最後の試合と晴香の夢 [家族]
5月の連休以降、週末のたびに、バスケの試合観戦に出かけていました。
沙織たち3年生は、この大会で引退。
最後だから、ぜひとも県大会出場したいと、
秋ころから、かなりハードな練習を重ねていました。
その甲斐あってか、地区予選で2勝し、念願の県大会出場の夢をかなえました。
ところが、ハードな練習や連戦により、怪我人続出、沙織自身も太ももに炎症が。。
心配を抱えながら迎えた試合当日。
それでも、始まってみれば、みんな怪我をかかえているなんて思えない走りっぷり。
県ベスト8に入る強豪チーム相手に、最初こそは離されたものの
後半すごい追い上げで、最後は7点まで点差を縮めました。
あともうちょっと、あと数分あったなら、
もしかしたら勝てていたかも。。と思うくらいの勢いでした。
結果は66-73、勝つことはできなかったけど、素晴らしい試合で最後を締めくくることができました。
試合後の涙は、試合に負けたからというだけでなく、ベストを尽くすことができた感動や、
これで最後だという淋しさなど、いろいろな思いからだったのかもしれません。
中学1年から始めたバスケット。
最初の頃はドリブルもおぼつかなくて、それでも上手になりたくて・・・
学校の練習が終わってから、自宅前で一緒にドリブルやパスの練習をしたことも。
あのころは、手まりつきのようなドリブルしてたのに、
本当に上手になったものです。
高校に入ってから、練習はますますきつくなったけど、
1日もずる休みすることなく、華奢な体でよく最後まで頑張り通したもの。
最後の試合、3ポイントシュートが、後半特に、信じられないくらいに決まって、
「3(スリー)の神が沙織先輩におりた・・・」と、後輩に言われたくらい。
その日の調子によって、シュートが入りやすかったり入りにくかったり
というのは当然あるのだけど、
この日、最後の試合で調子がよかった、こういう巡り合わせになったのは、
もしかしたら頑張ったことに対する天からのご褒美だったのかも(笑)
振り返ってみると、沙織とバスケット、いろいろなシーンが思い浮かんできます。
中学では、なかなか勝てなくて。
朝練行っても、自分一人だったり。
部長として、トラブルの仲裁に苦労したり・・・
嬉しいことよりも辛いことのほうが多かったのかもしれない。
初めて公式戦で勝ったのは、晴香の誕生日。
初勝利はお姉ちゃんへのプレゼントだと言っていたけれど・・
沙織から晴香へのプレゼントだったのか、あるいはもしかしたら晴香から沙織へのプレゼントでもあったのか。
どちらにしても、晴香は、きっと沙織の初勝利を喜んでいてくれたことでしょう。
そして、先日の最後の試合も。。
そんなことを考えていたせいなのか、最後の試合の夜
晴香が夢にでてきました。
小学校3年生くらいのころでしょうか。
いつもなら夢のことはあまりはっきりと覚えていないのに
この日の夢は、部分的にやけにはっきりと覚えていて、
そして、思いきり抱きしめたときの感触が、目覚めてからも残っていました。
ずっとこうしたかった・・やっと抱きしめることができた・・
そう夢の中で感じた自分の思いも、リアルに思いだすことができたのです。
不思議です。。
晴香が夢の中で私に逢いに来てくれたのか、あるいは、私が逢いにいったのか。
沙織たち3年生は、この大会で引退。
最後だから、ぜひとも県大会出場したいと、
秋ころから、かなりハードな練習を重ねていました。
その甲斐あってか、地区予選で2勝し、念願の県大会出場の夢をかなえました。
ところが、ハードな練習や連戦により、怪我人続出、沙織自身も太ももに炎症が。。
心配を抱えながら迎えた試合当日。
それでも、始まってみれば、みんな怪我をかかえているなんて思えない走りっぷり。
