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ホーキング博士 天国を否定 [科学・宗教]


【5月17日 AFP】英国の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング(Stephen Hawking)博士は、16日の英紙ガーディアン(Guardian)のインタビューで、天国について「暗闇が怖い人間のための架空の世界」と述べ、宗教の根幹を成す概念を改めて否定した。

 ホーキング博士は、世界各地でベストセラーとなった『ホーキング、宇宙を語る(A Brief History of Time)』(1988)では「神というアイデアは宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」と記していたが、その後四半世紀で宗教に対する態度は著しく厳しいものになった。

 2010年の『ホーキング、宇宙と人間を語る(The Grand Design)』では、「宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない」と述べている。物理学における一連の進展により、そう確信するに至ったという。

 博士は今回のインタビューで、自分の考えは21歳の時に発症した運動ニューロン疾患との闘いにも影響されていると語った。
「わたしはこの49年間、死と隣り合わせに生きてきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。やりたいことがまだたくさんあるからね」
「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」(c)AFP
**************************************


以前は神について否定的でなかったホーキング博士が、
今回神の存在をきっぱりと否定する発言をされたことは、唐突のようにも思われます。
なぜそのように考えるに至ったのか、という疑問は当然出てくると思います。
最新の著書である『ホーキング、宇宙と人間を語る』では、
宇宙、空間、時間について触れられていて、その中でそのことに関しても述べられています。

実はこの本、日本でも昨年末に発売されていて、
その直後から気になっていたのです。
読んでみたい、でも難しいだろうなあと迷いつつ・・
そして2月に入ってからとうとう思い切って購入、その後
読んで戻りつ、再び読んで・・と実に長い時間をかけてほぼ一通り目を通しました。
それで、どれだけ理解できたのかについては、実に怪しい、
というか専門的な用語や理論についてはわけがわからない・・・
でも、金魚鉢や、サッカーボールとゴールに例えた実験や説明などわかりやすく、
一般的な物理科学に関した書物に比べると、哲学的な要素もあり、
興味をもって読めるところが結構ありました。でも、やっぱり難しい~(´_`。)

ホーキング博士については、以前このブログでも少し触れたことがありました。
たしか埴谷豊さんとの対談集である池田さんの著書「オン!」の中にも出てきていたはず。
こちら
http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2010-02-20

このときから、一風変わった科学者だとちょっと興味を覚えていました。
科学者でありながら、哲学的でもあり。。
今回の著書の中でも、科学と哲学に関わる発言をされていました。
哲学界に対して、かなり辛辣な言葉ですが・・

第1章 この宇宙はなぜあるのか?-存在の神秘 より
p10 
『・・現代において哲学は死んでしまっているのではないでしょうか。哲学は現代の科学の進歩、特に物理学の進歩についていくことができなくなっています。・・・』

では、神が存在するか否かについて、なにを根拠に述べられているのか。
ホーキング博士は、時間に始まりがあるのかそうでないのか、これに関わって説明をされています。
時間の始まりが宇宙創成の謎にせまるキーを握っているというわけなのでしょうか。

これに関わって一部引用。
(これに先立ち、世界の端について触れられています。時間の始まりについての議論は、世界の端についての議論に少し似ている。その昔地球が丸いと知らなかった時代には、世界の端がどうなっているのか不思議であったが、世界が平坦な平面でなく球面であると人びとが気付いたことによって解決された、ということが述べられています)

第6章 この宇宙はどのように選ばれたのか?-相対論と量子論の描く宇宙像より
p190~p191
『・・・しかし、時間は線路の模型のようなものです。もしそれに始まりがあったならば、汽車を走らせるような何者かーすなわち、神ーが存在していなければなりません。アインシュタインの相対性理論は空間と時間を時空として統合し、そして空間と時間が混合するという概念を盛り込みましたが、それでも時間は空間と別なものとして扱われ、始まりと終わりがあるか、永遠に続くかのいずれかでした。しかし、量子論の効果を一般相対性理論に加えると、ある極端な場合において大規模なゆがみが生じ、時間がもう1つの空間次元としてふるまうようになるのです。
宇宙が一般相対性理論と量子論の両方に支配されるほど小さいような初期の時代では、実際上の空間次元は4つあり、時間次元は存在しませんでした。・・・・』

