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新型インフルエンザ再び [日々のできごと]

前回新型インフルエンザのことで記事を書いたことがありました。

http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2009-05-22

あのころはまわりでは大騒ぎしていたものの、まだ身近で感染した人はほとんどいなくて
どこかまだ遠いところのこと、というような気分でいたのですが・・
ここにきて、このあたりでも一気に感染者が増え、
もう四方をすっかり新型インフルで取り囲まれてる感じになってきました。

あちこちの学校で学級閉鎖や学年閉鎖、なかには学校閉鎖などもでているようです。
私のバイト先の生徒さんも、3週間前には学級閉のため2週間前には学年閉鎖のため、2週連続欠席
先週、3週間ぶりにやっとでてきてくれました。
本人は感染していなくて元気だったので、外に遊びに行くこともできず、さぞ退屈だったことだろうとおもい、「何をしてたの?」と聞いたところ、「おばあちゃんちに行ってゲームとかしてた」、とのことでした。
そうか、今の子たちにはゲームというものがあるから、それでは、私が心配するほど退屈してなかったのかも。


先週末、恵那市へバスケの試合に出かけた娘たち。
帰りの車の中ですでに、1人が体調が悪くなり、その後翌日になって1人
翌々日にはさらに2人、次の日にはまた1~2人とすごい勢いで感染が広まりました。
体調不良になっていた子たちは、最初熱がそれほど高くなかったりして
ただの風邪だろうと思っていた子もいたようでしたが、検査してみたら、結局みなインフル陽性。
あと感染していないのは、うちの娘と1年生の部員数名だけとか。
それで、当然の如くだけど女子バスケット部は現在部停止状態。
娘は今週ずっと、濃厚接触者として、毎日マスク着用で学校へ行っています。

不思議なことに、帰りの車で一緒に帰ってきた2年生部員は、5人中4人も感染しているというのに、
うちの娘だけは5日たった今も元気。
しかも当日の帰り、すでに体調不良を訴えていた子の隣に座ってきたというのに。
感染するのはもちろんいやだけど、まわりみんなが罹っているのに自分だけが罹らないというのも
それはそれでちょっと複雑みたい。。
でも、潜伏期間は最長で1週間だそうなので、これから週末にかけて症状が出ないとも限らないから
まだ安心はできないかも。
一方で、どこかで罹らないといけないのなら、早めに罹って免疫つけておいたほうがいいのかもしれないなぁとも思ってみたり。
親としてもなんだか、複雑な気分ですね。。

11月半ばには、一度延期になった修学旅行も予定されています。
それまで、この新型インフル騒動がそれなりにおさまって、みな元気に行ってこられるといいのだけど。
なにせ、1クラスで2名感染者がでたら、それでみなが行けなくなってしまうのですから。
ほんとうに当日までドキドキハラハラものです。
なんとか、無事に行ってこられるといいのですが。どうなることやら。

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「納棺夫日記」と宮沢賢治 [本(その他)]

映画おくりびとの感想をこちらに書いてから、「納棺夫日記」についても・・・と思いつつ
なかなか書けないままに、また1カ月が過ぎてしまいました。
でも、まぁこんなことは、今に始まったことではないんですけど。。

「納棺夫日記」は「おくりびと」の元になった作品なのですが、著者の青木氏が
自分の宗教観が反映されていないからなどの理由で、自分の作品とは別物として扱ってほしい
と希望されたということは、有名な話です。
実際作品を読んでみると、「納棺夫日記」の前半部分には「納棺夫」となった経緯や体験、
そのことに関する思いなどが描かれています。
しかしその半分以上を占めているのは、多くの宗教書からの引用文や青木氏自身の「生や死」に対する考え方について書かれたものでした。
その中には、あちこちでよく目にする本のタイトル、宗教家や作家の名前など、実にたくさん。
親鸞、釈迦、蓮如、道元、イエス、キュープラー・ロス、ゲーテ、宮沢賢治、金子みすず、「星の王子様」や「般若心経」、あるいは科学やアニミズムについてまで。
中でも、その中心となっているのは、主に親鸞の思想なのではないかと思えました。
親鸞の「教行信証」や「歎異抄」などから引用をしながら、特に青木氏がこだわったのは、不思議な「ひかり」のことでした。
親鸞が不可思議光と名付けたこの「ひかり」は、日常我々が見ることはできないのだという。
では、どういうときに出会うことができるのだろうか。
青木氏は、「人が死を受け入れようとした瞬間に、なにか不思議な変化が生じるのかもしれない」と言いつつ、そんな瞬間に、あの「ひかり」に出会うのではないだろうか、と語ってみえます。
私自身は、そのような自覚できるような経験はないので、その「ひかり」がどのようなものであるのか、はっきりとはわかりません。
でも、晴香とともに、長い間病院暮らしをした後にみた、山や木々の緑、桜の花が、それまでになく
美しく輝いてみえたのは、青木氏が言われる「世界が輝いてみえた」ことに、ほんの少しかもしれないけど通じるものがあるのかも・・・と思いめぐらすこともありました。
一方で、ただ単に、解放感によるものかもしれない、とも思えてきたり・・・で、やっぱりよくわからない、というのがほんとうのところです。