県ベスト8に入る強豪チーム相手に、最初こそは離されたものの
後半すごい追い上げで、最後は7点まで点差を縮めました。
あともうちょっと、あと数分あったなら、
もしかしたら勝てていたかも。。と思うくらいの勢いでした。
結果は66-73、勝つことはできなかったけど、素晴らしい試合で最後を締めくくることができました。
試合後の涙は、試合に負けたからというだけでなく、ベストを尽くすことができた感動や、
これで最後だという淋しさなど、いろいろな思いからだったのかもしれません。
中学1年から始めたバスケット。
最初の頃はドリブルもおぼつかなくて、それでも上手になりたくて・・・
学校の練習が終わってから、自宅前で一緒にドリブルやパスの練習をしたことも。
あのころは、手まりつきのようなドリブルしてたのに、
本当に上手になったものです。
高校に入ってから、練習はますますきつくなったけど、
1日もずる休みすることなく、華奢な体でよく最後まで頑張り通したもの。
最後の試合、3ポイントシュートが、後半特に、信じられないくらいに決まって、
「3(スリー)の神が沙織先輩におりた・・・」と、後輩に言われたくらい。
その日の調子によって、シュートが入りやすかったり入りにくかったり
というのは当然あるのだけど、
この日、最後の試合で調子がよかった、こういう巡り合わせになったのは、
もしかしたら頑張ったことに対する天からのご褒美だったのかも(笑)
振り返ってみると、沙織とバスケット、いろいろなシーンが思い浮かんできます。
中学では、なかなか勝てなくて。
朝練行っても、自分一人だったり。
部長として、トラブルの仲裁に苦労したり・・・
嬉しいことよりも辛いことのほうが多かったのかもしれない。
初めて公式戦で勝ったのは、晴香の誕生日。
初勝利はお姉ちゃんへのプレゼントだと言っていたけれど・・
沙織から晴香へのプレゼントだったのか、あるいはもしかしたら晴香から沙織へのプレゼントでもあったのか。
どちらにしても、晴香は、きっと沙織の初勝利を喜んでいてくれたことでしょう。
そして、先日の最後の試合も。。
そんなことを考えていたせいなのか、最後の試合の夜
晴香が夢にでてきました。
小学校3年生くらいのころでしょうか。
いつもなら夢のことはあまりはっきりと覚えていないのに
この日の夢は、部分的にやけにはっきりと覚えていて、
そして、思いきり抱きしめたときの感触が、目覚めてからも残っていました。
ずっとこうしたかった・・やっと抱きしめることができた・・
そう夢の中で感じた自分の思いも、リアルに思いだすことができたのです。
不思議です。。
晴香が夢の中で私に逢いに来てくれたのか、あるいは、私が逢いにいったのか。
オルゴール [思い出]
人形のオルゴール、これは晴香にと、親類からいただいたもの。
晴香の入院中、ベッドサイドにいつも置いてありました。
ねじを回すと、きらきらぼしの可愛らしいメロディーが流れます。
このオルゴールが、突然に鳴ることが、ここ最近続けて何度かありました。
鳴ると言っても、チラッと一瞬音がして、すぐに止まってしまうのですが・・・
晴香と共にいつもいっしょにいたお人形ですから、
音が鳴るたびに、なんとなく晴香が「ここにいっしょにいるよ~」って
言ってくれてるように思えてきます。
おそらくは本当のところは、ねじの戻りがちょっとわるくなっていて、それで
時々忘れたころに、少しだけ戻っているだけなのかもしれないけれど。。
でも、晴香からだって思っている方が、やっぱり嬉しいから、
だから、オルゴールがチロリン~って鳴るたびに、
あっ、晴ちゃんからかもって、想像して楽しんでいます。
もうひとつのオルゴール
これは、晴香が小学校6年生のときに卒業記念として作ったもの。