非常に初期の宇宙にまで遡ると、時間はもはや存在しないということ、
それがなぜなのか、
下から4行目からの、「量子論の効果を一般相対性理論に加えると、ある極端な場合において大規模なゆがみが生じ、時間がもう1つの空間次元としてふるまうようになるのです。」
の部分が、その説明にあたるのでしょうが、量子論や相対性理論自体理解できていない自分には、
なんだかよくわからない。
ただ、初期においては時間は存在していない、4つ目の空間次元であったということ、そのこと自体を頭において次に続く文章をみてみると・・

p192
『時間を空間のもう1つの方向であるとみなすことは、世界の端を取り除いたのと同様に、時間が始まりを持つという問題をまぬがれることができるということを意味します。宇宙の始まりを地球の南極に、緯度を時間に見立ててみます。等緯度の円を宇宙の大きさに見立てれば、それは北に移動するにつれて膨張していきます。宇宙は南極において点から始まるわけですが、その南極は他のいかなる点とも同じようなただの点に過ぎません。南極よりも南には何もないので、宇宙の始まりの前に何が起こったのかという質問は意味をなさなくなります。・・・』

これに続いてホーキング博士は、
人びとは、宇宙に始まりがあると信じることを、神が存在する根拠として用いてきたが、時間が空間のようにふるまうと理解し、宇宙の始まりが科学の法則によって支配されていると考えることで、何らかの神によって動かしてもらう必要がないのだ、と述べています。宇宙は無から自発的に生成されたのであり、宇宙を生成して発展させるのに神に訴える必要はないのだと。。

ホーキング博士のおっしゃっていることは、なんとなくそれなりには伝わってきたように思えるのですが、
それでも、なぜ無からこのような宇宙が生まれてきたのか、という問いはやはりなくならなくて、
なぜ、宇宙は存在するのか、
なぜ、私たちは存在しているのか、
私たちは何者なのか、
このような疑問は相変わらずすっきりと解決されない。

ホーキング博士の、死後の世界は存在しない、
「天国は暗闇を怖がる人のための架空の世界」という主張についても、
そこまできっぱり断言してしまえるものなのか、自分の中で疑問が残ります。

それに、もし天国がなくて死後の意識というものがないなら、暗闇を恐れることもないわけで、
それなら暗闇を怖がる人のための架空の世界も必要ではなくなりますね。
どちらにしても、そのときにならないと真実はわからないのかも
(死後の世界や意識がなければ、それを認識することはできないけど・・)


ホーキング、宇宙と人間を語る

ホーキング、宇宙と人間を語る

  • 作者: スティーヴン ホーキング
  • 出版社/メーカー: エクスナレッジ
  • 発売日: 2010/12/16
  • メディア: 単行本



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2010年宇宙の神秘 [科学・宗教]


ハッブル宇宙望遠鏡などがとらえた神秘的画像の数々。
地上から眺める星々や、プラネタリウムでみる星座
あるいは、子どものころから図鑑で見慣れた宇宙の姿など
それらのどれとも違う、今まで目にしたこともないようなものもあり、
改めて、宇宙ってほんとに神秘的で不思議な存在なんだなと思い知らされます。
そして、そんな想像もつかないほど広大な宇宙の片隅に、私たちはこうやって佇んでいるんですね。

科学の進歩にしたがって、これからも今まで知られていなかったことが
もっともっと解明されていくようになるんだろうけど・・
だけど、なんでこんな不思議なものが存在するのか(私たちも含めて)ということは
おそらくどこまでいってもわからないんだろうなぁ。。
とうていわかりっこないとしても、神秘的な宇宙に思いを馳せて、不思議気分に浸るのは悪くはないですね。

リンク先のニュースサイトには、39枚の素敵な写真があります。
時間があるときにでも、じっくり眺めてみるのもいいかも。(少し前のニュースなので、すでにご覧になった方も多いかもしれませんが・・)



