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藤村のことば [島崎藤村]

毎年ゴールデンウィークには、お墓のある山岡へ出かけていくのですが、
今年は後半の2日間を向こうで過ごしました。

2日目には、岐阜と長野の県境にある馬籠(以前は長野県、現在は編入により岐阜県)へ寄ってきました。
馬籠は中山道宿のひとつとして、昔は多くの人が行き交ったところ、
島崎藤村が「夜明け前」の冒頭部分で「木曽路はすべて山の中である」と記しているように、
ほんとうに山深いところで、坂道の続く馬籠峠を越えるのは、さぞかし大変なことであったろうと、当時のことが偲ばれます。
その島崎藤村は、ここ馬籠宿の旧本陣に生まれました。
馬籠には、藤村記念堂が建てられ、中には多くの資料が展示されています。
島崎藤村といえば『破戒』がとても有名ですが、近代日本の浪漫主義詩人として、
後の人びとに大きな影響を与えた方でもあったのですね。

展示物の中に、藤村の作品の中から抜粋された言葉を
ちょっとした冊子にまとめたものがあり、読んでみたら、これがなかなかいい。
無駄のない印象に残る表現。書いてある内容にまた惹きつけられる。
古いかなづかいが、最初読みにくいようだったけれど、しばらくすると、
これがかえって心地よく響いてくる。

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60ページほどの薄い冊子ですが、中には藤村の作品中から選び出された
珠玉の言葉で埋め尽くされています。
2~3ページくらいの比較的長い文章の抜粋もありますが、
大半は数行の短いもの。
藤村の想いをほんとうによく知るためには、作品そのものを読むことが一番なのでしょうが、
それもなかなか難しい。断片的であっても、選び出されたこれらの文章を読むだけでも、
藤村の想いが少しは伝わってくる。
心惹かれる文章はたくさんあったけれど、その中から一部だけ。


生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなわち新しき生涯なり。
    「藤村詩集」序より


     別離
別れとは悲しきものといひながら、
旅に寝ていつ死ぬらんと問ふ勿れ。
よしやよし幾千年を経るとても、
花白く水の流るゝその間、
 見よ見よわれは死する能はず。
    
   
     簡素 
『もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか。』これは私が都会の空気の中から抜け出して、あの山国へ行った時の心であった。
    『千曲川のスケッチ』


     誠実
すべてのものは過ぎ去りつゝある。その中にあつて多少なりとも『まこと』を残すものこそ、真に過ぎ去るものと言ふべきである。 
    『板倉だより』


・・・・・・・・・誰でも太陽であり得る。わたしたちの急務は
たゞたゞ眼の前の太陽を追ひかけることではなくて、
自分らの内部(なか)に高く太陽を掲げることだ。・・・・・・・
    『春を待ちつつ』     


・・・言葉といふものに重きを置けば置くほど、私は言葉の力なさ、不自由さを感ずる。自分等の思ふことがいくらも言葉で書きあらはせるものでないと感ずる。そこで私には、ものが言ひ切れない。・・・
    『市井にありて』

   
     老年
 老年は私がしたいと思ふ理想境だ。今更私は若くなりたいなぞと望まない。どうかしてほんたうに年をとりたいものだと思ふ。十人の九人までは、年をとらないで萎れてしまふ。その中の一人だけが僅かに真の老年に達し得るかと思ふ。
    『板倉だより』


     故郷を思ふ心
郷里の忘れがたいのは、古い幼馴染の人達がそこに生活してゐるからであり、また昔のままに形をかへない山や岡があって、いつでも自分を迎へてくれるからであるが、つまりさういふ昔なじみの人達や、それからさういふ人達の話す言葉や、言葉のなまりや、又そこにある森だの川だの谷だのといふものが、自分の幼年時代の思ひ出と密接に交錯してゐる、それらを眼に見たり頭に憶ひ浮かべたりするたびに、自分の心を幼年時代につれていつてくれるからで、そこに故郷の忘れがたい魅力があるのです。故郷にかへるといふことは、自分の幼年時代にかへるといふことのやうな気がします。
    『文章倶楽部』より

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藤村の生まれ故郷馬籠から見える、恵那山の風景。
幼少時の記憶というものは人の生涯において影響を及ぼすものだといふ藤村。
その忘れられない記憶のなかには、この恵那山の雄大な景色もきっとあったことでしょうね。

詩人島崎藤村も素敵ですね。
その後、「藤村詩集」と「千曲川のスケッチ」の2冊、買ってしまいました^^


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