父との別れ [その他]
3月に肺がんが見つかり、闘病中の父が、17日夜亡くなりました。
わかったときにはすでに胸膜、リンパ節など、全身に転移。
余命半年とのことで、覚悟はできていたつもりだった。。
病院でも、亡くなった後父が実家に帰って来た時も、
みんなの前ではそれほど涙はでなかったけれど、
娘が名古屋へ帰って行き、久しぶりに一人になってみると、
昔のこと、病院でのこと、父の言葉・・
いろいろなことが、あれやこれやとおもいだされ、
ああ、お父さんはもういなくなってしまったんだなぁとしみじみとしてくる。
たくさん話をしたはず、病院へも何度も通って、多くの時間を共に過ごしたはず・・
それでも、それでも、もっとああしてあげればよかった、あのことも伝えておけばよかった、
もっといろいろなところへ一緒にでかければよかった、と想いはつきません。
こんな風におもうのは私だけじゃなくて、誰しもが、大切な人とどんなに長く一緒に過ごそうとも、これで十分だということはないのかもしれません。
父が最期に心配していたのは、やはり母のこと。
そして、戦時中の同期生だったー当時の傷がもとで今もつらい思いをしているというー友人のこと。
最期のときになっても、当時のことが蘇ってくる、戦争体験というものは強烈な記憶として、おそらくは、
何十年も父の心の奥底にとどまりつづけていたのでしょう。
父が15歳で入隊したときの写真。 「大日本帝国海軍」の文字が。
平生へ一緒に行くという約束を果たせなかった。。 「お父さん、ごめんなさい」
大好きな父
この世の中で一番、おそらくは無条件に私のことを愛してくれた人が、
この世からいなくなってしまった・・
さみしくて仕方がないけれど、
父自身は、痛みや苦しみ、不自由だった身体から解放されて、
今は、あちこち自由に駆け回っているのかもしれません。
もしかしたら、晴香とも再会しているのかも。。
最期のときに父には、「あちらにいったら、晴ちゃんによろしくと伝えてね。」と
頼んでおいたから、今頃は2人で笑って、私たちのことを見ているのかもしれません。
そんな風に想像していると、悲しさや淋しさが幾分か和らいでくるようです。
わかったときにはすでに胸膜、リンパ節など、全身に転移。
余命半年とのことで、覚悟はできていたつもりだった。。
病院でも、亡くなった後父が実家に帰って来た時も、
みんなの前ではそれほど涙はでなかったけれど、
娘が名古屋へ帰って行き、久しぶりに一人になってみると、
昔のこと、病院でのこと、父の言葉・・
いろいろなことが、あれやこれやとおもいだされ、
ああ、お父さんはもういなくなってしまったんだなぁとしみじみとしてくる。
たくさん話をしたはず、病院へも何度も通って、多くの時間を共に過ごしたはず・・
それでも、それでも、もっとああしてあげればよかった、あのことも伝えておけばよかった、
もっといろいろなところへ一緒にでかければよかった、と想いはつきません。
こんな風におもうのは私だけじゃなくて、誰しもが、大切な人とどんなに長く一緒に過ごそうとも、これで十分だということはないのかもしれません。
父が最期に心配していたのは、やはり母のこと。
そして、戦時中の同期生だったー当時の傷がもとで今もつらい思いをしているというー友人のこと。
最期のときになっても、当時のことが蘇ってくる、戦争体験というものは強烈な記憶として、おそらくは、
何十年も父の心の奥底にとどまりつづけていたのでしょう。
父が15歳で入隊したときの写真。 「大日本帝国海軍」の文字が。
平生へ一緒に行くという約束を果たせなかった。。 「お父さん、ごめんなさい」
大好きな父
この世の中で一番、おそらくは無条件に私のことを愛してくれた人が、
この世からいなくなってしまった・・
さみしくて仕方がないけれど、
父自身は、痛みや苦しみ、不自由だった身体から解放されて、
今は、あちこち自由に駆け回っているのかもしれません。
もしかしたら、晴香とも再会しているのかも。。
最期のときに父には、「あちらにいったら、晴ちゃんによろしくと伝えてね。」と
頼んでおいたから、今頃は2人で笑って、私たちのことを見ているのかもしれません。
そんな風に想像していると、悲しさや淋しさが幾分か和らいでくるようです。
はるママさん、こんばんは。
お父様のこと、大変ご愁傷さまです。
まだ2週間ですから、
はるママさんも深くお悲しみのことと思います。
親しい人が亡くなられたとき、
亡くなった方を、何度も何度も思い出して、
あのとき、ああしてあげればよかった、
あのことを伝えておけばよかったと想いますよね。
それは、とても悲しくつらいことですが、
でも、そうやって、何度も何度も思い出すことにより、
自分の中に、お父様の姿がつくられるのだと思います。
もう消えることのない、お父様の姿が。
だから、お父様を思い出すときは、
できるだけ明るく優しいお父様を思い出してくださいね。
そうすれば、はるママさんの心の中のお父様も、
きっと明るく優しいお父様になることでしょう。
そして、いつまでも、明るく優しく、
はるママさんを励ましてくれることでしょう。
はるママさんの心の中のお父様は、
春香さんと元気に会ってくれたでしょうか?