ところで・・ソネットブログの「メッセージを送る」機能って、とっくに使えなくなってたんですね。(知らなかったの私だけ?)
いやはや、使えなくなったことさえ知らなかったなんて、ほんとにネットの世界から取り残されてますね。
使えなくなったボタン、自分で外さなければいけないらしく、あちこち探してやっと完了。
ついでに、ここ数年ず~っとかえてなかった背景やらもかえてみた。
なんだか慣れなくて、まるで他人のブログみたい(笑)
それから、月別表示もさせてみた。
今まで月別表示もなかったし、カテゴリーも細かく分けてなかったから、
自分の書いた特定の過去記事を探すのも一苦労で(^^;)
2005年11月から今まで、並べてみれば、随分となが~くなるものです。
年々記事が減っていっているのもよくわかるし(苦笑)
この際だから、カテゴリーももう少しなんとかわかりやすくすべきかなぁ。
またこちらは気が向いたときにでも。(と言いつつ、できるかなぁ・・)

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はやぶさ帰還 [科学・宗教]



ソネットブログにもちょっと前から、AFPBBニュースリンクができるようになりました。
初めてこちらに貼ってみました^^
初記事は、このところ大きな話題として取り上げられている「はやぶさ帰還」のこと。
ワールドカップよりも(昨夜は試合最後までみてましたが・・)、民主党新内閣のことよりも、なによりも今関心のあるニュース。
7年間の宇宙旅行、さまざまなトラブルを乗り越えた上での地球への帰還
どれもこれもが、奇跡のように思え、まるでSFかおとぎ話のようです。

科学的知識のない自分には、「イトカワ」までたどり着き任務を遂行して帰ってきたことだけでなく
予定通り、オーストラリアの砂漠にカプセルが落下したことも、すごいことに思えます。
7年も宇宙を旅してきて、どうして狂いもなく見事に予定地点に落下できたのか。
ちょっとでも狂ったら、大変なことになっていたのかもしれません。
そこでは、私などには想像もできないような、物凄い計算がなされているのでしょう。
日本の科学技術も、なかなかのものですね。

それにしても、度重なるトラブルにも関わらず、地球からの指示をけなげにこなし
長い旅を終えて帰ってきたはやぶさ。
最後は大気圏で燃え尽きてしまった、あの姿を目にしたとき、ちょっぴり感傷的な気持ちになりました。生きものでもないのにね。
そして、高く高く天に翔けついには輝く星となった「よだか」のことが、なぜだか思い浮かんだのでした。
「よだか」は燃えつづけて、星になったのだけど、
「はやぶさ」は、宇宙の塵となってしまったのでしょうか。
それでも、忘れ形見のように、カプセルを地球に落としていってくれました。
中には果たして「イトカワ」の砂が入っているのでしょうか。
カプセルの中は、空っぽなのかもしれないけど。。
だけど、もしかしたら、何か宇宙の謎に一歩近づくようななにかが見つかるのかもしれません。
カプセルの中身が、今後の展開が、気になります。

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ダークマター [科学・宗教]

先日ネットのニュースでも流れていましたが、東京大学神岡宇宙素粒子研究施設内に建設中の
XMASSが、ほぼ完成し、実験の準備段階に入ったそうです。

読売新聞ニュースより
http://www.yomiuri.co.jp/space/news/20100212-OYT1T00164.htm
 「宇宙の23%を占めながら、従来の手法では観測できない謎の「暗黒物質」(ダークマター)を検出する“目”が、東京大学の神岡宇宙素粒子研究施設(岐阜県飛騨市)にほぼ完成した。・・・・」

XMASS実験について、神岡研究所HPにも写真付きで詳しく載っています。
http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/xmass/status.html
実験に使われる装置は、思ったよりも小さいのですね。


このニュースに先立つこと10日ほど。
地元新聞夕刊の「科学」欄にも、この暗黒物質(ダークマター)や暗黒エネルギー(ダークエネルギー)について取り上げられていました。
ダークマターって何?ダークエネルギーって??
まるでSF世界のようなネーミング。ちょっと神秘的で好奇心をかき立てられたりもする。
面白そうだったので、記事を切り抜いてとってありました。
ネットニュースよりも随分詳しく書かれています。

