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『ヤノマミ』と映画あれこれ [映画]

久しぶりの更新です。
2月に入ってから、娘の私立受験に付き添って名古屋まで出かけたり(1日だけだけど・・)
なんやかやといろいろあって、たしかに忙しかったこともあるのですが・・
ただそれだけでなくて、一度書かなくなるとなんとなく書きたくなくなる、
いつもの私の癖で、このところ更新が滞ってました。

今読んでいる本のこと、お正月以来観た映画のこと、新聞記事のこと・・・
書いておきたいとおもったことはいろいろだけど、
今日はとりあえずその中から、映画のことを取り上げてみることにしましょう。


年末年始、wowowで放送してた過去の話題作から、『アバター』『2012』
お正月以降、レンタルDVDを借りてきて観たのが、『マリー・アントワネット』『インビクタス~負けざるものたち』『2001年宇宙の旅』『ショーシャンクの空に』『マンデラの名もなき看守』『この森で天使はバスを降りた』
そして、つい最近NHKBSハイビジョンで観たのが、懐かしの『アラビアのロレンス』
わずか1か月ちょっとの間に、実にたくさん観たもの。
しかも、このどれもがすばらしくて、かなり感動させられました。


『アラビアのロレンス』は中学か高校生のころ観て、スゴイ映画だと印象に残っていたのだけど、
おそらくそれ以来。
忘れている部分もあったけど、途中こんな場面そういえばあったなぁと、思い出したり。
砂漠の中から、ロレンスの姿が現れたときには鳥肌もの。
あの場面では、初めて見たときと同じような感動に襲われ、おもわず涙がじわ~り。


『インビクタス~負けざる者たち』と『マンデラの名もなき看守』はともに、ネルソン・マンデラに関わった映画。
マンデラさんの偉業についてはある程度知っていたものの、
27年にもわたって刑務所に収容されていたことは映画を観て初めて知りました。
それほど長くにわたって拘留されていたにもかかわらず、希望を失わず
刑務所の中にあってさえも、人民のために運動を続けていたということはすごいこと、
そしてこんな人が実在していたということ自体もまたすごいことだと思えます。

『インビクタス・・』は、南アフリカ代表のラグビーチームと大統領となったマンデラさんとの関わりについて描かれた映画。弱小と言われ続けていたチームをワールドカップ優勝に導くために画策するマンデラさん。そこにはスポーツを通じて、国民の人種を超えた繋がりや一体感というものを考えていたマンデラさんの思いが伝わります。
これは、スポーツ好きな自分にとってもなかなか興味深い映画でした。
ただ、なんとなく美しく作られすぎてるのかなという感じもしなくもなく、、
(こんな記事も・・・→http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-930f.html
もちろん映画という作品を作るのだから、真実を赤裸々に事細かに描かなくてはならない
という決まりはないのだろうけど・・・・
それでも、この映画を通じて、ネルソン・マンデラという人の偉大さに触れ、
これまで知らなかった事実を知り、さらに興味や関心をもつことができたという点はよかったといえるのでしょう。


『マンデラの名もなき看守』はマンデラさんと看守との交流を描いた拘置所内での作品だけど、
『ショーシャンクの空に』もまた、主に拘置所内での物語。マンデラさんに負けないくらいの長期間、
無実の罪で拘留された男性の物語。
彼の不屈の精神と自由への諦めない意志とを強く感じさせられました。


『2001年宇宙の旅』は、かなり古い映画だけど、それほどには古さを感じさせない。
会話は極力少なくされ、「ツァラツストラはかく語りき」などのクラシックが効果的に使われているのが印象的。
内容には難しい部分もあったけど、宇宙の神秘や孤独がたっぷりと味わえる、魅力的な作品。
またいつか観て、わからなかった部分についても考えてみたいとも思います。
『この森で天使はバスを降りた』は、内容に触れると長くなりそうなので省くけれど、心に響く素敵な映画でした。
本当に、短い期間にすてきな映画をたっぷり観ることができて、幸せでした^^
今もなお、さまざまな映画のシーン、感動の余韻が残っている感じ。