もしそう思えるとしたら、
きっと天国でも、元気に会っているに違いありません。
心の中のお父様と春香さんが、
いつも、はるママさんを元気づけてくれますように!
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
あきおパパ
by あきおパパ (2012-09-03 01:18)
あきおパパさん
あたたかい言葉をかけてくださって、ありがとうございます。
父は83歳、高齢でもあり、ここ半年くらい前から弱ってきていて、
いつかはこういう時がくるとはわかっていたはずなのですが・・・
それでもやはり、つらく淋しいものですね。
親というのは、自分が生まれたときから、
最も身近にいる人であったわけだし、
父は、逞しくて最後に頼りにできる、私にとって大きな存在でした。
それだけに、なにか心の支えを失ったような気持です。
だけど、そういう気持ちになるのは、私に限らず、
多くの人たちもまた親を送ったあとには、
同じような想いを抱くのかもしれません。
父の姿も晴香の姿も、もう現実には見ることはできませんが、
優しく穏やかだった父や、無邪気で明るかった晴香のことを想いだし、
いつもそばに感じていれば、悲しみや淋しさも少しは和らいでくるようです。
あきおパパさんがおっしゃるように、マイナスイメージなことより、
よいことを考えたり思い浮かべたりした方がいいのでしょうね。
後悔の念にとらわれすぎないで、父との楽しかった思い出を
たくさん記憶の中に留め続けていきたいと思います。
by はるママ (2012-09-04 21:59)
はるママさん
おとうさまのこと、悔しく残念でしたね。
それでも、はるママさんの記事を読んでいて、優しい眼で笑われているおとうさまを想像して(不謹慎ですが)微笑ましく思いました。
幸せですよ、実の娘にここまで愛され、温かく見送られたのですからね-残されたご家族の思いはまた別として。
ぼくの父も長く入院中で、もう余命もかなり残り少ないと思われます。
最近は意識レベルがかなり低く、話すこともできないので、ただ黙って手を握っているだけです。何もしてあげられない罪悪感を感じながら。
ぼくは、死というものは本質的にないと思っているのですが、それでも父と話せるうちにもっと話しておけばよかったと、後になって思うのでしょうね。
by E・G (2012-09-14 19:12)
E・Gさん、
>死というものは本質的にない・・・
池田さんも、『死とは観念でしかない。』とおっしゃっていましたね。
E・Gさんの言葉から、池田さんの言葉をおもいだしました。
自宅にある池田さんの著書の一冊に『死とは何か』があるのですが、
久しぶりに読みなおしてみたくなりました。
池田さんの著作も随分と読んできたつもりですが、
いざ、現実に家族がそういうときになると、これまで読んでわかってきたつもりのことも、ついどこかへ行ってしまったりもします。
そういえば、普段はクールにそして論理的に考え述べられている池田さんでさえも、愛する者(実の父そしてそれ以上に愛犬に対して)の、いわゆる死に関しては、少し感情的になったりもされてましたね。
頭で考えることと感情とは、別物なのかもしれませんね。
ただ、今回父を亡くした後、悲しみやら淋しさやら後悔やら、
いろいろな想いにかられて、涙がこぼれることもしばしばなのですが、
娘を亡くした後の様な、身を切られるような激しい痛みはないようなのです。
寿命をまっとうしたから、十分に傍に付き添ったから、子が親を見送るのは普通のことなのだから・・そういうこともあるのかもしれませんが、それだけでなく、池田さんの言葉やE・Gさんの言葉、そのほかいろいろな人たちの言葉から教えていただいたことも少なからず影響しているのかも、ともおもえるのです。
以前の自分よりは、少しは成長できたのかも。
それでも、感情に振り回されることもしばしばなので、これからもまだまだガツンと刺激をもらっていかなくちゃいけません。なのでE・Gさんも、これからもどうぞよろしくお願いしますね。コメントありがとうございました。
by はるママ (2012-09-17 22:53)