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震災1年に思うこと [思うこと]

震災からきのうで1年。
被災地はもちろんのこと、国内外のあちこちでも追悼行事やコンサートなどが行われたようです。
テレビや新聞などのメディアでもさかんに取り上げられていました。

1年が過ぎておもうことは、民間レベルでのみなさんの取り組み方はほんとうにすごいということ。
被災された方々にも、その人たちの力になろうとボランティア活動などされている方々にも、
いずれの側にもいえることだけど・・・

何百キロも離れた岐阜の地にいると、
何事もなく世界が動いているようにおもわれ、あの大変な震災でさえも、
なにか現実味が感じられなくなってしまうようでもあるのです。。
そんなぬくぬくとした生活に浸っている自分が、どこか後ろめたくも感じられ、
なにかしなくていいのか・・・という思いがずっとどこかにあったような気がします。
とはいえ、実際に東北に駆けつけボランティア活動をする時間や行動力も持ち合わせず、
できることといえば、少しばかりの募金をし、そして祈ることくらい。
ただ、こんな風に感じているのは、おそらく私だけじゃなくて、
多くの人が同じようなおもいを抱いているのかもしれません。

民間レベルでの多くの人たちの行動力や想い、
それに比べて、官レベルでの不甲斐なさが際立った1年でもあったようにも感じられてしまいます。
東電トップ、保安院、政府や官僚・・
上にたつ立場にある人たちは、どうしてあのようになってしまうのか。
今回の震災はたしかに歴史的に見ても大規模なものであったし、
地震や津波の被害も、相当なものであったのですが、
どうしても考えてしまうことは、原発の問題がなかったならば・・・ということ。
事故前、事故直後の対応ももちろん問題だけど、
信じられないことに、あれほどの事態を引き起こしながら、
今また、安全が確実に確立されていないにもかかわらず原発を再稼働させようとか、原発を輸出するとか、さらに腰を抜かしそうになったことには、あの「もんじゅ」を実験的に再稼働させようという動きもあるのだとかいう。
もうこれは、どう考えてもわからない。原発にかかわる方々(もちろん現場で働く人たちのことではなく、電力トップや官僚、政治家など・・?!)の頭の中がどうなってるのか、想像するのも難しい。。。

これは、なにを大切にしていくのかという違いからくることなのだろうか。
原発がいかに負の遺産を後世に残していくのか、今回のことで思い知らされたはずなのに
(このことは本当は事故がおきる前からわかっていたことなのだが・・)


最後に、少し前に読んだ池田さんの『考える日々Ⅲ』の中に、
今回の震災、原発問題にかかわって、自分のなかでどうしても結びついてしまう一節があったので、
こちらに抜粋しておきます。


私の値段はおそらく〇円 p174~ L8~
『・・・・値段、すなわちこの世の価値とは損得だが、形而上の価値は善悪だからである。多くの人は、損得と善悪を間違えている。損なことが悪いことで、得なことが善いことなのだと思っている。しかし、これは、間違いである。
 得をするために人間が悪くなることが、どうして善いことなのだろうか。損をしても自分が善くなるのなら、どうしてそれが悪いことなのだろうか。
 内面の価値、すなわち魂の値段は、おそらく市場の価値とは反比例する。ごく稀に比例する場合もあるに違いないが、それはその人が、反比例の法則を自覚して、自覚的に生きているからである。ほとんどの場合、市場の価値が自分の価値だと思うことによって、その人の魂の値段は安い。』


若い頃は、ボランティア活動をされている人たちのことは、どうして見返りを求めることなく働くことに自ら進んで行こうとされるのか、理解ができなかったものでした。
私たちがまだ学生の頃は、ボランティアという言葉さえ今ほどには聞かれなかったくらいですから。
だけど、この頃では、このような無償の活動をなぜ進んでするのか、少しはわかるようになってきました。
少なくとも、彼らは損得からでなく、市場の価値からでなく、池田さんのいわれる形而上の価値というものを、本能的に理解しているからなのでしょう。おそらくそんな理屈など考えてから行動しているわけではないのでしょうけれど。
一方で、自分自身の価値を市場の価値から判断されがちな社会的成功者の場合は、どうしても損得から物事を考えてしまいがちなのかもしれません。
自分の市場価値があがればあがるほど、ますますそれが自分の価値だとおもえてくる。
上に立つものが、民のことよりもまずは自身や所属団体の損得や保身を考えてしまうというのも、なるほどという感じです。
今回の、原発事故に関わったトップの方々の言動をみても同じく。


”内面の価値、すなわち魂の値段は、おそらく市場の価値とは反比例する。ごく稀に比例する場合もあるに違いないが、それはその人が、反比例の法則を自覚して、自覚的に生きているからである。”

