっと興味を覚えていました。
科学者でありながら、哲学的でもあり。。
今回の著書の中でも、科学と哲学に関わる発言をされていました。
哲学界に対して、かなり辛辣な言葉ですが・・

第1章 この宇宙はなぜあるのか?-存在の神秘 より
p10 
『・・現代において哲学は死んでしまっているのではないでしょうか。哲学は現代の科学の進歩、特に物理学の進歩についていくことができなくなっています。・・・』

では、神が存在するか否かについて、なにを根拠に述べられているのか。
ホーキング博士は、時間に始まりがあるのかそうでないのか、これに関わって説明をされています。
時間の始まりが宇宙創成の謎にせまるキーを握っているというわけなのでしょうか。

これに関わって一部引用。
(これに先立ち、世界の端について触れられています。時間の始まりについての議論は、世界の端についての議論に少し似ている。その昔地球が丸いと知らなかった時代には、世界の端がどうなっているのか不思議であったが、世界が平坦な平面でなく球面であると人びとが気付いたことによって解決された、ということが述べられています)

第6章 この宇宙はどのように選ばれたのか?-相対論と量子論の描く宇宙像より
p190~p191
『・・・しかし、時間は線路の模型のようなものです。もしそれに始まりがあったならば、汽車を走らせるような何者かーすなわち、神ーが存在していなければなりません。アインシュタインの相対性理論は空間と時間を時空として統合し、そして空間と時間が混合するという概念を盛り込みましたが、それでも時間は空間と別なものとして扱われ、始まりと終わりがあるか、永遠に続くかのいずれかでした。しかし、量子論の効果を一般相対性理論に加えると、ある極端な場合において大規模なゆがみが生じ、時間がもう1つの空間次元としてふるまうようになるのです。
宇宙が一般相対性理論と量子論の両方に支配されるほど小さいような初期の時代では、実際上の空間次元は4つあり、時間次元は存在しませんでした。・・・・』

非常に初期の宇宙にまで遡ると、時間はもはや存在しないということ、
それがなぜなのか、
下から4行目からの、「量子論の効果を一般相対性理論に加えると、ある極端な場合において大規模なゆがみが生じ、時間がもう1つの空間次元としてふるまうようになるのです。」
の部分が、その説明にあたるのでしょうが、量子論や相対性理論自体理解できていない自分には、
なんだかよくわからない。
ただ、初期においては時間は存在していない、4つ目の空間次元であったということ、そのこと自体を頭において次に続く文章をみてみると・・

p192
『時間を空間のもう1つの方向であるとみなすことは、世界の端を取り除いたのと同様に、時間が始まりを持つという問題をまぬがれることができるということを意味します。宇宙の始まりを地球の南極に、緯度を時間に見立ててみます。等緯度の円を宇宙の大きさに見立てれば、それは北に移動するにつれて膨張していきます。宇宙は南極において点から始まるわけですが、その南極は他のいかなる点とも同じようなただの点に過ぎません。南極よりも南には何もないので、宇宙の始まりの前に何が起こったのかという質問は意味をなさなくなります。・・・』

これに続いてホーキング博士は、
人びとは、宇宙に始まりがあると信じることを、神が存在する根拠として用いてきたが、時間が空間のようにふるまうと理解し、宇宙の始まりが科学の法則によって支配されていると考えることで、何らかの神によって動かしてもらう必要がないのだ、と述べています。宇宙は無から自発的に生成されたのであり、宇宙を生成して発展させるのに神に訴える必要はないのだと。。

ホーキング博士のおっしゃっていることは、なんとなくそれなりには伝わってきたように思えるのですが、
それでも、なぜ無からこのような宇宙が生まれてきたのか、という問いはやはりなくならなくて、
なぜ、宇宙は存在するのか、
なぜ、私たちは存在しているのか、
私たちは何者なのか、
このような疑問は相変わらずすっきりと解決されない。

ホーキング博士の、死後の世界は存在しない、
「天国は暗闇を怖がる人のための架空の世界」という主張についても、
そこまできっぱり断言してしまえるものなのか、自分の中で疑問が残ります。

それに、もし天国がなくて死後の意識というものがないなら、暗闇を恐れることもないわけで、
それなら暗闇を怖がる人のための架空の世界も必要ではなくなりますね。
どちらにしても、そのときにならないと真実はわからないのかも
(死後の世界や意識がなければ、それを認識することはできないけど・・)


ホーキング、宇宙と人間を語る

ホーキング、宇宙と人間を語る

  • 作者: スティーヴン ホーキング
  • 出版社/メーカー: エクスナレッジ
  • 発売日: 2010/12/16
  • メディア: 単行本



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辺見庸「神話的破壊とことば~さあ、新たなる内部へ」 [辺見庸]