木箱に好きな模様を彫り込んで、ニスを塗って仕上げてあります。
蓋をあけると、小学校の校歌が・・
中には、おもいでの物がいろいろ・・
ミニチュアマスコット、お茶犬は入院時に晴香が気に入って集めていたもの。
注射をいやがる晴香をその気にさせようとして、担当の若い先生が、
「お茶犬あげるから、注射打っていい?」と言われたときのことを思いだします。
スワロフスキービーズのミニバスケット飾り。
これはベル仲間のみんなが、晴香にと作ってくれたもの。
沖縄で作った、編み込みのブレスレット。なかなかうまくできなくて教えてもらいながら一生懸命に作ったもの。
お父さんが、長期海外出張のときに晴香にと買ってきたおみやげ。シルバーのネックレスに、小物入れ。ネックレスは結局一度もつけることなく、ずっと大切にしまってあったような。。
可愛らしい犬やリスなどの写真切り抜き。
大きな犬のことは怖がっていたけれど、こんなくるっと愛らしい目をしたワンちゃんや
ハムスターのような小さな動物のことは、とても気に入っていたようです。
写真の犬の、人懐こいまなざしは、なんとなく晴香のそれを思い起こさせます。
晴香が、「おかあさん」って呼んでくれるとき、やっぱりこんな風に
人懐っこい疑うことのない、あたたかなまなざしを向けてくれました。
それから、小さな子に対しても同じように。
今も忘れられない光景があります。
晴香が体調を崩してあちこちの病院をまわっていたころ。
かかりつけの小児科の待合でのこと。
0歳1歳くらいの小さな子どもたちで賑わう中、
当時頭が重いのか痛いのか、ほとんど喋ることもなくなり、
笑うことももちろんなくなっていたのですが、
小さな子を、なんともいえない優しげな目で見つめ、ニコッと微笑んだのです。
あのときの晴香の穏やかな表情が、浮かんできます。
オルゴールの中には、懐かしい思い出がたくさん詰まっている。
私にとっての玉手箱といえるのかも。
浦島太郎は、玉手箱を開け、夢の世界から現実に引き戻されたけれど
このオルゴールは、それとは逆に現実世界から時間を過去に戻してくれる。
浦島太郎が開けたものとは反対の意味の玉手箱なのかも。
晴香の入院中、ベッドサイドにいつも置いてありました。
ねじを回すと、きらきらぼしの可愛らしいメロディーが流れます。
このオルゴールが、突然に鳴ることが、ここ最近続けて何度かありました。
鳴ると言っても、チラッと一瞬音がして、すぐに止まってしまうのですが・・・
晴香と共にいつもいっしょにいたお人形ですから、
音が鳴るたびに、なんとなく晴香が「ここにいっしょにいるよ~」って
言ってくれてるように思えてきます。
おそらくは本当のところは、ねじの戻りがちょっとわるくなっていて、それで
時々忘れたころに、少しだけ戻っているだけなのかもしれないけれど。。
でも、晴香からだって思っている方が、やっぱり嬉しいから、
だから、オルゴールがチロリン~って鳴るたびに、
あっ、晴ちゃんからかもって、想像して楽しんでいます。
もうひとつのオルゴール
これは、晴香が小学校6年生のときに卒業記念として作ったもの。
木箱に好きな模様を彫り込んで、ニスを塗って仕上げてあります。
蓋をあけると、小学校の校歌が・・
中には、おもいでの物がいろいろ・・
ミニチュアマスコット、お茶犬は入院時に晴香が気に入って集めていたもの。
注射をいやがる晴香をその気にさせようとして、担当の若い先生が、
「お茶犬あげるから、注射打っていい?」と言われたときのことを思いだします。
スワロフスキービーズのミニバスケット飾り。
これはベル仲間のみんなが、晴香にと作ってくれたもの。
沖縄で作った、編み込みのブレスレット。なかなかうまくできなくて教えてもらいながら一生懸命に作ったもの。