その人の社会的価値が高くなればなるほど、このような反比例の法則を自覚することは、難しくなるのかもしれない。社会的成功者でかつ謙虚で世のために貢献していらっしゃる方々は、おそらくこの法則をよく理解されていらっしゃるのでしょう。
できることなら、政治家や官僚、東電のトップに立つ方々にも厳しい自覚をもって、国民のために行動していただきたいものです。

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突然の訃報 [日々のできごと]

日曜日の夜、近所の知り合いのお通夜へ。
わたしよりまだ若くて、中学生のお子さんが2人。
うちのすぐ向かいのマンションで、このごろぜんぜん姿みないなあとおもってたら・・
病気だったことも知らず、突然の知らせにびっくり。

最後までフツーにすごしたいと、まわりの人に詳しく伝えず、
体調が悪いのにもかかわらず、PTA役員の仕事にもこの秋くらいまで
でてきてたのだという。

彼女との接点は、何年か前にマンションの役員をいっしょにしたこと。
そのときの一生懸命な働きぶりから、
おそらく最後まで、できることを精いっぱいされていったのだろうなあということが
想像されます。

なんだか、いい人ほど早くに逝ってしまうような気がするのは、気のせいなのだろうか?
私のように、気がきかなくて面倒くさがりのダメダメなのは、
自分の意思とは裏腹に、誰よりも長くこちらに留まるのかもしれない・・・

いっしょにした役員の仕事が終わってからは、
会うことも少なくなってしまったのだけど、
晴香を亡くした後、私のことを随分と気遣っていてくれたということ、
人づてに聞いて、彼女の優しさに、改めて涙・・
ありがとう、もう大丈夫だよ、と声に出して実際に伝えることはできないけど・・・

ああ、それにしても、もっといろいろ話しておけばよかった。。

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池田晶子さん、今年で5年 [池田晶子]

このところブログの更新が滞りがちになっています。
書けるのは、月に1度かせいぜい2度くらい、中には1度も書けなかった月もあります。
以前は書かずにいられないような気持に襲われたりもしたのですが、
そういう衝動のようなものが、徐々になくなってきたのかもしれません。

それでも、ニュースをみたり、本や新聞記事を読んだりすれば、
あれこれおもうことや、ちょっと書き留めておきたいなとおもうこともあります。
そのときにちょこちょこっと書いておけばいいのでしょうが・・
そのちょこちょこっと書くということがなかなかできない。
書き出せば、おもいは膨れ上がり、おそらくはちょっとでは済まなくなってしまうだろうから。
それに、すっきりと頭の中が整理されているわけではないから、
書き出せば、きっと悩みながら考えながら、思いのほか多くの時間がかかってしまうだろうから。
気がつけば、あのことも、このことも、書かずにきてしまったなあというのが本当のところ。

先日の23日は、池田晶子さんの5回目の命日でした。
私が池田さんのことを初めて知ったのは、彼女が亡くなった直後のこと、
あれから5年が経つのですね。
最初の1年目は、実にたくさんの作品を読みました。
「14歳の哲学」や「人生のほんとう」「あたりまえのことばかり」「残酷人生論」
「勝っても負けても41歳からの哲学」「暮らしの哲学」
これらのどれもが印象的なのですが、中でも「暮らしの哲学」は一番好きな1冊、
「残酷人生論」は今も私にとってバイブルのような存在です。

その後も、「知ることよりも考えること」「死と生きる 獄中哲学対話」などなど・・・
たくさんの作品と出会ってきました。
池田さんの作品との出会いは、私にとってなくてはならないものであったし、
それは今でもかわらず、そしてこれかもずっと。
その時その時で必要な出会いというものは、人と人の間に限らず、
人と書物、人と作家との間にもきっとあるのでしょう。

池田さんが亡くなられた後、当然新たに書かれることはないわけですが、
新シリーズが出されたり(これまでのものをまとめたり、新たな装丁で再販されたり・・)
これまでの作品も、絶えることなく版を重ねているようです。
作品を通して今も私たちに多くを語りかけてださっているようであり、
まさしく池田さんが日ごろおっしゃっていた「魂は存在し続ける」、これですね。

池田さんがよくおっしゃっていた、「善く生きることにこそ意味がある」
このことについて、しばらく考えていました。
娘を亡くした後にも、無常観に囚われ、不条理に憤りや虚しさをおぼえたものですが、
今回の震災を目にして、あのころ味わった強い感情が再び蘇ってくるような感覚を覚えました。
もちろんそういう感情を、しばらく忘れていたわけではなく、
年月と共に、少しずつ心の奥に奥にと仕舞い込んでいっていたと言った方がいいのかもしれませんが。。

