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中島義道さん再び [中島義道]

ネットでニュースを見るようになってから、以前より新聞読む時間が減ってきたように思います。
新聞に大見出しで載ってるようなニュースは、すでにネットで読んでいるため、
新聞の方はちらちらっとみて、中身を読まないということが多い。
テレビも民放など特に、普段は自分からはあまり見ないし(家族とは一緒に見たりするけど・・)
wowowは番組表を毎月送ってくるから、新聞のテレビ欄もそれほど必要ないし。
もう新聞いらないかなぁと思いつつ、それでも、特集記事やコラムなどには
面白い記事も載ってることがあるし、ネットに載らない地元のニュースなども
取り上げられていたりするから、まだ止めてしまうことはできないでいます。
日曜日の読書特集欄も、毎週必ず目を通しています。
この間の日曜日もやはり、このページを開いてみたところ、
「この人この本」の欄に、「難解なカントを丁寧に」とのタイトルが・・
カント?もしかして、中島さん?・・
カントもよくわからない自分だけど、このところ中島義道さんの本を何冊か続けて読んでいたから
カントといえば、条件反射で中島さんの名前がうかんでくる・・というか、この人しか知らない(笑)
それで、見たことのあるひげもじゃの顔写真があったので、やっぱり~!
以前著書のカバーに載せられていた写真よりも、いくぶん穏やかな顔つきのようにみえたのだけど、
気のせいかな?!
紹介されていた本のタイトルは『「純粋理性批判」を噛み砕く』

紹介文より、主に中島さんの言葉らしき部分を抜粋
・・・なぜ今、カントなのか「先の”神は存在するのか”について、デカルトは存在を証明し、カント以後の哲学者は”答えのない無意味な問い”として考えること自体をやめた。しかし、カントは”答えはないが、問い続けていくことが大事”と言った。これは最も根源的な態度だと思う」・・・・・・・・・・・・ネット社会の今、哲学が注目を浴びつつあるという。「ネット検索などで安易に得られる知識は著しく価値が低下した。一方哲学はさまざまな情報を関連づけて考える”本物の知”の獲得を目指す。その価値の高さを理解する人が増えてきた。」・・・・・・

噛み砕く・・とはいっても、入門書のように易しく言い換える手法は一切なく
カントの論理に直球勝負で挑んだもののようですから、
私がこの本を読むことは、おそらくはないと思うけど。
ただ、中島さんの書かれたものは、個性的であくが強いけど、なかなか面白くもある。
今も、『時間を哲学する』と『生きにくい・・・私は哲学病』の2冊を図書館で借りてきて
他の本と並行して読んでいるところ。
直球勝負のカントは難しいそうだけど、素人にも理解できるように書かれたものも
たくさんあるから、もう少し中島さんの書かれたものを読んでいきたいと思っています。

ついでに、これまでに読んだ本についても。
読んでからしばらく時間が経っているので、中身に多少のズレなどあるかもしれませんが。


『どうせ死んでしまうのに、なぜ今死んではいけないのか?』 角川文庫
ちょっとドキッとするようなタイトルだけど、中島さんのところには、自殺願望の若者が
たくさん集まってくるらしいので、そういう人たちを意識した、そういう人たちへの
中島さんからのメッセージともいえるものなのでしょう。
彼自身、子供のころから(なんと6歳のころから)「いつかぼくは死ぬ」にということに苦しみ
「自分の意思でなく生まれさせられてあっという間に死ななければならない」不条理に悩み続けてきたという。
苦しみ悩み考え続けなかなか答えがでない中で、語った言葉は
「きみが死ぬと僕は悲しい。」だから死んではいけない、という論理というよりはむしろ感情に訴えるもの。
一見単純っぽいけど、なるほどとも思える。
自分が死んだら悲しむ者がいると考えたら、自ら命を絶つことなど易々とはできないものです。
だから、むしろ地球まるごと一瞬にしてなくなってしまうならば、誰も悲しむものがいなくて、それであればいいのかもしれないなんて考えもでてくるわけで。
実際、自分も娘をなくした直後は、日本沈没してまるごとなくなっちゃえば楽なのに・・なんてことをちらり考えることもありました。今ではもう願望として思うことはなくなりましたが。。
「死」がテーマとなっていることもあって、全体的に虚無感がただよっているのですが
生きることに徹底的に絶望したことのある人や、生きることの虚しさをとことん味わったことのある人なら、きっとそれなりに興味をもって読めるのではと思います。


『私が嫌いな10の人びと』 新潮社
この本は、ブックオフで目に留まった本で、中島さんのことを知るきっかけになった本でもあります。
以前ブログにも書いたけど、嫌いな人というのが
前向きな人
笑顔の絶えない人
感謝の気持ちを忘れない人・・
と言った具合で、世間一般にはいい人と言われる代表のような人たち。
中島さんは、あえてこのような例を取り上げてみたそうなのですが
実際私も、この”あえて”に目がとまって、関心をもったわけですから
中島さんの戦略は、うまくいったといえるのかもしれません。少なくとも私に対しては・・
読んでみると、世間の常識としてよいとされていることが
知らず知らずのうちに他人に対して押しつけになっていることが多々あるということ。
これは『私が嫌いな10の言葉』と重なるところでもあるのですが・・
常識というだけで、自分自身ではなにも考えることなく感じることなく、思考停止に陥ってしまうこと
それに対して、筆者は厳しく批判しているのです。
一見、いいことなのに嫌いというなんて、なんて偏屈なのかと思わせられるのですが
よくよく読んでみると、その底に流れているものには、なるほどと思えるところもあります。
その一方で、筆者の感性と自分の感性が違うところがあったり
いわゆるいい人を例にあげるのにも、ちょっと無理やりっぽく感じられるところもあったりするけれど。。


