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久しぶりに耳鼻科へ [家族]

昨夜、沙織が耳が痛い!と言いだした。
前日入浴時に耳に水が入り、気になって綿棒でいじったから、そのせいかもとのこと。
それだったら、外耳炎かなぁと思ったのだけど、
あまりに酷く痛がるので、もしかしたら中耳炎起こしてるのかも?とちょっと心配に。
でも、もう病院も開いてない時間。
とりあえず、応急処置として、家にある薬を飲ませておくことにした。
数週間前に風邪ひいた時に医者でもらった、抗生剤(フロモックス)と痛み止め(ロキソニン)が残ってた。ちょうどいいやと、この2つを夜と朝服用。
しばらくすると、痛みがひいてきたようで、楽になったと娘も喜んでいた。
今日は、学校終了後、早速耳鼻科にかかったところ、外耳道が炎症をおこしているとのことだった。
中耳炎にはなってなかったけど、外耳道がかなり腫れていて、程度としては中程度よりちょっと上だという。
痛みで夜中に目が覚めたというくらいだから、かなり酷く炎症を起こしていたよう。
「運動はしてもいいでしょうか。明日もバスケットの練習があるのですが・・」
と尋ねたところ、とんでもない!という感じで、脅し(?)かとも思えるような怖いことも言われてしまった。
「外耳炎の原因はおそらくは細菌性のもので9割方は大丈夫だと思うのですが、
もしウイルス性のもので、そのウイルスが万が一顔面の神経に入った場合、顔面神経麻痺をおこすこともあります。まず大丈夫だと思うけど、あと1~2日は安静にしながら様子を見てください。」
中耳炎じゃなくて外耳炎程度でよかった~ってちょっと安心してた自分を、ど~んと一気に心配させるような医者の言葉。
ああ、あと2日間、なんだかとっても心配になってしまった。
部活もちろん休んでね。通学も送り迎えしてもいいから。無理せず安静に。

こんな心配な気持ちになったのも久しぶり。
耳鼻科にかかること自体も、久しぶり。
思えば、子どもたちが幼いころから、病気や病院とは縁が深く
小児科だけでなく耳鼻科にも、数えきれないくらい何度も何度も通わせてもらった。
特に晴香は、幼稚園に通うようになったころから、耳鼻科常連の患者になった。
風邪をひけば、たいていその後には中耳炎をおこし、小学校に入るころには、
滲出性中耳炎に悩まされ、そのほかにもアデノイドや扁桃腺肥大、
小学校入学前の年に、扁桃腺とアデノイド、鼓膜にチュービングを入れる手術をしている。
そのため、個人の病院だけでなく、地元の市民病院耳鼻科にも何度もお世話になった。

耳鼻科というのは、どうしてあんなにも混みあうのか。
子育てで大変だったことは?と問われたら、病院通いを、真っ先にあげたいくらいだ。
特に大垣にいるときは、生まれてまだ数か月の沙織をつれての通院だったから、かなり大変だった。
まだ言い聞かせてわかる年じゃないし。。
1時間2時間かかることもザラ。市民病院の耳鼻科は特に悲惨で、最高3時間待ちなんてこともあって
母子で泣きたくなるくらいだった。
その当時沙織は1歳ちょっとくらいだったかな。
最初の1時間は、絵本などを読んでやって、とりあえず大人しくしていてくれた。
次の1時間は、飴をなめさせたりお菓子を食べさせたり・・・で、なんとかごまかしごまかしでもたせて。。
でも、最後の1時間は、もうどうにもこうにもじっとしていられない様子で、ベビーカーから下りて、あちこちちょろちょろしだす。
10か月の頃にはもうすたすた歩いていたくらいの子だったから、当時はもう、思うように走り回れるくらいすばしっこくなっていて、ほんと、大変なんてもんじゃなかったなぁ。。