記事によると、この宇宙の組成は次のように分析されるらしい。
私たちの知っている物質は全部合わせても、宇宙の全質量の4%程度にすぎず
光も出さず触れることもできないダークマターが23%
残りの73%は今のところほとんど正体がわからないダークエネルギーと呼ばれるものなのだという。

こちらにも、詳しく解説がされています。
http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/xmass/darkmatter.html


私たちが見ている物質世界がわずか4%にしかならないなんて。
地球だ宇宙だ、科学だ・・・といって、すべてを見ているかのように、
わかっているかのように思っているものが、ほんの4%にすぎないなんて。
正直言って、驚きを通り越して絶句状態。。

ダークマターについて、考えられる候補として、「理論的には数多い」のだそうだ。
たとえば・・・
*1.超対称性理論で予言される粒子
*2.余剰次元があるとする理論で予言される粒子
などがあるとされている。
これらの粒子は私たちのまわりにもあって、人間の体を1秒間に1億個ほど通り抜けているという。
物質をほぼ素通りするが、たまに衝突することもある。その衝撃をとらえる実験が今回のこの「XMASS」などでも行われるのだという。

このような実験は神岡だけでなく、世界の他の国々でも取り組まれているらしい。
欧州では、なんとダークマターを直接作り出す実験も行われるのだという。
ダークマターって、目に見えないものなのに、作り出したあとでどうやって見るの?
とかよくわからない疑問もわいてくるのだけど・・
やはり、作っても見えるわけではないらしい。


これらの研究実験が成功すれば、謎だらけの宇宙について、新たにわかることがでてくるのかも。
なにせ96%は未知なるものなのだから。
これまでの自分たちの世界がひっくりかえるような驚くべき発見が、もしかしたらあるのかも。
そんなことを考えてると、なんだかわくわくしてくる。。


*1超対称性理論
知られている素粒子にすべてのパートナーの重い粒子があると考える理論。
その中で予言される「ニュートラリーノ」は暗黒物質にぴったりの性質を持つ。

*2余剰次元があるとする理論
空間には4次元以上の次元があるとする理論。
素粒子が点ではなく、ひも状だと考える「超弦理論」では、9次元の空間を考える。

この2の考えは、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」でも話題になりましたね。
実はこの本を見て(あくまで読んでではなく見てですが・・)今の物理学はすごいことになってるんだ、
とびっくりさせられました。苦手意識が強く、おそらく一生縁がないだろうと思っていた物理に、関心をもつきっかけになった1冊。

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宗教多元主義 [科学・宗教]

一昨日、たまたま宗教について書いたところ、次の日の夕刊に
それに関わる記事が載っていたので、驚いた。
以前にも、ちょうど自分が考えていることと同じようなことが、新聞記事に取り上げられていたり
ふらりと入った書店でたまたま手に取った本が、まさに探していた内容の本だったり・・・と、偶然の一致に驚かされることが何度かあった。
臨床心理学者の河合隼雄氏によると、こういうのを「意味のある偶然」と呼ぶのだという。
人の一生の間には、因果律で説明できない、このような意味のある偶然というべき出来事が、案外たくさんおこるものなのだという。

はっとさせられた昨夜の新聞記事。
意味のある偶然なのかもしれない。。これは、やはりこちらにも少し引用させてもらうことにしよう。


中日新聞11月19日付夕刊コラム
 「小説家と評論家」富岡幸一郎 より

『・・・・・遠藤周作は周知のようにカトリックの幼児洗礼を受けて、キリスト教を日本という異教の風土においてどう受けとめるかというテーマに一貫して挑んだ作家であった。しかし、それはたんに宗教と精神風土の問題にとどまらず、現代文明の大きな課題である宗教原理主義といわゆる”文明の衝突”を正面から受け取め考える道を示している。つまり、2001年の9月11日の米国での同時多発テロ事件をきっかけに突入した、「新しい戦争」の時代にたいして、「宗教多元主義」の可能性を遠藤の仕事は先駆的に呈示しているのである。・・・・・一神教(キリスト教)を全身全霊を以って受けとめたからこそ、遠藤周作は諸宗教にたいするコムプリヘンシブ(包括的)な理解をなしえたのであろう。「宗教」というものにたいする真のコムプリヘンション(理解)こそが、21世紀の人類の最大の課題である・・・・・』