『やっぱり、人はわかりあえない』 中島 義道 /小浜 逸郎共著 PHP新書
”ならず者”の哲学者中島氏と”ふつう”を尊ぶ思想家小浜氏。
対照的ともいえる二人が、「善悪」「愛」「幸福」「未来と死」・・・など7つをテーマに
往復書簡と言う形で、議論をかわした、それをまとめたものがこの本。
二人の遠慮ない物言いが面白い。
小浜さんが中島さんのことについて書かれた中で、特に興味惹かれる部分があったので、ちょっとだけ抜粋。
『・・・・・・これは私の勝手な想像ですが、人が駅のプラットホームから落ちてしまったり、意志的に飛び降りたりした現場に中島さんが居合わせたら、きっと真っ先に降りて助けようとするにちがいないと思うのですが、いかがでしょうか。・・・つねづね社会的テーマに対する無関心を表明している中島さんは、ご自分の感性にふれてこない間接的な情報や知識にけっして心動かされることのない「実存主義者」で、ご自分では卑劣漢を気取っていらっしゃるが、身近な関係や目前で起こったことに対しては、普通の善人など到底及ばない「不言実行」のエライ人なのではないかという気もしてきます・・・』
卑劣漢を気取ってるけど、本当は不言実行のエライ人・・・
これは、私も中島さんの本をこれまで数冊読んできたなかで、同じように感じたこと。
めちゃくちゃ変人、偏屈っぽく自分のことを書かれてるけど、
自殺願望の青年を心配し、救いを求めてきた青年を助けられなかったことを心底憂い・・ナイーブで心優しき面がそこここに。
ただ、善に対して完璧さを求めるあまり、私たちが普通善だとおもうことに対しても、その中にあるほんのわずかな濁りも許さないようなのです。この善に対する完璧さというのは、カントの思想から影響されていらっしゃるようなのですが。
完璧な善を求め、さらに思想として考えるだけでなく現実にもそれを追求していこうとされている。
妥協を許さず完璧を追求される姿は、本物の哲学者であるということなのでしょう。
でも、凡人には(もちろん自分含めて)なかなか真似のできないことですが・・
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夏の終わりに [思うこと]

全国的な猛暑に見舞われた今年の夏。
お盆のあたりまでは、夏だから仕方ないとまだまだ頑張れていたのですが
お盆を過ぎてからのあきれるような暑さ、
9月に入ってからの、追い打ちをかけるような暑さには、ほとほと参りました。
もうほんとに、参りましたと観念して、あきらめるより仕方がなかったのですが、
それでも、昼間エアコンで凌げたり、暑いといいながらも汗をダラダラ流しながら、走りまわるエネルギーのあった自分なんかはまだいい方で。。
闘病中の方や、抵抗力の弱った高齢の方、あるいは連日炎天下や冷房のないところでお仕事された方などは、ほんとうに厳しい日々を送られたことでしょうね。
今日の雨で、グンと気温が下がってきたから、これでやっと
日本列島お騒がせし、多くの人が多大な迷惑を被った猛暑も
終りを告げたようですね。やれやれ~。

心配していた実家お隣の”ゴンちゃん”は、やはりこの夏を乗り切ることができませんでした。
お盆もちょっと前の頃だったとか。
それまでにも、”ゴンちゃんが死んだ!”騒動があったらしい。
もう目も見えなく、考える力もなくなっていたのか、あるいは暑さで朦朧となっていたためなのか
道路の真ん中に、ゴンちゃんがフラフラっと出てきて、灼熱のアスファルトの上にペタンと寝ころんでしまっているところを、姪が発見。もうゴンちゃんが死んじゃった、と思いこんだ姪が、慌てたということが1度か2度あったとか。ゴンちゃんは無事保護されて、事なきを得たとのことだったのだけど。
それにしても、真夏のアスファルトの上に意識朦朧でへたり込んでいたとは、
そのころには、もうすでにゴンちゃんは、半分生死の間を彷徨っていたのかもしれません。
最後の数年は、老衰のためにいろいろな機能がうまく働かず、苦しい思いをしていたようですが、今は痛みや苦しみから解放されて、自由に走り回っているのかもしれません。

夏の始めころから読みかけていた本数冊。
9月に入ってから、市立図書館で借りて読んだ本が数冊。
暑さのために、夜はヘタってしまいなかなか読めなかったのですが
それでも、ぼちぼちと読み進め、中島義道さんの本を3冊、
川上未映子さんの本を3冊、そのほかにも数冊。
こちらに書き留めておこうと思いつつも、暑さのためなのかなんなのかわからないけど
まったく書くことができずにいました。
不思議なもので、書き出すとあれもこれもと書きたい気分が溢れてくることがある一方で
しばらくの間書かないでいると、なぜかなかなか書けなくなってしまったりもするのです。
書かずにいられない・・という時期もあったのに、少しずつ変わってきてるのかなぁという思いもしています。
そうかといって、じゃあこのブログもう終わりにしようという決断もできなくて。
なんとなく終りのような終りでないような・・きっとこうやってだんだんと、ほそぼそきれぎれになって
終末に向かっていくのかもしれません。それもまたいいのかも、すべては自然のままで。。

最近読んだ本について、書く機会があったら、そのときにまた。

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