とにかく、耳鼻科というところは、たくさんの思い出がある場所。
どれくらいの時間を、あそこで過ごしたことか。
痛い思いをたくさんした晴香が一番辛かっただろうと思うのはもちろんだけど・・
だからこそ、あんなにも我慢強い、頑張りやさんになったんだろうなと思う。
一方で、妹の沙織にとってもまた、辛い時間だったことだろう。
もしかしたら長い時間待つというその経験で、我慢することをおぼえ、そのおかげで忍耐力がついたのかも。
中学や高校で、部活などでいやなことがあっても、愚痴をこぼしこそすれ途中でやめることなく
最後まで続けられたのも、そういった経験がちょっとは役にたっているのかも。
本人は、きっとそんなことは露ほど思ってないだろうけど、小さいころからのことを
あれこれと思いだしてみると、なんとなく全く関係ないことでもないかもなぁって、
久しぶりの耳鼻科へ行って、昔のことを思い出しながら、そんなことを考えたりしてた。

今日行った耳鼻科のお医者さんには、
「フロモックスとロキソニン早めに飲まれたこと、それでよかったですよ。」
と言われ、出してもらった薬も、やはりフロモックスとロキソニン、それと抗生剤入りの軟膏。
何度も通った耳鼻科。
でも今回早めに抗生剤と痛み止めを飲ませるなどの応急処置をとれたのも、この経験があったからこそ。無駄にはなってなかったかな。


それにしても、心配なのは沙織の耳。
どうかあと2日。何事もなく、無事に治癒しますように!
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パラリンピック~「苦しいのも人生」 [ニュースより]

連日のように報道され賑やかだったオリンピックが終わり、
引き続き始まったパラリンピックも、今日が最終日。
オリンピックのときには、あれほど”金メダル”だの”メダル獲得~”などと
さかんに放送されてたのに、パラリンピックで日本選手が金メダルを獲得しても
それほど大騒ぎしないのは、なぜなのかな。
パラリンピックが、まだそれほど世間に浸透してないからなのだろうか。
それでも、新聞やテレビなどで選手のことが取り上げられることも
以前よりは増えてきたようではあるけれど。。

そういう自分も、冬季パラリンピックについてはあまり詳しくない。
だけど、テニス好きということもあって、夏季パラリンピック競技、車いすテニスには関心がある。
この競技の第一人者は、なんといっても、日本を、いや世界を代表する、国枝慎吾選手。
夏季のパラリンピックだけでなく、グランドスラムでもいつも大活躍。
あの素晴らしいプレーをみていると、彼が障害をもっていることなど忘れてしまうほど。
いやむしろそれどころか、華麗な車いす捌きや、座ったままの姿勢で打ち込む鋭いショットなど、
相当な技術と、腹筋や背筋、腕などの筋力が必要とされる、
国枝選手だからこそできる、国枝選手しかできない。。まさにスーパーアスリートだ。
ここまで到達するのに、どれほどの努力をされてきたことだろうか。

数日前に、何気なくアルペンスキー大回転をテレビでみていた。
最初に滑ってきた選手は、片足での滑降。
片足でスキーを履いての回転は、さぞかし重心がとりにくいだろうに、実に器用に滑っている。
次に滑り下りてきたのは、義足の選手。
その次には、片手の選手が。
義足の選手より、片足の選手の方がハンディーが大きいと思われるのに、
いっしょに競い合うのは不公平なのでは、と思っていたところ
どうやら、それぞれのハンディーに応じて、あらかじめ得点が考慮されているとのこと。
私なんかが心配しなくても、ちゃんと上手く考えられてるんですね。
ハンディーの種類や程度が違ってもそれぞれが力を出すことができる、
いろいろなところでサポートをする人たちがあってこそなのだなと、ここでもまた感心。。