宗教多元主義とは・・・

wikipediaによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E5%A4%9A%E5%85%83%E4%B8%BB%E7%BE%A9

この部分が気になるところ

「今でもいわゆる排他主義的な思想を採用している宗教者の中には、宗教多元論を激しく攻撃する者もある。排他主義と多元主義の論争は、今日多くの宗教の中に見られる現象である。キリスト教やイスラム教における論争がよく知られているが、それは一神教に特有なものではなく、仏教やヒンドゥー教などの多神教においても見られる現象なのである。」

これによると、宗教論争は、イスラム教やキリスト教に限らず、仏教やヒンズー教でもあるとのこと。
一神教だけでなく、全世界中の問題でもあるということだ。
宗教的な対立がなくなり、お互いの宗教を認めあえるようになれば、今起きている紛争も解決するものが随分とあるのだろうに。なかなか簡単にはいかないのだろうなぁ。ほんとに難しい問題だ。

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「宗教は最大の死因」~ナダルの衝撃発言より [科学・宗教]

敬愛するスペインのテニス選手、ラファエル・ナダルの最新インタビューが話題になっています。
インタビューでは、テニスに関することだけでなく、戦争や貧困、宗教などについても
触れられていて、中でも宗教に関わる発言は、あちこちに波紋をなげかけているようです。

どうやら、この発言が原因のよう

"To me, religion is the biggest reason of death in history"
僕にとっては、宗教が歴史の中で最大の死因だ

いつも見ているtennisnakamaさんのブログに、ナダル発言の内容が翻訳&要約され
わかりやすくまとめられています。

http://newyork.blog.tennis365.net/archives/article/223246.html


インタビューより。戦争や貧困、宗教に関わった部分

*****************************

Q:健康以外に気にかけていることは?

ナダル:今世界で起こっているいろんな悲惨な状況に心が痛まない人はいないと思う。貧困、誘拐、戦争、飢饉、世界の危機に無関心な人はいないはず。僕は特に子供たちが戦争や飢饉で命を落とすのが耐えられない。

Q:ナダルの理想的な世界とは?

ナダル:理想的な世界はあり得ないけれど、まず武器を破壊すること。よく人々は貧困が不幸の原因だと言うが、僕はインドで貧しいながらも幸せそうな人たちをみてきた。彼らは何もなくて道ばたで寝ていても顔は正直だ。ここでは豊かな生活をしているのに、不幸な人たちが多くいる。僕にも当てはまるけれど、僕たちがいかに恵まれているか、僕たちはよく見えていないんだ。 彼らから多くを学ぶことがあると思う。

Q:もし友だちがスペイン兵士としてアフガニスタンの戦場に送られることになったら? 彼への見送りの言葉は?

ナダル:何を言ってよいのか分からない。戦争に行くこと自体信じられないことだから。ラディカルな行動や思想が原因で世の中には悪いことがいろいろ起きている。他人の趣味や信念、意見を尊敬すれば防ぐことができる場合が多いのに。特に宗教についてはそうだ。(追加訳:宗教心のある人、無神論者、キリスト教信者ムスリム教信者、いろんな人がいてよいはずなのに。)宗教が原因であらゆる残虐行為が行われている。僕は宗教が歴史のなかで最大の死因だと思っている。

****************************


心優しく、純粋なナダルらしい発言。それに、ものすごく勇気ある発言でもある。
日本のような宗教の影響が比較的少ない多神教容認の国ならともかく、唯一神で神は絶対的なものである・・・というような国の人にとっては、このナダルの発言は、大いに問題ありなのかもしれません。