人はいつか必ず死ぬ、
それなのに、たとえいかに生きたとしても意味があるといえるのだろうか。
そんなことを考えながらも、だからといって、
「人生に生きる価値はない」と中島義道著書タイトルの如く、言い切っておわってしまうのもなんだか虚しい。

そんな中、年末から年始にかけて、久しぶりに池田さんの著書を読んでみました。
「考える日々Ⅲ」、パートⅠとⅡはもうずいぶん前に読んだのだけど、
シリーズ最後であるこの本は、読みたいと思いつつ実際に手に取るまでにかなり時間が開いてしまいました。
いつでも読めるかなという気持ちと、なんとなく読んでしまうのがもったいないという気持ち両方からなのか。

この作品は、2000年の12月に初版が出版されているようですから、
かれこれ11年ほども前に書かれたことになるのですが、
中に取り上げられているニュースネタなどはともかく、書かれている内容自体は、
今にも通じる普遍なもの。
読みながら付箋だらけになってしまいました。

そんな中から、上に書いたことに関連する個所を、ちょっとだけこちらにもメモ。

『ソクラテスの意志』p243 L10~12
ある価値がその価値たりえるのは、それらを価値たらしめている精神がそこに自覚されているからでしかない。精神を自覚することなしに、いかなる価値も価値たり得ない。

この後、「生きる意味」について「善くあること」について、もうちょっと頭の中を整理したく、
以前読んだ『残酷人生論』を再び開いてみました。
今回はとくに、「善悪」「魂」「幸福」と、後半部分を特に中心として再読しました。

「幸福」人生は終わらない p225にはこんなことが書かれていました。

  人生は今回限りではない
  人生はこれで終わりではない
これである。この認識の厳しさこそが、善く苦しむための力なのだ。なぜなら、魂の完成形としての「神」もしくは「善」が明らかに見えている限り、人生が今回限りであるにせよ、それは徒労に終わったことにはならないからである。今回は今回で立派に完結するからである。
  どうせ死んでしまうのに
この半端な腹のくくり方が、いかに魂を堕落させることか。

 
> どうせ死んでしまうのに
この半端な腹のくくり方が、いかに魂を堕落させることか。

最後のこの箇所には、ガツン!と頭を叩かれたような気持になってしまった・・
以前読んだはずなのに忘れていたのか自分。


再び『残酷人生論』より
「善悪」善悪は自分の精神にある p161~

 人の世の「なぜ悪い」をめぐるあらゆる議論が不毛なのは、内容によって形式を問おうとしているからだ。道徳を倫理だと思っているからだ。しかし道徳は強制だが、倫理は自由である。倫理は、直観された善への必然的欲求として行為されるから、自由なのである。善は、決して強制され得ない。それは、欲求されることができるだけだ。

善とは道徳ではない。欲求されるものである。
魂を意識してあるよき精神にこそ価値があり、善への必然的欲求もおきてくるというわけなのだろうか。
魂、精神・・・池田さんの書物を読み考える上で、大切なキーワードですね。

もうちょっと考えてみたくて、今はフランクルの『それでも人生にイエスという』を読み始めています。
読み終えたらまた、ここに本のこと書きたい、けれど・・・できるかな?

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受験シーズン [家族]

今年もまた受験シーズンになりました。
昨年の今頃、インターネットで受験大学の情報を見ながら、娘とどこに出願するか、
どの教科で受験するのか・・などと、あれこれいっしょに話をしていたことが
懐かしくおもいだされます。
はやいもので、あれからもう1年。

1年前には、こんな記事を書いてましたね。→http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2011-01-15
経験できるだけでも、いいこと
親子共にひとつの目標に向かい合えたいい時
あとから振り返ってみれば、そんな風におもえるのかもしれないけれど、
ただ今受験真っ最中という人やその家族にとっては、やはりなんとなく落ち着かない、
気が気でない毎日なのかもしれませんね。

私のまわりにも、子どもさんが今年受験という方が何人かいて、
会うと、たいてい受験の話題になったりします。
みな、大変そうだけど、結構多くの人の口から「浪人覚悟」という言葉を聞きます。
手続き上のことは別としても、肝心のところでは、やはり子どもががんばるしか仕方がないこと。
いくら親がヤキモキしたってどうしようもないどころか、むしろそれだと逆効果なのかもしれません。
親は覚悟を決めたら、あとは子どもに任せて見守るしかないんでしょうね。

1年前のこの時期受験生だった娘も、大学生になった今年は
昨日から、はや春休み。
まだまだ寒い日々なのに、もう春休みなのかと、
これから3月いっぱいまでとは、なんて長い休みなのかと、驚くばかり。

