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命あるかぎり~松本サリン事件を超えて [河野義行]

「実録・松本サリン事件~妻よ、母よ…犯人と“疑われた”家族 闘いと絆(きずな)の15年~(仮)」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090525-00000047-spn-ent

松本サリン事件被害者である河野さん一家のことがドラマ化されることになったそうです。
フジテレビ6月26日午後9時より
事件直後に容疑者扱いされた河野義行さんを石黒賢さんが、昨年8月に亡くなった妻澄子さん=(享年60)=を松下由樹さんが演じます。

以前こちらの日記に、河野義行さんのことについて書いたことがありました。
そのときの日記→http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2008-08-07
「憎しみよりも、妻を思うことを大切にしていきたい」
との言葉が大変心に残り、いつか河野さんの著書を読んでみたいとおもったのでした。
その後、「命あるかぎり~松本サリン事件を超えて」を書店でみつけて購入。
この1冊の本を読むことで、河野さんという人がどのような人なのか
少しはわかったようにおもえたし、どうしてあのような言葉を言うことができたのか
わかったようにもおもえました。

誰かが河野さんのことを、博愛精神の持ち主というような表現をされてたけれど
自分がこの本を読んだ限りでは、そういうのとはちょっとちがうようにおもえました。
犯人を憎まず、庭の剪定を許し、奥様にも会わせ、交流をもつ・・・
博愛精神というのもまちがいではないのかもしれない。
でも、河野さんには、もっとちがうなにか
人生観というか、死生観というか、そういったものを
たしかにもっていらっしゃるのだということ
特に、最後の「エピローグ 幸せに生きるために」を読んで、強く感じさせられました。

河野さんは、小さいころから、近所の人や知り合い、友人など
身近な人の死に何度か出会ってきたという。
そして、自身もまた4度も死にかけた経験があるのだという。
そういう経験が、彼の死生観に大きな影響を与えたのだという。
「人はこの世でなにかやるべきことがあるうちは、死なないのかもしれない」
という一方で
「死はいつもすぐ隣にある」とも。
さらに、エピローグの中で、つぎのように書いてみえます。
「死はいつもすぐ隣にある。そう思い定めて生きていると、なにが起こっても不思議ではないという気持ちになる。」
そして、このような考え方があったからこそ、あのサリン事件や冤罪の渦中に巻き込まれたときでも
これも自分の人生の1コマなのかと、ありのままに現実を受け止めたのにほかならないのだとも
述べておられます。

犯人を恨むということについては
「・・・恨むなどという無駄なエネルギーを使って、限りある自分の人生を無意味にしたくない・・・」と。
このことの根底にあるのは、河野さんの言葉を借りて言えば
「人は幸せになるために生まれてきたのだと思っている。ならば自分が一番幸せになることをするべきだと思う。」
「いつもいまある状態に満足し、感謝して、生きていくことができるのなら、私は、それはとても幸福な人生だといえると思う」

河野さんは事件のあと、人前で泣き叫ぶこともなく、愚痴をこぼすこともなかったのだけど
そのことが、時に「冷たい人」「変人」などと受け取られることがあったという。
表面的な部分だけをみて判断するなら、そのように感じる人も少なくなかったのかもしれません。
でも、犯人を恨まないでいることとか、取り乱すことがないということ、ただそのことだけで
「冷たい」とは言えないとおもいます。
河野さんの奥様に対する思いを知れば、それは明らかでしょう。

「恨む」という感情がどれほど辛い感情であることか
そのような感情に支配されて、残りの人生を生きていくことがどれほど不幸なことか。
私も、頭では理解できるのです。

「死」と向き合う経験をいやでも持たざるを得なかった、そのためなのか
河野さんの死生観というものにもすごく共感します。

でも、頭では理解できても、感情というものがなかなか納得しない・・・
大切な人を傷つけられたり奪われたり、そんな天地がひっくりかえるようなものすごいことではない
日常にありふれた出来事に対してさえ、動揺したり葛藤したり
頭で考えることと、感情とが対立する
自分の場合、こんなことの繰り返し。
なかなか河野さんのようにはいきません。

現実問題として、感情とどのように折り合いをつけていくのか
これが一番難しいことなのかもしれません。

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河野義行さんの言葉におもうこと [河野義行]

http://mainichi.jp/area/nagano/news/20080806ddlk20040024000c.html

松本サリン事件の被害者河野義行さんの奥様が先日亡くなられた。
あれから14年。
被害者であるにもかかわらず、最初の頃には犯人と疑われたり
その精神的な苦痛は計り知れないものだったろう。
それでも、マスコミにむかって、感情をむきだしにすることもなく
かといって、完全にマスコミをシャットアウトすることなく
世の中の人々に対してもいろいろなメッセージを送ってくださっていた。
すごい人だとおもっていた。

「憎しみよりも、妻を思う気持ちにしたい」。
今回この言葉にまたあらためてすごいとおもった。

なにかを憎むこと、これはとても苦しいこと。
立場はちがうけど、自分にもおぼえがある。
晴香の意識がなくなって、高熱に苦しめられるようになったころ
誰を恨むこともできないまま
ただ自分たちの理不尽な運命を呪った。
対象になる人がいないのに、恨みの感情がつぎつぎに湧いてきて、自分を苦しめた。
あえてなにを恨んだのかといえば、神や仏だったのかもしれない。
そんな対象がはっきりしないにもかかわらず、
なにかを恨むという感情にとらわれているときは苦しくて仕方なかった。

特別誰かになにかされたわけでもない自分たちのような場合でもそうだったのだから、
もし交通事故とか、殺人とか
そんなことで、突然に最愛の人を奪われたり取り返しのつかないくらいに傷つけられたりしたなら
どんなにか相手のことを憎くおもうことでしょうか。自分は想像することしかできないけど・・
でも、その思いは、きっとどんなにか苦しいものにちがいないともおもう。
これもまた自分の想像でしかないけど・・

河野さんが最初からこういう気持ちでみえたのか、
あるいは、長い年月の間に、だんだんと気持ちがかわっていったのか。
あるいは、いろいろな気持ちをかかえながらも、自分自身にそう言い聞かせてこられたということなのか。

何冊か本を書いて見えるとのことなので
その中に、きっと河野さんのさまざまな思いが書かれているのだろう。
どのようにして、こういう気持ちになっていったのかということも、もしかしたら触れられているのかもしれない。
いつか機会があったら、読んでみたいとおもう。

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