「救出死」で英雄視とバッシング [思うこと]
少し前に、横浜市内でおきた踏切での痛ましい事故。
倒れていた男性を助けようと、遮断機をくぐり、
男性は助けたものの、自らは電車にはねられ命を落としてしまった、
なんともやりきれないあの事故のこと。
自らの危険を顧みず、勇気ある行動と、マスコミを通じ、
多くの称賛の声が寄せられていました。
その報道を見聞きするたびに、
なんともいえない違和感のようなものを覚えていました。
それでも、それを外に向かって示すことは躊躇われるような、
なにかをまた、同時に感じながら・・
そんななにやらもやもやっとした感情を、
心の奥に持ったまま、この数日が過ぎたのですが、
今日、この記事を目にして、
「ああ、やはり。」
報道をみて、私が感じていた違和感は、これだったのだなと。
救出した女性が、人としておもいやりのある素晴らしい人であることには、
もちろん違いないのですが、
結果として助けた女性が犠牲になってしまったという事実があるのに、
加熱しすぎともいえるほどの美談としての報道、総理大臣からの感謝状、
それらは、ほんとうに必要なことなのだろうか。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20131017/asahi_20131017_0001.html
人の命を助けることはすばらしいことだけれど、
自分自身の命を落としてしまうことで、また新たな悲しみが生まれてしまうのです。
助けた人の家族、親しい人たち。
そして、助けられた人も、精神的な重荷を負ってしまうことがあるのかもしれません。
今回のように不幸にして、助けた人が亡くなってしまっているのなら、
関根さんのお姉さんがおっしゃるように、そっとしておくべきことで、
過度に称賛すべきことではないとおもうのです。
ましてや、助けられた人へバッシングしたり、助けた人の家族が悲しむことが
できないような雰囲気を作り出してしまうことなど、あってはならないともおもうのです。
こんな私の考えにまた、違和感をいだかれる方もいらっしゃるのかもしれません。
人それぞれの感じ方があるのですから、それは仕方ありませんね。
逆にまた、私のおもいに、共感してくださる方も、きっといらっしゃるのでしょうね。
倒れていた男性を助けようと、遮断機をくぐり、
男性は助けたものの、自らは電車にはねられ命を落としてしまった、
なんともやりきれないあの事故のこと。
自らの危険を顧みず、勇気ある行動と、マスコミを通じ、
多くの称賛の声が寄せられていました。
その報道を見聞きするたびに、
なんともいえない違和感のようなものを覚えていました。
それでも、それを外に向かって示すことは躊躇われるような、
なにかをまた、同時に感じながら・・
そんななにやらもやもやっとした感情を、
心の奥に持ったまま、この数日が過ぎたのですが、
今日、この記事を目にして、
「ああ、やはり。」
報道をみて、私が感じていた違和感は、これだったのだなと。
救出した女性が、人としておもいやりのある素晴らしい人であることには、
もちろん違いないのですが、
結果として助けた女性が犠牲になってしまったという事実があるのに、
加熱しすぎともいえるほどの美談としての報道、総理大臣からの感謝状、
それらは、ほんとうに必要なことなのだろうか。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20131017/asahi_20131017_0001.html
人の命を助けることはすばらしいことだけれど、
自分自身の命を落としてしまうことで、また新たな悲しみが生まれてしまうのです。
助けた人の家族、親しい人たち。
そして、助けられた人も、精神的な重荷を負ってしまうことがあるのかもしれません。
今回のように不幸にして、助けた人が亡くなってしまっているのなら、
関根さんのお姉さんがおっしゃるように、そっとしておくべきことで、
過度に称賛すべきことではないとおもうのです。
ましてや、助けられた人へバッシングしたり、助けた人の家族が悲しむことが
できないような雰囲気を作り出してしまうことなど、あってはならないともおもうのです。
こんな私の考えにまた、違和感をいだかれる方もいらっしゃるのかもしれません。
人それぞれの感じ方があるのですから、それは仕方ありませんね。
逆にまた、私のおもいに、共感してくださる方も、きっといらっしゃるのでしょうね。
はるママさん、こんばんは。
この事件に、私もとても感銘を受けました。
そして、お父様の毅然とした受け答えに、大変驚かされました。
目の前で愛する娘を失ったのですから、私なら狂ってしまうかもしれません。
女性にとって、線路で倒れたお年寄りは、たとえ知らない人でも大切な人だったのだと思います。
もし線路で倒れたのが自分の子供だったら、迷わず助けに行くでしょう。そんな感覚で、思わず助けに行ってしまったように思えます。勇気があるからというよりも、他の人を自分のことのように大切に思えたということに、女性の素晴らしさを感じます。
それだけに、もっと慎重に行動して欲しかったと思います。
彼女を英雄視して、自分にはできない行為をした人として別格扱いすることは正しくないでしょう。むしろ女性の内面にある他の人への思いやりを、自分にもできることとして、少しでも見習おうと思うことが大切だと思います。
お父様の毅然とした姿が心に残っています。でも、でも、とてもつらいですよね...
ではまた。
by あきおパパ (2013-10-22 22:32)
あきおパパさん、コメントありがとうございます。
おっしゃるように、この女性は、倒れているお年寄りを見て、
考える間もなく、体がとっさに動いたのでしょう。
それは、日ごろから人の痛みを自分の痛みと感じることのできる、
優しさをもった人だからこそなのでしょう。
そんな女性の心の温かさを誰もがもっていたなら、どんなにか素敵な
世の中になるでしょうね。
少しずつでもいいから、人を思いやる気持ち、見習っていきたいですね。
それとは別に、今回女性がとった行動が正しかったのかどうか・・
娘を亡くした悲しみを知るものとしては、やはりどうしても
残されたご両親のお気持ちを考えてしまうのです。
毅然としていられた・・ということですが、外に見せられるお顔と
実際の心のうちとは、必ずしも一致するものではないでしょう。
どんなに娘が素晴らしいことをしても、どんなにまわりから称賛
されたとして、娘さんはもう帰ってこないのですから。
人助けは確かにすばらしい・・だけど、娘さんには生きていてほしかった。
そんな気持ちをおもえば、まわりであまりにも過度に称賛するのは、
どうかとおもいますね。
なにかのために命を落としても名誉なことだと、やたら称賛するのは、
飛躍しすぎかもしれないけれど、かつての時代に若くして逝った
多くの特攻戦士さえも連想してしまいます。
by はるママ (2013-10-24 10:49)