1年間の約束で、娘は名古屋まで通学していたのですが、
いよいよ3月半ばから下宿生活を始めます。
岐阜ー名古屋なら十分に通える距離なのですが、
なんでも自宅から通うと、いつまでも親に甘えて自立できないから下宿したいのだという。
普段料理も洗濯もほとんどしないのに、いきなり一人暮らしをして大丈夫なのかと、
心配はつきませんが、娘の成長のためには、それもいいのかもしれない、
いや、むしろそのほうがいいのかもしれません。(いまだに娘のお弁当を作っている甘々母・・)
ということで、春から娘は家を出て、一人暮らしを始めることになりました。

今はそれほど感じないのだけど、
いざ娘が出ていったら、淋しくてしかたなくなるのかもしれません。
娘は親離れのとき
そして、私自身そろそろ子離れのときがやってきたようです。

たとえ離れているとしても、娘はいつまでも自分の子どもであることには変わりなく、
娘にとっては私は親であることには変わりないのだけれど、
もうちょっとお互いが今までよりも対等に話し合えるというか、
少しずつおとなな関係になっていけたなら、
そしたら、今までとはまた違った新たな親子の関係を築くことができるような気もしています。
娘と母親としてだけでなく、大人どうし女性どうし、
これから先、どんな会話ができるようになるのか、ちょっぴり楽しみでもあります。
そんなこと書いていても、実際週末には洗濯物かかえて帰ってきたりして・・・(^^;)

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24歳の誕生日 [日々のできごと]

随分と長いことブログさぼってしまいました。
前回更新から、あと少しで2ヶ月近くになります。
あれからいろいろあって、クリスマスや年末年始があって、
そして2012年も、はや4週間が過ぎてしまいました。
時が経つのは本当にはやいものですね。年をとればとるほど、
まさに加速度をつけてはやく過ぎ去っていくような感じがします。

一昨日の27日は、晴香の24回目の誕生日でした。
この日の夜は、夫も娘も用事があっていなかったため、
晴香と二人だけでささやかな誕生日のお祝いをしました。
4年前の誕生日にこんなことを書いていたのですが・・→http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2008-01-27
あれから、結局一度も晴ちゃんのためにとアルコール買ってきたことなかったんだった・・
もう24歳だから、元気だったらきっといっしょにお酒飲んでたんだろうなあ、と想像しながら、
この日、ワインで乾杯しました。

winebirthday.jpg

普段、ワインなら赤より白のほうが好きなのだけど、
今回は、勝沼醸造さんの「クラシック」の赤を。
これはさらりとして飲みやすくて、なかなか美味しかったです。
仏壇にもワインとケーキなどをお供え。アルコールってお供えしてよかったのかな?
まあ、仏さまもきっと大目に見てくださるでしょう。

今年晴香のために選んだ曲は、ブラーガの『天使のセレナード』
ぴあんの部屋さんからお借りしたものです。


24歳になった晴香の姿は相変わらず想像できなく、
私の中には、幼い時の晴香や15歳の頃の晴香がいろいろいて、その多くがとびきりの明るい笑顔。
その時々を共に過ごしてきたはずなのに、この頃ではなんとなくぼんやりとしたものに包まれてしまっているよう。
何かの歌詞に、「地上に降りた天使」というフレーズがあったように、
あの子は、もしかしたらほんとうに私たちのもとにやってきてくれた天使だったのかもしれない・・とふとそんな風にも感じられてしまうのはどういうわけなのだろう。。

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心を癒すもの~音楽の力 [音楽]

少し前の中日新聞夕刊に、被災地でピアノ教室を再開された、田中さんの記事が載っていた。
田中さんは、震災前から自宅で子どもたちにピアノを教えてみえたのだが、
津波で自宅を流され、現在は隣町のアパートに暮らしているという。
教室の再開もなかなか考えられなかった中で、ある日支援物質としてピアノが届けられた。
最初は迷いもあったが、「子どもだけは震災前のような暮らしをさせたい」という被災した親さんの願いを受け、教室を再開されたのだという。

教室に通う生徒さんのひとりSさんは、震災前より熱心に練習するようになったという。
きっと何か打ち込むものが欲しいんじゃないかな、と田村さんは考える。
しかし、中には「こんな大変なときにピアノなんて・・」と皮肉を言われることもあるのだという。

こんな大変なときにピアノなんて・・
こんな言葉を言う人がいるのですね。
実際、生活するのも大変な中では、ピアノどころじゃないよ、
っていう心境なのだろうけど。。
だけど、むしろこんなときだからこそピアノを、じゃないのだろうか。
ピアノを弾くことが無理な状況なら、歌でもいい・・