18日付中日新聞朝刊に、女子アルペンスキー大回転座位で4位になった、青木選手のことが、写真入りで詳しく取り上げられていた。
記事中に書かれていた彼女の言葉。


「楽しいのも、苦しいのもすべて人生」だと思っている。

3位との差はわずか0秒09。にもかかわらず
「こんなもんですね。この悔しさも楽しもうと思います」
と笑う。

青木選手は度重なる困難に出会ってきた。
高校卒業後にひざの手術。その際の麻酔の影響で右足が麻痺。
立位でスキーを続けるが、数年後大けがのため、いったんスキー板を置く。
その後、結婚わずか4年で夫を病気で亡くす。

「大切なのは悲しいと取るかどうかなんですよ。」

そして再び、座位でのスキーに挑戦。
パラリンピック長野大会で銀メダル
トリノ大会で銅メダル
今は、まだ手にしていない金メダルを目指して、次を見据えているのだという。



試練への挑戦を生きるエネルギーに変えてきた人。
青木選手の不屈の精神もすごいが、彼女の語る言葉がまたすごい。
最初と最後の言葉は、なんとか自分にもわかる。
いつもいつもそう思えているかと言うと、そうでもないけれど
とりあえず、頭では理解できる。
でも、真ん中の言葉、楽しもうと・・などとはなかなか言えることではないと思う。
悔しい気持ちというのは、競技者にとっては、新たなエネルギーにも
繋がっていくものではあるのだろう。
だけど、普通は苦しいとか辛いとかいった気持ちに繋がるような、どちらかといえばマイナスイメージの感情であって、楽しむというような感情ではないと思う。
それを、楽しもうと思う、とさらりと言ってしまうとは・・
なんて大きな人なんだろう。

これまでには、きっとさまざまな感情の葛藤もあったことだろう。
そういう過程を経て、青木選手は今、このような心境に至ったのだろう。

理不尽な運命を思い、苦しく悲しい気持ち、恨みなどいろいろなマイナスの感情、
やっと受け入れることができるようになってきたかなとおもうこのごろ
受け入れるのがやっとで、楽しむなんてことはなかなかできない。
いつかは、自分にも”楽しもうと思う”と言える日が来るのだろうか。。

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「考える日々」「考える日々Ⅱ」 [池田晶子]

「考える日々」に続いて、「考える日々Ⅱ」を読み終えた。
Ⅲも読んでから、まとめて書こうと思っていたのだけど、こちらはまだしばらく後にしか読めそうにないので、とりあえずここでいったんまとめておくことにしよう。

私が池田さんの本の中で一番最初に知ったのは、「14歳からの哲学」
これは、訃報を知らせるニュースのなかで、
「『14歳からの哲学』の著者池田晶子」と伝えられていたから。
でも、一番最初に読んだのは、「勝っても負けても41歳からの哲学」のほう。
そして、その次に娘にも読んでほしいと思い、「14歳の君へ」を。
この2冊を読んで、これは他のももっと読まなくちゃ・・・となり
その後も「14歳からの哲学」「あたりまえなことばかり」「人生のほんとう」「暮らしの哲学」・・・
と立て続けに数冊。

どちらかというと、中期から後期にかけての著書を読むことが多かったのだけど
今回の「考える日々」「考える日々Ⅱ」は「オン!」とともに比較的初期の頃の作品になる。
池田さんと言えば、もともと歯に衣着せぬ物言いする人というイメージではあったけれど
これら初期の頃の作品はさらに”切れ味鋭く”といった感じを受けた。
それでも、情緒あふれる最後のころの作品をすでに読んでいて、
穏やかなイメージの池田さんを知っているからなのだろうか
ちょっと強すぎるかなと感じられる物言いにも、むしろ若き日の血気盛んな池田さんを垣間見るようで、
なにか微笑ましくさえ感じられたくらい。
それに、自分では言えないけど、日ごろおかしいと思っていることに対して
池田さんが代わりにすっぱりと言いきってくれている・・
すっぱりばっさり、すっきりと・・・と、もしかしたら本の中で、自分自身が知らず知らず池田さんになっているのかもしれない。