3・11震災以来、さまざまな人たちがそれぞれの立場から発言をされています。
先日私にしてはめずらしく、『文藝春秋』5月号を購入しました。
柳田邦男、瀬戸内寂聴、曽野綾子、李登輝、石原慎太郎、玄侑宗久・・・など、
各界著名人、多くの識者からの寄稿文が載せられておりぜひとも読んでみたいと思ったから。
そんな中で、もっとも引きつけられた文章は、作家辺見庸によるものでした。

辺見庸氏は、宮城県石巻市出身。
小説家、ジャーナリストであるとともに、最近詩集『生首』で中原中也賞を受賞された詩人でもあります。
一瞬にして変わり果ててしまった故郷を前に語るその言葉ひとつひとつは、心に響くというよりは
むしろ心につきささってくるような激しさとすさまじさがあり、他の誰の文章よりも衝撃的でした。


文藝春秋5月特別号 「緊急寄稿 われらは何をなすべきか 叡知結集41人」
『辺見庸 神話的破壊とことば~さあ、新たなる内部へ』  より

『・・・・友人たちがわたしの生まれ故郷、宮城県石巻市の被災現場からもどってきた。彼らの話と、もちかえった映像は、新聞やテレビのそれとはずいぶんちがった。親や兄弟をうしなったかれらは、おもざしも声音も変わり、まるで石化したかのように寡黙になっていたのだ。ある者がそっとつぶやいた。「いっさいが整合しない。事実がすべてばらばらになって、ひとつのことがどうも他と結びつかない」。またあるものはひとりごちた。「事実がどーんとたちあがったけれども、それにみあうことばがない。ことばは事実にとおくひきはなされている」。浜辺にうちあげられた死者たちの映像より、神経系統をそっくりひっこぬかれたような友人たちの無表情、すっかり抑揚をなくした声にわたしはたじろいだ。いったい、なにを見たのか。かれらはなんにちも親兄弟をさがしてあるいた。口をそろえていうには、故郷は地震と津波の被災地というよりは、まるで大爆撃のあとのようだったという。未編集の映像は、たしかにどうながめても自然災害にはみえない。・・・・・(略)・・・・・・どうすればそのような造形が可能になるのか、波に押しながされた十数台もの車がおりかさなってガソリンに引火、つぎつぎに爆発して、しいていえば現代アートのように、そのまま黒っぽい車の塔になっている現場もあった。それはわたしやわたしの妹がよくかよっていた小学校の校庭だった。塔のなかには焦げた死者がすわっていたという。影たちのように。・・・・・(略)・・・・・・・

予感できなかったこと、それを過誤とはよべないか。落ち度といえないか。このたびの破壊の一面はおそらく数値化のまったく不可能な、およそ限度というもののない、いうならば神話的なまでの破壊なのであり暴力であった。それを予感しえなかったこと、措定しえなかったことをあやまちとよぶなら、いま、わたしたちがこれだけの神話的な破壊を叙述することばをさっぱりもちあわせていないことは、さらに救いがたいあやまちであるにちがいない。・・・・・・・(略)・・・・・

こうなったら、荒れすたれた外部にたいし、新しい内部の可能性をあなぐるいがいに生きのべるすべはあるまい。影絵のひとのようにさまよい、廃墟のがれきのなかから、たわみ、壊れ、焼けただれたことばの残骸をひとつひとつひろいあつめて、ていねいに洗いなおす。そうする徒労の長い道のりから新たな内面をひらくほかにもう立つ瀬はないのだ。新たなる内部では、2011年3月11日のまえよりも、もっともっとひととことばの深みに関心を向けようとわたしはおもう。しおさいと讖(しん)と兆しにもっと謙虚に耳をかたむけよう。・・・・・・・・』


テレビや新聞、さまざまなニュースなどの画像映像を通して、
津波や現地の被害がいかにものすごいものであったのかと、
少しは知った気になっていたけれど、本当の姿をわたしたちは見ていないのだと
改めて思い知らされるようです。
テレビでは決して映されていないものがある、
そこにこそほんとうの哀しみ、受け入れられない現実がある。
辺見氏の文章には、テレビなどで流されている映像よりもずっと真実の姿が
生々しく描かれていて、現地の人々の味わっている深い悲しみの一端が
伝わってくるようであり、今回の震災の恐ろしさすさまじさを垣間見る思いがします。

辺見氏は震災後、多くの詩を綴られており、『文學界』最新号(6月号)にも掲載されているようです。
つい最近では、NHKの番組にも出演され、震災について語られたようです。
辺見庸が語る大震災──瓦礫のなかから言葉をひろって──(NHK「こころの時代」)
この番組は4月に入ってから何度か放送されたようですが、どれも見逃してしまいました。残念。。
いつかまたBSあたりで再再放送してくれるといいのですが・・
どなたか、放送の情報得られましたらぜひ教えてください。


番組についての記事を追っている中で、
詳細に文字おこしされている方のブログ発見。
こちらにもリンクし、じっくり読ませてもらうことにしましょう。

shuueiのメモさんのブログより
「瓦礫の中からことばを 辺見庸」
http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20110501/1304198241

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