以前よりも熱心に練習するようになったという生徒さん、
その気持ち、わかる気がする。
現状を直視することも必要なのだろうけど、ずっとそればかりだと、
心が砕けそうになることもあるだろう。
音楽は人の心を癒す力がある、
何かに打ち込むことで、活力を取り戻すことだってできるかもしれない。
私自身、音楽によってどれほど慰められたことか。


田村さんの教室には、今、クリスマスツリーが飾られているそうだ。
そして、クリスマスソングが収められた真新しい楽譜も用意されたという。
優しく柔らかなクリスマスソングは、きっと、ピアノを弾く子どもたちやそのまわりの人たちの気持ちを和らげてくれることだろう。

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父のこと [思うこと]

ことしは9月や10月になっても暑い日が多く、
夏が長く秋が短かったような・・・
紅葉も遅れているし、まだまだ秋かな、とおもっていたら、
11月も半ばころになって、一気に寒くなってきました。
秋はちょっとで、いきなり冬がやってきたみたい。
長い夏のせいで、季節や時間の感覚がおかしくなってしまったのかも。
でも、もういつの間にか12月なのですね。

このところ、しきりに届くのが、友人からの喪中年賀欠礼状。
数年前から、目立つようになってきました。
私たちの親世代は、大半が70代から80代前半くらい。
友人や同世代の知り合いからも、父が具合が悪くて・・とか、母が入院して・・
などという話をよく耳にするようになりました。

私の父も今年82歳、母は76歳になります。
ここ数年、随分と弱ってきてしまったなあと感じています。
父は、20年近くも前に脳卒中で倒れ、以来、右半身が不自由です。
最初は歩くこともできなかったけれど、懸命なリハビリのおかげで歩けるようになり、
その後、左手だけで操作ができる改造車を運転したり、畑で野菜を育てたり、
障害者のグランドゴルフ大会で優勝したりと、不自由ながらもできることにどんどんと挑戦し、元気を取り戻していました。
それでも、80歳に近づいたころから、体力の衰えを感じ始めたようで、今では歩くのも一苦労な様子。
そんな状態でも野菜作りは続けている、これはほんとうにもう、気力というか精神力と言うか、それだけで頑張れているのだろう、我が父ながらほんとにすごいと思う。
そして、自らも膝関節の痛みと闘いながらも、父を支えてきた母にはご苦労様と言いたいのです。

そんな父が、数週間前に、帯状疱疹を患いました。
思うようにならない体で、同じことをするのにもずいぶんと時間がかかってしまう中で、
畑仕事を長時間頑張りすぎ体力がおちていたのかもしれません。
湿疹が消えてからも、痛みがあるとのこと、
麻酔科のある総合病院を受診するようにと、今は勧めているところです。
親というのは、いつも子どもの心配をしてくれるものだったのですが、
いつのまにか、子どもの方が親の方を心配する年になってしまったようです。
なにもできなくても、顔をみせに行くだけでもいいから、今までよりももっと
ちょくちょく親の元に出かけていかなくてはいけないなあとつくづく思うこのごろ。

それにしても、父の姿から、改めて感じるのは、
人が一生を生きるのは、なんと大変で苦しいことが多いのかいうこと。
もちろん、うれしいことも楽しいことも感動することもたくさんあって、
苦しいことばかりではないのだろうけど。
だけど、死にたくなるような苦しいこともおきる、それも1つや2つでなく。
こんな大変なことがあったから、もうこれからは・・・と思っていると、
次にまたもっと大変なことがおきたりする。
なんで自分ばっかり、なんで我が家ばっかりに・・とそんな時にはおもってしまうのです。
私も、晴香が病気になったとき、どれほどにかそう思って神さま仏さまをうらんだことか。
でも、今おもうに、人には形は違えども、みなそれぞれに苦しみには、
一生の間には必ず出会うようになっているのに違いないのでは・・ということ。
どの苦しみが一番苦しいとか、あれのほうがましだとか、こっちの方が大変だとか、
そんな苦しみ比べや、不幸比べなんかしたって仕方ないことだけど。。
そして、自分が遭遇した苦しみを、どれくらい苦しいと感じるかは、人によっては違いがあるのかもしれないけれど。。

苦しみが避けられないものであるならば、「苦しみがあってあたりまえなのだ、生きているのだから・・」と受け入れてしまった方が、気持ち的には楽に生きられるのかもしれない。

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「RAFA MY STORY」 [本(その他)]

先日読んだ本の1つ、「RAFA MY STORY」
これは、映画「インビクタス~負けざるもの」の原作となる作品を書いた、
ジョン・カーリンと、ナダルとの共著ということになっています。
しかし、ナダルが口述したものや周辺の人たちが語ったことを、
カーリン氏が文章化しながら、読みやすく解説をしているというのが実際のところのようです。
負けざるものの原作は読んだことがないのですが、
映画はなかなか面白くて、そのもととなったネルソン・マンデラ氏の伝記も、
おそらくはよく書かれていたのだろうと思われます。
このナダルの自伝も、構成も上手く考えられていて、文章(翻訳ではあるけれど・・)も読みやすくて、
結構分厚い本であるにもかかわらず、一気に読んでしまいました。