他にも、いろいろな方の名前が登場している。
養老猛は、池田さんの他の著書の中にもよく出てきますね。
小林よしのりの名前が出てきたのにはちょっとびっくり。
お二人がもし対談されたらどんなことになるのかな、と想像しながら読んでいたら、
思わずふふっと笑えてきた。おそらく、話がうまくかみ合わずじまいで終わっちゃうのでは。
五木寛之の「大河の一滴」についても、批評されてますね。
といっても、池田さんはこの本を読まれたわけではなく、
「希望をもつから絶望するのだから、絶望から始めるのが生き抜くコツだ」
という宣伝ステッカーをみてのこと。池田さん曰く、
『「哲学的に正確を期すならば「希望も絶望もじつはないと知ることが、生きて在るそのことだ」』
とのこと。
実は、五木寛之の「大河の一滴」は、池田さんの本と出会う前に読んだことがあり
当時、数冊読んだ五木さんの本の中でも、一番印象に残っているもの。
このブログにも、この本のこと少しだけ書いてました。

http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2006-02-19

「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だとあきらめることからはじめよう」
この部分が、とくに”あきらめる”という言葉が、絶望に打ちひしがれていた当時の自分に響いたよう。
でも、池田さんは、絶望も希望もないのだとおっしゃっている。
この本を全部読んだ上での感想も、聞いてみたかったような。
もう今となっては叶わぬことだけど。。


「考える日々」でも「考える日々Ⅱ」でも、夢と現について書かれていて、
どちらもなかなか興味深い。
たとえば、「考える日々Ⅱ」の中の「とろけた自我は世界の側へ」p112~

夢と現の境目で、トロトロウトウトしているときに気持ちがいいのは
自我がとろけてなくなっているからなのであって、
現実世界で、人は自我という武装をして、自分とはまた別物と思いこんでいる他人の自我と
ぶつかり合うから、疲れるのだという。
現実世界も夢の世界となんの違いがあるのか、現実も夢も同じ自分の夢であり現実である、
と池田さんはおっしゃる。
自我なんてものを自分だと思うのは、ただの思い込みなのだともおっしゃる。
だとしたら、夢の世界と同じように、現実世界でも自我の鎧をはずし、他人も同じだとおもえば
もっと人は楽に生きられるということなのだろうか。
そうは思っても、この自我というのがやっかいなもので、なかなか手放すことができない、
自我の鎧をまとって、身動きとれなくなることもしばしば。そんな自分を別のところから
眺めているもう一人の自分がまたいたりして・・「ああ、またまただめだなぁ・・」なんて呟いたりしてる。
自分は心が弱いからなのか・・でも、池田さんでも、「頭からふとんを被って終日身動きせず、寝返りひとつ打たない。打てなくなる・・(p38)」こともあるそうで、なんだかちょっと安心したり。池田さんでもそんなことがあるんだな、って。。


最後に、「考える日々」の中で、特に印象に残った部分。
「宇宙自身を考えるために」p102~

「進化論的には、脳があるから考えができたのではなく、考えが在るから脳ができたのだ。
光があるから眼ができたように、考えが在るから脳ができたのだ。明らかに考えのほうが先なのである。」

こんな風に考えたことがなかったから、この部分を読んで、う~んと考えこんでしまった。
深海に住む魚には眼がないという、それは光がないから。
光がないところには眼がいらない。同じく考えがなければ、脳はいらないというわけで
あらかじめ宇宙に考えがあるからこそ、脳が発達したというわけだ。
この考え方、そんなばかなぁ~と言ってしまえない、自分にとっては、上手く言えないけど
なるほど、なるほど~って感じ。
この考え方って、池田さん自身が考えられたことなのかな。
それとも進化論の考え方として、どなたかが言われたことなのだろうか。
もし池田さんが考えられたなら、すごい!と思うのだけど。。

他にも面白かった部分はたくさん。
でも、すでに限界を超える長さになってしまっているので、このあたりで。
つぎは「私とは何か」それから「君自身に還れ 知と信を巡る対話」を読もうかな。

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