だけど、過去の歴史を冷静に眺めてみれば、このナダルの発言を、短絡的と批判して簡単にすますことはできないと思うのです。
少し前に、梅原猛さんの「梅原猛の授業 仏教」をパラパラと見ていたのだけど、この本の最初に、ハンチントンの「文明の衝突」について触れられた箇所がありました。
それは、「現在の世界史の大問題は、文明の衝突である」というもので、さらにその背後にはたいてい個々の宗教の問題が絡んでいる、というのです。
西欧文明にはキリスト教やユダヤ教、東欧文明にはロシア正教、アラブ文明にはイスラム教が。
インド文明にはヒンズー教、中国文明には儒教が、そして日本には土着の神道と混合した独自の仏教があり、アフリカには天地万物に命があるとするアニミズム的な信仰があるとしています。

生きとし生けるものすべてを尊重し共存していこうとする、仏教やアニミズム信仰に対し、キリスト教やイスラム教は、唯一神信仰であり、また人間が最も優れていると考える人間中心主義の信仰ともいわれています。
西欧で始まった科学技術の進歩も、このような人間中心的な考え方から生まれたものなのだという。
また、一神教の中でも、イスラム教は極端で、アラーの神しか神はいない、いっさいの偶像は認めない、他の宗教はぜんぶ邪道だという厳しい宗教なのだそうです。
だから、バーミヤンの仏像も壊してしまうことができたのですね。

宗教の名のもとに、これまでどれほどの殺戮が繰り返されてきたことか。
本来人の心を救うはずの宗教が、戦争の大義名分となってしまう
また、人を堂々と殺める原因ともなってしまう。これは、ほんとうに矛盾している。
他者を認めない宗教、自分たちの宗教だけが本当のものだと主張するのも、宗教の本来あるべき姿とはかけ離れてしまっているように思えるのだが。。
日本だって、オウム真理教の事件を思い出してみれば、このような問題が他人事とは言っていられないと思う。
宗教が本来の宗教から離れてしまい、その中にどっぷりと浸ってしまうと、真実がみえなくなってしまうのだろうか。


若干23歳の若者の発言だけど、実に重い言葉。
今回の発言をめぐって、テニス関連ブログなどで賛否両論の議論が行われているようです。

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科学と仏教 [科学・宗教]

前回、物理学者戸塚洋二さんのことについて書きましたが
再び、その話題から。

戸塚先生のブログA few more monthsには、病気のことや、科学のこと、人生や植物のことなど
多岐にわたって書かれてあり、中味の濃いものとなっています。
ニュートリノのことなどに触れた科学入門も、癌の治療や闘病記録にも
注目すべきものがありますが、とくに、佐々木閑さん「日々是修業」「犀の角たち」について
触れられた個所に興味をひかれます。

佐々木閑さんは、仏教を科学的な視点から説かれている仏教学者です。
仏教を科学的に説くというと、科学的な視点を踏まえつつ、
その内容は仏教のことが中心になっているのかなと思うのですが、
実際「犀の角たち」は、科学に147ページ、仏教に82ページと
科学に重きをおいた記述になっているそうで、ちょっと驚きです。

戸塚先生が、なぜ佐々木閑さんの本に興味をもたれたのか。
ブログのなかに、たびたび下のような文章が登場します。

「古代仏教は絶対的超越者の天啓を必要としない、というのが、他の宗教とまったく違うところです。また、物質と精神という対象は違うけれど、仏教の思想は科学とよく似ています。」

自身のことを『無神論者である。生前の世界、死後の世界の実在を信じない。輪廻転生も信じない。』
とおっしゃる戸塚先生も、科学と似ているという仏教、仏教を科学的に説明されている佐々木閑さんの本には興味をもたれたということなのでしょう。
無神論者と言いながらも、古代仏教の修業には興味をもたれていたということからも、
死を目前にして、仏教のなかに、人生の糧となるものを探してみえたのかもしれません。
それでも、あくまで科学的な視点からみつめ考えられていることがブログのなかにも
読み取ることができ、戸塚先生は、ほんとうに最後まで科学者でいらしたのだなぁと改めて思いました。