2005年の全仏オープン決勝をみて、どこまでも諦めない姿に衝撃を受け、
それ以降、特にグランドスラムに関しては、ほとんどかかさず観てきました。
どんなピンチの場面でもあきらめず、どんなチャンスにも冷静で、
いつも闘争心あふれ、メンタル面の強さはぴか一。
そんなコートの中のイメージとは裏腹に、実際のナダルは、
暗闇や雷、犬さえも怖がる臆病な面や、まわりの人にも影響をうけやすい、
とてもナイーブな一面をもちあわせている、
不安・恐怖があるからこそ、それを押し隠し、
コートの中では強い自分になりきるようにいいきかせるのだという。
この本を読んでみて、これまで抱いていたイメージと随分と違う面がみえてきました。
叔父であり、コーチである、トニー・ナダルについても、
これまでのイメージを覆すようなところがあって、ちょっとびっくり。
まるで哲学者のような含蓄のある言葉を語る、いつも冷静なコーチというイメージだったのだけど、
この本を読むと、どうやらそれほどいつも冷静にいるわけでなく、
結構な短気で気まぐれな一面もあるのだとか。
ラファに対しては、将来のことを考えて、ラファのために・・・
ということには違いないのであるけれど、まわりの人から、
いじめではないかと思えるくらいの厳しさでラファに向かっていったトニーコーチ。
よくぞこの鬼コーチともいえるトニーに、ここまでついてきたものだと、
だからこその強さ、そして謙虚さなのだと、
改めて、考えさせられ、感心させられることがたくさんでした。



以下気になる箇所のメモ、感想など

トニーの言葉から  p61 
「彼は世界の中での自分の立場をわきまえている。誰もがそうあるべきだ。自分は偉大だと思っていても、世界はもっと大きいのだ。」

「すべてを手に入れた人物が他人に横柄に振舞うのは許せない。出世すればするほど、ますます他人に敬意を持って接するべきだ。・・・・・私も彼の両親も、優れたテニスプレーヤーになる以前に、優れた人物であれと常に言っている」


ナダルが、足の怪我のためテニスを離れていた後に、語った言葉から p136
「どの試合も、どの練習も、それが最後だと思ってプレーしなければならない」

初めて怪我によりテニスができなくなったとき、これまで手にしていたものの価値を改めて実感。
同時にアスリートとしての寿命の短さやいつそれがさらに短縮されるかもしれないと
認識するようになり、無駄にできる時間はないのだと思うようになったという。
そして、選手生命の終りを目の当たりにし、怖ろしい経験をしたことで、
精神的に強くなったのだとも語っているのです。
困難や苦労を乗り越え、テニスのできる幸せを噛みしめながら、
さらにエネルギーに変えていったのですね。


フェデラーとの世紀の対戦(2008年ウインブルドン決勝)
2セットオールで最終セットを迎える直前ナダルが考えていたことなど  p154
「第5セットが始まるのを椅子に座って待っている間、前の2セットを取られたことを嘆いたり、最後のタイブレークで5-2とリードしていたのに取られなかったことを引きずったりはしなかった。ダブルフォールトは終わったことだから忘れた。我慢とは受け入れることだ。物事を思い通りにしようとせず、あるがままに受け入れる。そして後ろを振り返るのではなく、前を見る。つまり自分の置かれている状況を把握し、冷静に考えることだ。」


全豪オープン優勝から学んだことについて、ナダルの言葉より   p199 
「・・・勝てるチャンスがどんなに小さくても、決してあきらめず、能力の限界まで自分を追い込み、運を試さなければならない。メルボルンでのあの日、これまでよりずっとはっきりと、試合に勝てるかどうかは心次第で、気持ちをしっかりと強く持っていれば、痛みも含めてどんな障害でも乗り越えられると分かった。心であらゆることを打ちまかせるのだ。」


この全豪オープン準決勝は、同郷のベルダスコと実に5時間を超す試合をし、
心身ともに疲れ果て、めまいと体の痛みで、とても決勝戦を戦えるような状態ではなかったという。
トニーコーチの言葉によって、気持ちを奮い立たせ、決勝に向かったのだという。
そして、みごと優勝!誰もがナダルのことを超人と感じた瞬間でした。
その舞台の裏には、こんなやりとり、ナダル自身の心の葛藤があったのですね。