最後に、『アバター』について。
正確には『アバター』と、NHKBSで放送されたドキュメンタリー『ヤノマミ』について。
長くなりそうですが・・
『アバター』は劇場公開されていた頃は、内容よりもどちらかというと、3D映画ということで話題がもちきりで、正直言ってあまり関心がありませんでした。映画館にももちろん見に行っていないし。
それでwowowで放送されるときにも、それほど期待をせずに見始めたのだけど・・
実際に観てみたら、実に映像が綺麗で驚きました。
自宅のテレビ画面だから、もちろん3Dなどではないのだけど、それでも十分に綺麗。
それから、内容に関しては、これまでに観たいろいろな映画になんだかよく似てるところがたくさんあるなぁと感じました。
たとえば、宮崎映画の『天空の城ラピュタ』の一場面(空に浮かぶなんとか・・)
たとえば、『もののけ姫』。これは自然破壊の問題、森と精霊、人と動物や他のものとの関わりなど。。
あと、もうひとつ似ていると感じたのが、最近観た、『ヤノマミ』族のドキュメンタリー。
森の中で、自然とともに過ごし、森をすべての命の源として生きるヤノマミ族の姿が
アバターの姿に重なって見えてきたのです。


このドキュメンタリーは、数年前から何度も放送されているようで、
私がこの番組を観たのも、1年か2年前に続いて2度目。
ただし、前回は前半部分をほとんど観てないので、今回初めて見た部分も多く
その中には、かなり衝撃的な場面がありました。
それは、生まれた子どもを、精霊として天に返す場面。
ヤノマミ族にとっては、生まれたばかりの子どもは、まだ人ではなく精霊と呼ばれるものであり
人として育てていくか、精霊として森に返すかは、産んだ母親が決めるのだという。
精霊として森に返す、すなわち、産み落とした子どもをバナナの葉に包み、
シロアリの巣の中に入れること。そして数日後にシロアリの巣ごと火をつけ燃やすという。
その場面が、番組内で映像として淡々と流されていたのです。
ショッキングな場面でありながら、ナレーションも感情を交えることなく、ただ淡々と事実を伝えているのでした。

現代の文明人である我々にとっては、ひどく残酷なことに思われます。
しかし、ヤノマミが残酷であり、我々は残酷ではないと、
言いきることができるのだろうかとも思うのです。
医療の力を借りることのできないヤノマミにとって、生まれてきた子を森に返すという行為は、
彼らが生きるための、やむを得ない行為なのかもしれない。
いまもなお、世界のあちこちで、戦争やら紛争やら私利私欲のため人の命の奪い合いが
絶えない文明社会、そこに暮らす人たちが一方的に、このヤノマミ族のことを、
野蛮だと決めつけることはできないなとも。

彼らの考え方は、
人と言えども自然の一部であり、森に生まれ、森に返る・・
人は死後精霊となり天にのぼり、そしてハエやアリ、ノミやダニとなり地上に戻り、最後は消え去る・・・
誰もが同じ定めを生きる・・・
というものです。
そこには、人としての奢りは感じられない。
自然の中に生まれ、自然の中に返っていくだけの存在。
彼らの生き方考え方に触れ、人とは、命とは、いったい何なんだろうと深く考えさせられました。

ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090412.html

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「おくりびと」 [映画]

8月に入ってすぐ、wowowで放送された「おくりびと」を観ました。
アカデミー賞外国語映画賞を受賞した、あの話題の映画です。
「おくりびと」を観て、そのあと「納棺夫日記」を読んで、日記にも書いておきたいとおもっていたのに
なかなか書けないでいるうちに、1か月以上も過ぎてしまいました。

実は、この映画がまだ封切られる前、テレビに出演していた本木くんの語ったことが
とても印象に残り、それ以来ずっと気になっていました。
それは、彼がインドを旅した時に見た、ガンジス河を流れて行く遺体にまつわるエピソード。
多くの人が沐浴をしている脇を、遺体が流れて行く・・これはどういうことだと、ものすごい衝撃を
受けたとのこと。
それ以来、人の死とはなんなのかということが、頭を離れなくなった。。
そして出会った本が、「納棺夫日記」
この本を何度も何度も読み、ぜひこれを映画にしたいと思うようになったという。
そう思い始めてから、かなりの年数が経ったというのだが
内容的にも映画化するには難しそうなものであることから、果たして実現ができるのかどうか
わからない現実のなかで、ずっと長い間思い続けてきた本木くんの熱意は、ほんとにすごいものに
思われました。
それに、まだ若く、アイドルとして持て囃されるような立場にある彼が
どうしてこのような重いテーマの作品を映画化したいと思うようになったのか。
それも、長い年月をかけて一途に思い続け、幾多の困難を乗り越えついに実現させてしまった。。
その情熱はどこからきたのだろうか。
それほどまでに、若い彼を引き付けたものはなんだったのだろうか。

