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西田幾多郎「我が子の死」 [西田幾多郎]

「娘は学校が大好きだった。だから何も言うことはない。
ただ、これからは同じようなことが起きないように対策を考えてほしい。」

数日前、学校の研修としてでかけた浜名湖で、悪天候のためボートが転覆。
一人の女子中学生が、帰らぬ人となってしまいました。
この言葉は、その子のお父さんが、きのうインタビューに対して答えられたもの(一語一句正確ではありませんが・・)
学校が大好きだった娘のことをおもえば、できれば学校側と
争いたくない・・という気持ちももしかしたらあったのかもしれません。
感情をおさえながら、精いっぱい受け答えされているように私には思えました。

このニュースを新聞で見たとき、ご両親が事実をどんな気持ちで受けとめられたのだろうかと
いろいろなことが想像され、読みながら涙がこぼれてしまいました。
新聞記事のニュースを読みながら、こんなに感情的になるのは久しぶりでした。
このごろは、むしろ人の「死」に対して、以前と比べて感じ方が変わってきたようであり、
不謹慎な言い方かもしれないけれど、「死」に対して少し鈍感になったようにも感じていました。
そんな自分でも、子どもの死に対しては、その直後の親さんの気持ちを想像すると
いたたまれない気持ちになってしまいます。
おそらくは、自分自身を重ね合わせて、娘を亡くした直後のあのころの気持ちを思いだし、
つらい気持ちがそのまま蘇ってくるからなのかもしれません。

それでもまだ私たちの場合は、事故や事件、あるいは突然死などとちがって
病気が発覚してから、9か月余りの時間がありました。
まだ残された時間がありました。短いけれど、ともに過ごす時間もあったし
難しいとはいえ、それなりに覚悟を決める猶予がありました。
もしも、元気で出かけて行った我が子が、突然に冷たい躯となって帰ってきたとしたら・・・
自分はどうなっていただろうか。
受け止めることができただろうか。
同じ死別でも、突然という場合と、数か月、あるいはわずか1週間でも、時間が残されている場合と
そこには違いがあるように思えます。
もちろん、我が子を亡くすという悲しみや寂しさにおいては、変わりはないと思うのですが。。

もし娘がある日突然逝ってしまっていたら、挫折感や罪悪感、拒絶や何かを恨む気持ち、後悔・・・
などといった感情は、もっと強く感じられたのかもしれないし、事実を認識して受け止めるのにもたくさんの時間がかかったかもしれません。
いろいろな感情が渦巻くどん底から這い上がるのに、もっともっと時間がかかったのかもしれません。
人それぞれ、性格も考え方も、その後の過ごし方も違うし、まわりの環境にもよることがあるのかもしれませんから、一概には言えないと思いますが。


このニュースを見てから、ちょっと前にネットで紹介してもらった、
西田幾多郎の「我が子の死」の一節が何度も浮かんできます。

「今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていた者が、忽ち消えて壺中の白骨となるというのは、如何なる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらぬものはない、此処には深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。・・・」

西田幾多郎のことは、日本を代表する哲学者であったし、
池田晶子さんの著書にもよく登場していたので名前は知っていましたが、
お子さんを何人も亡くされていることは知りませんでした。
時代が変わっても、我が子を亡くした親の気持ちというのは
相通じるものがあるのですね。
「我が子の死」→(http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3506_13513.html

泣いたり笑ったり、元気に駆け回っていた我が子が突然に自分の前からいなくなってしまう。
もしすべてが消えてしまったというのなら、我が子が生まれてきた意味はなんだったのか。
生きてきた意味はあったのだろうか。

私も娘の死後、ずっと囚われた問いでした。
姿形がなくなったらすべてがおしまいというのではあまりにも虚しすぎる。
西田幾多郎がいうように、形はなくとも、我が子が生まれてきた意味はなくなってしまったわけではない。
形なきものにも、意味はある。残るものはある・・それは、さまざまな思い出であるのかもしれないし
あるいは、魂と呼ばれるものでもあるのかもしれない。

全文をとおして、思いが重なるところがたくさんあるのですが
後半部分にも、印象に残るところがありました。


「夏草の上に置ける朝露よりも哀れ果敢なき一生を送った我子の身の上を思えば、いかにも断腸の思いがする。しかし翻って考えて見ると、子の死を悲む余も遠からず同じ運命に服従せねばならぬ、悲むものも悲まれるものも同じ青山の土塊と化して、ただ松風虫鳴のあるあり、いずれを先、いずれを後とも、分け難いのが人生の常である。・・・・・また世の中の幸福という点より見ても、生延びたのが幸であったろうか、死んだのが幸であったろうか、生きていたならば幸であったろうというのは親の欲望である、運命の秘密は我々には分らない。・・・・・・たとえ多くの人に記憶せられ、惜まれずとも、懐かしかった親が心に刻める深き記念、骨にも徹する痛切なる悲哀は寂しき死をも慰め得て余りあるとも思う。」

「 最後に、いかなる人も我子の死という如きことに対しては、種々の迷を起さぬものはなかろう。あれをしたらばよかった、これをしたらよかったなど、思うて返らぬ事ながら徒らなる後悔の念に心を悩ますのである。しかし何事も運命と諦めるより外はない。運命は外から働くばかりでなく内からも働く。我々の過失の背後には、不可思議の力が支配しているようである、後悔の念の起るのは自己の力を信じ過ぎるからである。我々はかかる場合において、深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依(きえ)する時、後悔の念は転じて懺悔(ざんげ)の念となり、心は重荷を卸(おろ)した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる。」


とかく、親と言うものは、子どもが亡くなった原因は自分のせいだと
罪悪感に苦しめられやすいもののようです。
事故や事件であれば、
あのとき気をつけていれば・・
助けてあげられなかった・・とか。
病気であれば、元気に産んであげられなかった・・とか、
治療に関しても、もっとああしていればとか、早く気付いてあげられれば・・・など。
さらに元気なころに遡って、こんなことならもっとああしてあげればよかった、こうしてあげればよかったとか。
ずっと生きていてくれたら、思わなかったようなことまで、あれやこれやと
何かにつけて、自分を責めることに結びつけてしまいがちです。
少なくとも自分の場合はそうでしたし。
ネットなどで見かけた方々の多くもまた、そうでした。
中には、自分の過失が我が子を亡くした原因になったと、深い罪悪感に苦しんでいる人もみえます。


そんな罪悪感に苦しむ親たちに対しても、西田幾多郎のこの言葉は救いになるように思えます。
人の力などたいしたものではないのだと。できることなど限られているのだと。
自分の無力さを自覚して、運命(のようなもの)を受け入れたときに、
少しは気持ちが楽になるのかもしれません。

「我が子の死」は、あれからもう何度も読んだのですが
この文章最後にでてくる「歎異抄」についても、いつかもう1度じっくり読んでみたくなりました。

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