お父さんが、長期海外出張のときに晴香にと買ってきたおみやげ。シルバーのネックレスに、小物入れ。ネックレスは結局一度もつけることなく、ずっと大切にしまってあったような。。
可愛らしい犬やリスなどの写真切り抜き。
大きな犬のことは怖がっていたけれど、こんなくるっと愛らしい目をしたワンちゃんや
ハムスターのような小さな動物のことは、とても気に入っていたようです。
写真の犬の、人懐こいまなざしは、なんとなく晴香のそれを思い起こさせます。
晴香が、「おかあさん」って呼んでくれるとき、やっぱりこんな風に
人懐っこい疑うことのない、あたたかなまなざしを向けてくれました。
それから、小さな子に対しても同じように。
今も忘れられない光景があります。
晴香が体調を崩してあちこちの病院をまわっていたころ。
かかりつけの小児科の待合でのこと。
0歳1歳くらいの小さな子どもたちで賑わう中、
当時頭が重いのか痛いのか、ほとんど喋ることもなくなり、
笑うことももちろんなくなっていたのですが、
小さな子を、なんともいえない優しげな目で見つめ、ニコッと微笑んだのです。
あのときの晴香の穏やかな表情が、浮かんできます。
オルゴールの中には、懐かしい思い出がたくさん詰まっている。
私にとっての玉手箱といえるのかも。
浦島太郎は、玉手箱を開け、夢の世界から現実に引き戻されたけれど
このオルゴールは、それとは逆に現実世界から時間を過去に戻してくれる。
浦島太郎が開けたものとは反対の意味の玉手箱なのかも。
若葉の季節 [思うこと]
いつの間にか桜の花も散り、あたりの山や木々、いたるところ新緑が眩しくなってきました。
薄ピンク色から、緑や黄緑色へと、風景も一変。
桜の季節もいいですが、この若葉の季節もまたいいものですね。
桜の季節にはなんとなく感傷的な気分になるのですが、
この若葉の季節になると、気持ちも伸びやかで明るくなってくるようです。
ほんの1か月あまり、短い間のことなのに、風景も気持ちも変わっていくことが、
なにか不思議に思われます。
この季節には、どうしてこんなにも心地よい気分になってくるのだろうか。
若葉の緑と空の青さのコントラスト
穏やかな気候、爽やかな風、あかるい陽のひかり
そういったもろもろが、きっと影響してるのだろうけど。。
池田さんは、「暮らしの哲学」の中で、若葉の季節にも触れられていますね。
この季節、我々が気持ち良いと感じ心浮き立つのは、つまりそれが「生命」だからなのだと。
自分自身が若さのただ中にあるときには、生命として漲っていたから、だから気づかなかったけれど、
若さを失いつつある年齢になって、この当たり前に気がついたのだとも。
私も池田さんと同世代であるわけですから、
このように、季節に対していろいろなことを感じるようになったのは、やはり年を経たせいでもあるのでしょう。
池田さんは、また次のようにも書いてみえます。
「・・・これはコスモロジーです。季節を感じるということは、宇宙(コスモス)を感じるということに他ならない。木々を芽吹かせる生命の力は、宇宙を満たしているその力だ。ビルの谷間のアスファルトの隙間からでさえ、春には草が伸びてくる。今さらながら、そこにはなんと玄妙な力が働いていることか。
桜の花にはその満開にこそ、人は死の影を見ますが、木々の若葉に死を見る人はいません。それは、桜においては、冬と春、我々の死と生が交差するからなのですが、若葉から新緑そして万緑へと、そこには再生して萌え上がる生命の力を見るばかりだからだ。・・・」 ー暮らしの哲学ー「生命」の漲る季節より
年とともに生命力も衰えつつあるこのごろ
若葉を眺め、その萌え上がる生命をイメージし、
自分のなかにも、活力を蘇らせていきたいものです。生命力の再生・・ムリカナ?