と、そんな疑問が湧いてきて、この映画についてもずっと気になっていたわけです。
それなのに・・・
映画が封切られてからも、アカデミー賞を受賞してからも
何故だか映画館に足を運ぶことなく、1年近くが過ぎてしまっていました。
気になりつつ、なんで観に行かなかったのだろうか。。
もしかしたら、映画館という場所ではなく、ひとりひっそりと観てみたいという思いが
どこかにあったのかもしれません。
あと、これまでにも映画化やドラマ化されたときに、原作との違いを感じて
がっかりしたことがあったので、そういう躊躇いもどこかにあったのかもしれません。

ともあれ、1年近くたって、やっと観ることができたわけです。
長年思い続けてきただけあって、本木くんの演技には思いがたくさんこめられているように見えたし
実際、大変な熱演だったと思います。
他にも、脇を固める役者さんたち、とくに山崎努さんや笹野高史さん、余貴美子さんなどの
演技も個性が光っていて、映画をさらに深みのあるものにしていたと思います。

雄大な山形の自然を舞台に、本木くん演じる大悟が弾くチェロの調べも映画の魅力を
引き立たせていました。
日ごろ目を背けがちな「死」というものが、誰にでも訪れる身近なものであるということ
それに携わる人たちに対して、人々がいかに偏見をもっているのかということ
送る人、送られる人、そこにはあたたかな絆があるということ
多くの人がこのような感想をもたれたようですが、私もまた同じようなことを感じさせられました。

それとともに、山崎努演じる社長がフグの白子を食べながら呟いた、
「旨いんだよなぁ、これが!困ったことに・・・」
この言葉が、この場面が、どうしてだか、とても印象に残っているのです。
他にも、本木くんの、渾身の演技である納棺の儀式とか
笹野さんの、火葬場で「行ってらっしゃい。」「また会おう。。」とお別れする場面とか
心に残る場面はたくさんあるのに、なぜ白子を食べる場面が目に焼き付いて
山崎努のこの言葉が、耳に残って仕方がなかったのか。

「白子も死体だ」と言いながら美味しそうに食べる社長。
死を忌み嫌うものとしながらも、他の命をいただいて生きている私たち。
この場面からは、「生」というものが「死」を内在するものであって
「死」とまるで関係のないところにあるものではないということ。
なにかそのようなことを、象徴しているように思われてくるのでした。
「死」を描くことでよりいっそう「生」というものがくっきりと
浮かび上がってくるような、そんな風にも感じられました。

最後にもう一つ心に残った場面
※社長が、亡くなった奥さんをしっかりと見送ってあげられなかったことを悔やんで
大悟にぼそっと、呟くところ。
愛する人の最期のときには、綺麗にして見送ってあげたい
ほとんどの人は、そう願うのだろうけれど、この作品の中の社長も
そしてあとから読んでわかったのだけど、原作である「納棺夫日記」著者の
青木さん自身も、つらい死別体験を持ってみえ、ちゃんとお別れをすることが
できなかったという後悔の気持ちが、心の中にあるようでした。
だからこそ、このような納棺夫という仕事に対して、意味を見出してみえたのでは
ないのだろうか。
納棺夫、なかなかできる仕事ではないと思う。
自分自身ができなかったこと。後悔の念・・・そういうものが、この仕事を続けていく
原動力になったのではないだろうか。
そんな風にも思えてきたのでした。

晴香の最期のときは、病院にいたということもあって
看護師さんたちが、身体を清め、髪を洗い乾かして、とてもとても綺麗にしてくださいました。
高熱に苦しめられていた時とうってかわって、顔の表情はとても穏やかで
梳かしてもらった髪は、少し茶色がかってサラサラとして綺麗だった。。
色白の顔に、とじた瞼には重たいほどの長い睫毛が。
あのときの、穏やかで美しい晴香の表情は、今でもときどき脳裏に浮かんできます。
死者を綺麗にして送りだすというのは、きっと残された者たちのためにすることなのでしょう。

それにしても悔やまれるのは、あのときのサラサラの髪を、
なぜ少しでも残しておかなかったのかということ。
気が動転していて、そのようなことに気がまわらず、あとになって後悔。
今となっては、もう遅いですね。心の中にイメージとして思い浮かべていくしか仕方がないですね。