実際に、仏教と科学との類似について
とくに面白いなと思った考えの1つ

「さらにニヒルに。宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、いずれは消滅・死を迎える。遠い未来の話だが、「自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく」が、決してそれが永遠に続くことはない。いずれは万物も死に絶えるのだから、恐れることはない。」

この文章は、戸塚先生が、死の恐怖を克服する、諦めの考えの1つとしてあげられたものですが
この考えは、「仏教の輪廻転生のちの無(?!)」の考えと通じるものがあります。

「輪廻転生はさけられないが、悟りにいたったあとは、この輪廻転生から逃れられる
そして、そこから抜け出たのちにあるのは何もない世界、無である。」

こちらは、佐々木さんが本の中か対談の中かのどこかでおっしゃってみえること(ちょっと表現は違うかもですが、ニュアンスはこんな感じだったと記憶してます。)

科学でも、仏教でも、最後の最後には、無の世界になるということ。
それでも、そのまたさらに先には、宇宙全体の輪廻転生があるのかもしれない、ということもどこかでおっしゃってみえた。(立花氏との対談の中だったかも)
それであれば、人もそのようであるのか。無ののちにはまた輪廻転生を繰り返すということなのか。。
もうここまでくると、想像の世界でさえも追いつかない感じになってきます。

なんだか書いていてわけがわからなくなってきてしまいましたが・・
実はこんな具合に、ここのところ仏教と科学、科学的視点から人の生と死を考える、
などいったことに興味があります。
2年か3年前にも、般若心経を科学的に説いた絵本(タイトルも作者名も思い出せないけど・・)が
出版され、随分と話題になりましたね。
つい最近も、新聞記事で知ったのですが
「ハート・スートラ」という般若心経の世界を描いた映画が、
世界各地の映画祭で評価されているのだそうです。
この映画は、エッセイストひらやまれいこさんの心経の訳詞を、
夫である平山監督が、映画として自主制作したもの。
ひらやまれいこさんは、大学時代に学んだ宗教と、
当時注目されていた最先端の素粒子物理学とを合体させ、
般若心経の思想である「空=実体のないもの」が「大宇宙のエネルギーそのもの」で、
この世のすべての命は1つのエネルギーでできている、という解釈するにいたったのだという。

すでに、この映画は、ホノルルやメキシコの映画祭で金賞を、
スリランカの仏教徒国際映画祭でも準グランプリを受賞しているそうです。
スリランカはともかく、仏教国でないホノルルやメキシコでも受賞したということは、
意外におもえるのですが、洋の東西を問わず、
人々の心に訴えかけるものがあったということなのでしょう。
般若心経の世界が、映画の中でどのようにして描かれているのか
ちょっと観てみたい気もします。

作品は24分の短編映画。
そのうちに岐阜でも上映されないかな。

映画予告編~YouTubeより
http://www.youtube.com/watch?v=K0toHO03-z4
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あと数か月の日々を~物理学者・戸塚洋二 [科学・宗教]

先日(14日)NHKで戸塚洋二さんのドキュメンタリーが放送されていました。
なかなかよい番組で、何気なく見始めたわりには、最後まで目が釘付けになってしまいました。
昨年大腸癌でなくなった素粒子物理学者・戸塚洋二さん。
死の直前まで自らの癌を客観的に分析し、ブログに綴り続けてみえました。

番組紹介より
「謎の素粒子ニュートリノを研究し、物理学の常識を覆した戸塚洋二さん。その成果から、小柴昌俊博士に続きノーベル賞を受賞すると言われながら、2008年にがんで亡くなった。実験を通して生涯、宇宙の生と死に向き合った戸塚さんは、がんに侵された晩年、自らの病にも科学の目で向き合った。がん専門医も驚く病状の分析、近づく死への恐れなどをインターネット上のブログにつづっていた。がんを見つめた科学者の日々を追う。」