両親の離婚、相次ぐ怪我による戦線離脱を余儀なくされ、辛い2009年を送り、
その年が終りに近づいたころ、トニーがナダルに言った言葉より  p215
「もう十分だろう。・・・問題を抱えながらも前に進み続けている人は沢山いる。自分だけが例外だとでも思っているのか?」


このころ、メディアでは、ナダルの完全復帰は無理だろうと引退説まで囁かれるようになっていました。
しかし逆にこのことで刺激を受けたナダルは、復帰して引退説を一蹴したいと思うようになり、
そんなときに向けられたトニーコーチのこの言葉、まだ膝の痛みは完全に消えていなかったけれど、
2010年最初のグランドスラムである全豪オープンに向け、フルトレーニングを開始したのでした。
全豪こそは、膝の悪化に寄り途中棄権となってしまったけれど、その後の全仏、ウインブルドン、全米
そろって優勝し、生涯グランドスラムを達成したことは、みなさま(おそらくは)ご存知の通り。


生涯グランドスラムを達成するような一流テニスプレーヤーが、
試合中にどんなことを考えているのか、その心の中の葛藤が生々しく語られているということでは、
テニスをする人にとって、この本はとても興味深いものと言えるのだろう。
もしかしたらテニスに限らず、どのスポーツにも通じるものがあるのかもしれない、そういう意味では
他スポーツををする人にとっても同じく、興味深いものであるのかもしれない。
そして、スポーツをしない人にとってもまた、ナダルや彼の周辺の人たちの生き方からは、
得られるものが多いのではないかと思うのです。
どんなに出世しても、奢らず謙虚に、いつもと変わらない生活を。
あきらめない、努力を続けることの大切さ・・・
そして暖かい家庭というものが子どもの成長過程において
いかに大切で大きな影響を及ぼすものであるのか。
本当の強さとは、優しさとは何か・・・そんなことも考えさせられてくるようであり、
この本もまた、永久保存の一冊になりそうです。


ラファエル・ナダル 自伝

ラファエル・ナダル 自伝

  • 作者: ラファエル・ナダル
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2011/09/30
  • メディア: 単行本



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20万アクセス! [HP・ブログ]

このところブログの更新が滞りがちになっていますが、
いつの間にかアクセス数が、20万を超えたようです。
何日だったのかははっきりしませんが、おそらくは今月の上旬あたりだったのではないかと思われます。
前回、10万アクセスになったときが2010年の2月だったので(そのときの記事→http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2010-02-04
あれから、1年と8カ月。
10万アクセスになったのが、ブログを始めてから4年とちょっと過ぎたころだったので、
その時と比べても日々のアクセス数がかなり増えていることになります。
更新は少なくなっているのに、ちょっと皮肉なようですが・・
私がブログを始めたころよりも、ここ数年、インターネット人口が急速に増えていることも、あるいは関係しているのかもしれません。

今回もまた、記事別のアクセス数を調べてみました。
アクセス数の多かった順に、15番目まで。


1.陸田真志  2,614('08.6)
2.命のメッセージ展~鈴木共子さん  1,527('08.5)
3. 『 いのち~8人の医師との対話』柳田邦男~臓器移植法改正案にかかわって      1,293('09.6)
4. 吉田拓郎「ガンバラないけどいいでしょう」 1,211('09.2)
5. 中島義道  936('10.7)
6. 「15歳の志願兵」 914('10.8)
7. 子どもを亡くした親の気持ち 902('05.12)
8. ある少女の選択~"延命" 生と死のはざまで 826('10.12)
9. プロフィール写真 897('05.11)
10.インターフェロン治療  816('06.9)
11.「サヨナラの向こうに」細谷亮太先生 815('08.7)
12.あと数カ月の日々を~物理学者戸塚洋二 806('09.7)
13.追悼池田晶子 768('08.2)
14.本田美奈子さんの告別式 695('05.11)
15.池田晶子さん  685('07.3)

(2011.10.16 総アクセス数201,177時点)()内は記事を書いた時


一番多かったのは前回と同じ「陸田真志」の記事、
検索するとこのブログの記事が最初の方にあがってくることが関係しているようです。
何故かはわからないのだけど・・・
次に多かったのは、鈴木共子さんのことや命のメッセージ展について書いた記事。
「鈴木共子」さんの名前での検索が、結構多いようです。
各地で講演会をされたり、映画の上映会が行われたり、メッセージ展が開かれたりと、
精力的に活動されていることが、このブログへの検索、アクセスにも繋がっているのかもしれません。
鈴木共子さんは、以前岐阜で映画上映があったときにほんと少しだけお会いしたことがあるのですが、とても素敵な方です。これからも活動、頑張ってほしいと思います。