この作品の中に書かれている作家や引用文には興味深いものがたくさんあり、
中でも、宮沢賢治について書かれた部分には、とても興味を惹かれました。
最愛の妹「とし子」の死に臨んで書かれた「永訣の朝」を読み
妹「とし子」の死が、賢治にいかに大きな影響を与えたのか、初めて知ることができました。
実は、私が小学生のころ、宮沢賢治の童話集を何冊か読んでいたのですが
このような詩を書いていたことは、今まで知りませんでした。
たくさん童話を読んでいたものの、まだ幼かったせいもあったのか
宮沢賢治の作品の多くが、宗教的なテーマで書かれたものであるということには
ほとんど気がついていなかったようです。
晴香を亡くした後しばらくして、下の娘に「銀河鉄道の夜」の絵本を読み聞かせていたのですが
その時にも、この作品のことをあまり理解できていなかったように思います。
特に布団の中で眠い目をこすりながら読んでいたこともあって、内容の理解には程遠かったようです。
今回、この「納棺夫日記」の中で、「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニは、”賢治の分身”と書かれているところをみて
「あっ、そうだったのか!」
と初めて、この作品に込められた深い意味に気付いたのです。
それから、カンパネルラが、亡き妹「とし子」の分身だということに気付き、
さらには、ジョバンニの語る言葉に込められた意味は?乗客の言葉は?
いろいろ出てくる宗教的な表現に込められた賢治の思いとは?
などなど、さらにいろいろ知りたくなってきて、ネットであれこれ調べるうちに、
詳しく書かれたサイトをみつけました。
賢治の見た夢~銀河鉄道の夜→http://contest.thinkquest.jp/tqj2002/50133/

「銀河鉄道の夜」も宮沢賢治も、実に深い。
今まで、賢治の作品を読んでいながら、どこまで理解していたのだろうか。
これは、もう一度読みなおさなければ・・・
ということで、宮沢賢治の作品や、宮沢賢治について書かれた本など数冊、
図書館で借りてきました。
昔読んだ短編童話のあれこれが、まるで違ったものに思えてきます。
そうそう、宮沢賢治とともに、親鸞の「歎異抄」について書かれた本も同時に読んでいます。
「歎異抄」は「納棺夫日記」の中でも触れられていたものです。

この本から始まって、「飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ」それからキリスト教へ。
「銀河鉄道の夜」から宮沢賢治へ。
「納棺夫日記」から、いろいろなところへと広がっていきました。この本を読んでよかった。。

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雨の命日 [思うこと]

今日は、晴香の6回目の命日
朝から夜まで、ずっと雨が降り続き、晴香の命日らしからぬ一日でした。
これまで、毎年のように、この日はすばらしい秋晴れになっていたのですが。。

昨年の今日も・・・
aozora2.jpg

おととしのこの日も・・
aozora.jpg

真っ青な空は、晴香のイメージにぴったり
なのに今日は、青空の欠片も見ることができなく、残念でした。

それでも、午前中、私の両親と姪が来てくれ
午後からは中学のときの担任だった先生が、わざわざお参りに来てくださいました。
数日前にもNさんTさん母子が訪ねてくださったり。。
幸せ者ですね、母も子も。。感謝の気持ちでいっぱいです。


少し前に県立図書館で、本を数冊借りてきました。
その中の一冊が、「亡き子へ~死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言」若林一美編 
これは、「ちいさな風の会」という、子どもを亡くした親の会の文集に寄せられた、1200以上の
エッセイから80余編を収録したもの

こういった手記集のような類の本は、ここのところ読んでいなかったのですが
晴香の命日も近いということで、読んでみようという気持ちになったのかもしれません。

お子さんを亡くされてまだ数カ月、という方の文章からは
悲しみや苦しみの気持ちが生々しく伝わってきて
自分自身の当時の記憶が蘇ってくるようで、読みながらつい涙してしまいます。

それでも、1年、3年、6年・・・と、気持ちは微妙に変わっていくのだということ
時間というのは、人の心を少しずつ癒していくようです。
胸が張り裂けるような悲しみに日々悩まされることもしだいになくなり
普通に毎日を過ごし、笑い、楽しむことができるようになる一方で
それはそれで、なんとなく淋しくまた後ろめたくも、思えてしまう。
現実の世界に我が子がいないことに慣れ、いないことが普通になり
いっしょに過ごしたときのことが、まるで夢の世界のできごとであったかのように思えてくる・・
そんな複雑な気持ちや不思議な感覚は、経験した者にしかわからないのかもしれません。

いろいろ共感した中でも、とくに伊藤忠男さんの書かれた文がとても心に残りました。
「十年」というタイトルが付けられたその文章は、今の自分の心境と、よく似ているように思えます。
最後の部分だけ、少し引用させてもらいます。

『・・・子どもを亡くしてからは人生設計というものを考えたことはありません。
毎年毎年が生きられればいい、いや一日を大切に生きたい、
一生懸命に、頑張って生きるのではなく、その時その時を自分の気持ちに素直に生きたいと思う。
子どもはいつも心の中に生きている、自分に生ある限りこの子を思ってやりたい。』

今日でちょうど6年。
来年、再来年・・・そして10年、20年後の自分は、どんな思いでいるのだろうか。
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