この映画をみてから、次に「おくりびと」の原作となった「納棺夫日記」を読んでみたくなりました。
こちらの感想は、次回に。

・・・今さっき知ったのですが、明日の夜、地上波で「おくりびと」放送されるようですね。

※さきほど放映された映画を、もう一度観ていたのですが、この部分勘違いでしたね。
社長の奥さんは、送られる人第1号だったとのこと。
この映画を観たあとで読んだ「納棺夫日記」の著者青木氏の
辛い死別体験と、社長の体験とが、重なって
自分の中のイメージが磨り変わってしまっていたようです。
青木さんも書いているけど、納棺夫を仕事とするようになったのは
何かに導かれた一定の流れだった。。と
そのようなことからも、弟妹をちゃんと見送れなかった経験は
「納棺夫日記」の中でも見逃せない部分だと思うのですが。。
この本が原作になっているにしては、どうしてこの部分
かえてしまったのかな。
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「0(ゼロ)からの風」観てきました! [映画]

昨日の午後、「ゼロからの風」映画上映会に行ってきました。
会場は、ほとんどいっぱいになっていました。
スーツをきた男性が多かったのは、主催が損害保険代理業協会だったので
その関係者が多かったからなのでしょう。
そういえば、この映画上映会、「公開セミナー」となってたから
保険関係のセミナーの一環としておこなわれたのでしょう。
そこに、私たちのような一般のものも参加させてもらったというかたちのような。

映画は、よかった・・・けど、
原因はちがっても同じような喪失体験をしている自分のようなものには
みていて、かなりつらい場面が多かった。
冒頭から、もう涙をこらえることはできなかったし
かわいそうとか、かなしいとかいうよりも
子をなくす母の心が自分とかさなって、心が痛くてしかたなかった。

それでも、主人公けいこさんが、法律をかえようとたたかったところとか
早稲田に入学しようとがんばるところとか
メッセージ展をひらくところとかには
かなしみにくれるだけでなく、自分にできるところで精いっぱい頑張る姿に心をうたれたし
なんて強い人なんだろうと、感動もおぼえた。

「危険運転致死傷罪」
この法律をつくるきっかけになったのは、彼女たちだったのですね。

映画のあとで、鈴木共子さんの講演がありました。
映画に関してのお話
実際には、映画のけいこさんのようには自分は強くはない
と語っておられました。
映画の中では、強く闘う女性としての印象が強かったのですが
日常の中では、葛藤することも、涙をながすことも
落ち込むことも、きっといろいろあったのでしょう。
この言葉をきいて少し安心しました。
鈴木さんのようにいろいろな活動をされている強くみえる女性でも
そうなんだと。
ときどき落ち込んだり、いやになったり、葛藤くりかえしたりするのも
自分だけじゃないんだってわかったから。

でも、旦那さんをなくし、一人息子をなくし
絶望のどん底におち、でもそこにとどまることをせずに
次々と信じる道を探し、追及してこられた鈴木さんの姿には
学ぶべきものがたくさんあるともおもいました。
だからといって、自分が簡単に真似できるものではないですが・・

最後に会場を後にする時
鈴木さんと、ほんの少しだけお話ししました。
(子どもを亡くす)原因はちがっても、おもいは同じだと、
おっしゃっていただきました。

行ってきてよかった。。
でも、帰ってきてから、体調が悪化。
夜になって、微熱がでてきてしまいました。
今日は、予定をキャンセルして、一日家でおとなしくしていることにします。
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「0(ゼロ)からの風」 [映画]

こちらの日記でも取り上げたことがある、映画「ゼロからの風」の上映会が、
明日岐阜で行われます。

少し前に、新聞広告でこのことを知り、さっそく申し込んでみたところ
入場整理券が送られてきました。
  
  場所 未来会館 長良川ホール
  住所 岐阜市学園町 3-42
  時間 午後1:30開演

この映画は、交通事故で一人息子さんをなくされた、鈴木共子さんをモデルに
描かれたものです。
田中好子さんの主演。
鈴木共子さんのこと、詳しくはこちら→http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2008-05-28

映画「ゼロからの風」公式HPはこちら→http://www.zero-karano-kaze.com/contents/intro.php

不覚にも、きのうから風邪をひいてしまったようです。
それで、今日は一日家で養生
熱はでてないので、明日はたぶん大丈夫だとはおもうけど
これ以上ひどくならないようにしないと。。
明日は、舞台挨拶に鈴木共子さん本人もいらっしゃるということだし。
ぜひ、みてきたいと思っています。

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