他には、テレビで放送されたドキュメンタリー番組についての記事や、
中島義道さんなど、人物名での検索も多いようで、こういった記事へのアクセスが多かったようです。
そんな中で、ずいぶん以前に書いた「子どもを亡くした親の気持ち」へのアクセスが急に増えていることには、ちょっと驚きでした。
この記事がきっかけで、我が子を亡くすという同じような経験をされた方が、このブログへ訪問くださっているのかもしれませんね。
この記事は、ブログを始めてまだまもない2005年の12月に書いたもの。
読み返してみて、こんなことを感じていたのだなぁとしみじみ当時のころが思い返されてきます。

前回比較的多かった、池田さんについて書いた記事へのアクセスは、全体の割合からみると少し少なくなっているようです。
それでも、コンスタントに細々とだけどアクセスが途切れないであるということは、池田さんという方が亡くなってもなお、関心を寄せる方が確実にいらっしゃるということ、
著作も今もなお売れ続けているようですし、おそらくはこれから先も読み継がれていくに違いないでしょう。
最近、忙しくてちょっと疲れ気味のせいもあって、あまり本を読めなくなっていたのですが、そろそろ活字が恋しくなってきました。
ぼちぼちまた読書に励んでいきたいなと思っています。記事に書けるかどうかはわからないけれど・・・

まとめるつもりが、とりとめもなくなってしまいました。。
たくさんのご訪問、どうもありがとうございましたm(_ _"m)

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8回目の命日 [思うこと]

10月2日、晴香の命日は晴れることが多いのですが、
今回は、晴天とまではいかないけれど、ときどきお日様が顔を出す爽やかな日になりました。
ちょっと風が冷たくて、10月上旬にしては肌寒くはありますが・・

昨日は、私の両親と姪がおまいりに来てくれました。
姪は、現在大学4年生、来春からは社会人に。
そして妹の沙織は大学1年生、もうすぐ19歳になります。
2人とも晴香より年下だったのだけど、いつの間にかなくなった時の年(15歳)を越してしまいました。
晴香はお姉ちゃんであり年上であるけれど、2人の感覚としては年下のような妹のような
不思議な感じがするのでしょうね。

cosmos.jpg
写真はお供えの花、コスモスにすすき、秋のイメージです。
母は、「コスモスをみると、涙がでてしまう。晴ちゃんが亡くなった頃も、ちょうどコスモスがあちこちに咲いていたから・・・」と。
そう、8年前の今頃、山岡のお庭にもコスモスが綺麗に咲いていたのでした。
悲しいこともいっしょに思い出してしまうけど、それでもあえてコスモスの花を飾りました。
晴香は、どちらかというと、あたたかでほのぼのとしたたんぽぽや、
青空に向かって真っすぐに咲いているひまわりのような明るいイメージで、
ちょっと儚げで淋しげな感じのコスモスやすすきは、むしろ私たちの心情に合っているのかも。


013.JPG

上の写真は、晴香が小学1年に転校した時、クラスメートからいただいたお手紙や折り紙など。
ずっと仕舞い込んであったのだけど、春に大掃除をしたときでてきたもの。
習いたてのたどたどしい字で書かれた手紙やメッセージ、男のこが折ったと思われる折り紙などなど。。
ずいぶんまえのことで忘れてしまっている名前も多くあったけれど、
顔も浮かんでくるくらいはっきりと思いだせる子の名前もあり、
懐かしくて、最初に見つけたときには、しばし食い入るように見入ってしまいました。
中に、とても印象に残る言葉が書かれたメッセージカードがありました。

014.JPG

「ほんよみカードあったかいね」
他人が聞いたら何気ない言葉なのかもしれないけど、
母親である私には、いかにも晴香のいいそうな言葉だなあと、そしてそれを言った時に見せたであろう表情ーそれは屈託のない笑顔ーが浮かんでくるようで、とても印象的な言葉。
メッセージカードの中の言葉が、そのまま晴香自身のイメージに重なり、どっと私の中に流れ込んでくるような感じ。

以前、晴香の誕生日に、いろいろな場面の記憶がしだいに遠ざかり薄れていくようで淋しい・・
と書いていたように、細かな記憶自体は、だんだんと曖昧になっていってるのだけど、
このようなイメージというか、観念的なことというか、こういうことは、年月が経っても、
薄れることはないんですね。むしろ細かな部分が薄れている分、反対に余計に膨らんでいるというか。

昔のお友達の言葉が、なんとなくほっこりあったかな気持ちにさせてくれました。
みんなありがとう、そして小学1年のときの晴ちゃん、ありがとう^^



※しばらくブログ書けないでいました。
このまま消滅するのかなとも思ったりしてましたが、
晴香の命日を機に、再び戻ってくることができました。
もうちょっと続けたほうがいいよ、ってことかな、晴ちゃん!

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