「暮らしの哲学」は、何度読んでもいいですね。
季節感たっぷり。2度3度読んでも、また新たな発見があったり。。
ずっと傍らに置いておきたい本です。
ところで、池田さんの本といえば、しばらく図書館で何冊か借りて読んでいたのですが
「君自身に還れ 知と信を巡る対話」を最後に小休止しています。
「君自身に・・」は、池田さんと浄土真宗の学者大峯顯氏との対談集
池田さん対談集は以前の「オン!」もそうだったけど、なかなか深みがあり読みごたえがありますね。
対談相手の方の言葉もなかなかすごい。
さすがに「本物の学者」と池田さんがおっしゃるだけあります。
浄土真宗のみならず、カントやヘーゲル、キルケゴールなど西洋哲学にも触れられたりして、難しい部分もたしかにありますが・・
一度読んで終り、じゃなくて、いつかまたもう一度読んでみたいです。
今はBOOK OFFで買い込んだ本が何冊か(「聖徳太子」や名作漫画シリーズや茂木健一郎さんの脳シリーズなど)、机の上に山積みになっています。
最近読んだのは、池田理代子さんの(池田ちがいですが・・^^;)「聖徳太子」日本書紀の聖徳太子像にわりと近いものだとか。コミックといえども、なかなか感動的でした^^
聖徳太子のような、庶民のことを何よりも考えて政治を行ってくれる心あたたかな、知と徳を兼ね備えた優れた指導者が、現代にもいたらいいのに・・とつくづく思いました。。
薄ピンク色から、緑や黄緑色へと、風景も一変。
桜の季節もいいですが、この若葉の季節もまたいいものですね。
桜の季節にはなんとなく感傷的な気分になるのですが、
この若葉の季節になると、気持ちも伸びやかで明るくなってくるようです。
ほんの1か月あまり、短い間のことなのに、風景も気持ちも変わっていくことが、
なにか不思議に思われます。
この季節には、どうしてこんなにも心地よい気分になってくるのだろうか。
若葉の緑と空の青さのコントラスト
穏やかな気候、爽やかな風、あかるい陽のひかり
そういったもろもろが、きっと影響してるのだろうけど。。
池田さんは、「暮らしの哲学」の中で、若葉の季節にも触れられていますね。
この季節、我々が気持ち良いと感じ心浮き立つのは、つまりそれが「生命」だからなのだと。
自分自身が若さのただ中にあるときには、生命として漲っていたから、だから気づかなかったけれど、
若さを失いつつある年齢になって、この当たり前に気がついたのだとも。
私も池田さんと同世代であるわけですから、
このように、季節に対していろいろなことを感じるようになったのは、やはり年を経たせいでもあるのでしょう。
池田さんは、また次のようにも書いてみえます。
「・・・これはコスモロジーです。季節を感じるということは、宇宙(コスモス)を感じるということに他ならない。木々を芽吹かせる生命の力は、宇宙を満たしているその力だ。ビルの谷間のアスファルトの隙間からでさえ、春には草が伸びてくる。今さらながら、そこにはなんと玄妙な力が働いていることか。
桜の花にはその満開にこそ、人は死の影を見ますが、木々の若葉に死を見る人はいません。それは、桜においては、冬と春、我々の死と生が交差するからなのですが、若葉から新緑そして万緑へと、そこには再生して萌え上がる生命の力を見るばかりだからだ。・・・」 ー暮らしの哲学ー「生命」の漲る季節より
年とともに生命力も衰えつつあるこのごろ
若葉を眺め、その萌え上がる生命をイメージし、
自分のなかにも、活力を蘇らせていきたいものです。生命力の再生・・ムリカナ?
「暮らしの哲学」は、何度読んでもいいですね。
季節感たっぷり。2度3度読んでも、また新たな発見があったり。。
ずっと傍らに置いておきたい本です。
ところで、池田さんの本といえば、しばらく図書館で何冊か借りて読んでいたのですが
「君自身に還れ 知と信を巡る対話」を最後に小休止しています。
「君自身に・・」は、池田さんと浄土真宗の学者大峯顯氏との対談集
池田さん対談集は以前の「オン!」もそうだったけど、なかなか深みがあり読みごたえがありますね。
対談相手の方の言葉もなかなかすごい。
さすがに「本物の学者」と池田さんがおっしゃるだけあります。
浄土真宗のみならず、カントやヘーゲル、キルケゴールなど西洋哲学にも触れられたりして、難しい部分もたしかにありますが・・
一度読んで終り、じゃなくて、いつかまたもう一度読んでみたいです。
今はBOOK OFFで買い込んだ本が何冊か(「聖徳太子」や名作漫画シリーズや茂木健一郎さんの脳シリーズなど)、机の上に山積みになっています。
最近読んだのは、池田理代子さんの(池田ちがいですが・・^^;)「聖徳太子」日本書紀の聖徳太子像にわりと近いものだとか。コミックといえども、なかなか感動的でした^^
聖徳太子のような、庶民のことを何よりも考えて政治を行ってくれる心あたたかな、知と徳を兼ね備えた優れた指導者が、現代にもいたらいいのに・・とつくづく思いました。。