番組は、戸塚さんが綴っておられたブログの内容を中心に進められていました。
科学者らしく、自身の病気についても綿密に綴られており
転移した脳のCT画像を入手し、データ化したり分析したり。
その内容には医者も驚くほどだったという。
緻密に綴ることで、死の恐怖を克服しようとしていたのではないかと奥さんが語る。
ブログはさらに、病気についてのみならず、病気の進行にともなう心境の変化や
研究の内容、さらには奥さんの育てられている花々のことにも触れられている。
その中には、科学と宇宙、生と死が混在する不思議な世界が描かれていました。

番組のなかで、印象に残った言葉。
仏教を科学的に説かれている佐々木閑さんとの対話の中で、戸塚さんが語られた言葉より

『別の世界があるのかどうか死ぬ時それを確認できる。しかし、それを伝える方法がないのは科学者として残念なことだ。』

死への恐怖を克服する方法を尋ねられた戸塚さんが、ブログの中で答えられた言葉より。

『よく人はしたり顔に、「残り少ない人生、日一日を充実して過ごすように」と、すぐできるようなことを言います。私のような平凡な人間にこのアドバイスを実行することは不可能です。「恐れ」の考えを避けるため、できる限りスムーズに時間が過ぎるよう普通の生活を送る努力をするくらいでしょうか。
 「努力」とつい書いてしまいました。ここにある私の「努力」は、見る、読む、聞く、書くに今までよりももう少し注意を注ぐ、見るときはちょっと凝視する、読むときは少し遅く読む、聞くときはもう少し注意を向ける、書くときはよい文章になるように、と言う意味です。これで案外時間がつぶれ、「恐れ」を排除することができます。この習慣ができると、時間を過ごすことにかなり充実感を覚えることができます。』

ブログには、戸塚さんが取り組んでいたニュートリノについても書かれています。
ニュートリノってよく耳にしていたけど、いったいどういうものなのか
この番組をみるまではまるでわかりませんでした。
小柴さんがノーベル賞をとられ、その研究施設であるスーパーカミオカンデは
地元岐阜県神岡にあるのだということはわかっていたのだけど
それが、いかにすごいものであったのか、この番組を見て
さらには、戸塚さんのブログをみて、少しわかったようにおもえました。

戸塚さんたちの研究チームは、それまではニュートリノには重力がないと考えられていたことを
覆す研究成果を発表したのだという。
それによると、宇宙はいずれ縮小をはじめ、最後には無になってしまうことが予想されるのだという。
戸塚さんのブログには、ニュートリノのことについて、素人にもわかりやすく説明がされています。
番組をみたあと、さっそくブログに訪問して、科学入門の項目をじっくりと読んでみました。
学生時代からもっとも物理を苦手としていた自分が、どうして興味をもったのか。
実はこのところ、量子力学とか素粒子論とか言われる最新の物理学が妙に気になってるんです。
なぜなのか、それを書きだすと長くなりそうなので、ここでは触れないでおきますが。
いつか機会があったら、このことについてもあらためて書いてみたいと思います。  

ブログのコメントの中に、池田晶子という文字を発見。
池田さんと戸塚さんとを繋ぐものは何だったのか。
コメントを確認してみると、「2001年哲学の旅」のなかで
お二人は対談をされていたという。
この本はまだ読んでなかったので、意外なところで思わぬ繋がりがあるのだなと感心してみたり。
このときの対談で、池田さんは戸塚さんに
「自分が生きていることの不思議をどう思うか」
と質問をされたのだが、戸塚さんは
「それはあなたたちの領域でしょう。私はそういうことは考えません。」
というようにあっさりと答えられたという。
物理学が解明しようとする宇宙の法則は、個人の生死の意味といったこととは
まったく別個のことなんですよ、ということだったのでしょうか。
これは、戸塚さんがまだお元気だったころのことなのか
もし、病気になられた後、このようなブログを綴られるようになってからだったら
どのように答えられたのだろうか。

戸塚さんのブログ、内容も多岐にわたり、量もかなり
科学、宗教、生と死、自然、宇宙・・
どれもが興味をそそられる内容。
まだ読ませていただいたのは一部なので、これから何度か訪問させていただくことにしましょう。

戸塚さんのブログ→A few more months
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