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「いのちより大切なもの」 [星野富弘]

昨年出会った本の中からもう一冊、
星野富弘さんの詩画集『いのちより大切なもの』

星野さんのことはいろいろなところでお名前を拝見していましたし、
その作品もどこかで目にしたことはありました。
数年前に読んだ、柳田邦男氏の『言葉の力、生きる力』の中でも
紹介されていましたし。
そのころからちょっと気になっていて、いつかじっくり読んでみたい
見てみたい、とおもっていたのでした。

そうおもいながらもなかなか作品を手に取る機会がないままになっていたのですが、
昨年末ころ、偶然にこの作品に出会い、そのタイトルに惹かれ、
迷わずその場で購入したのでした。

星野富弘さんの描かれる花の絵は、色彩鮮やかで生き生きとして目を惹かれますが、
その絵以上に、花の絵に添えられた詩が素晴らしく、
読んでいて、心にじんわり沁みてきます。

この作品には、ところどころに星野さんのエッセイが書き加えられており、
絵や詩以外からも、星野さんのおもいをさらに知ることができます。
3.11の震災後に出版されたこの作品には、震災当日のことや、
その後の彼のおもいなども書かれています。

若いころの事故により、手足の自由を奪われ、
絶望の中から「生きる」ことや「いのち」について見つめ続けてきた星野さんだからこその
深いことばが詩画集とともに伝わってきます。

その中でもとくに惹かれた部分。

 『この災害で多くの方がいのちを亡くされました。昨日までそばにいた家族が、友人が、突然いなくなってしまったのです。いのちがいちばん大切だとしたら、健康で長く生きることだけが価値ある人生なのだとしたら、生きるのは、あまりにも悲しくて苦しい連続ではないでしょうか。』

 『私は以前、「いのちより大切なものとは?」と聞かれた時には、こう答えていました。「その答えはこうですよ、と言うことは簡単だけど、きっとそれは意味のないことです。自分で苦しみながら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです」と。』


「いのちより大切なもの・・」この星野さんのことばに、自分のおもいや、
日ごろ自分が抱いている違和感とも重なり、共感を覚えたのでした。
といっても、命を軽視しているわけではなく、
いのちが大切なものであることはもちろんのことであるし、
自分のいのちも人のいのちも大切にしなければいけないことは当然のことでもあります。
また、星野さんもおっしゃっているように、せっかく与えていただいたいのちなのですから、
より良く生きたいともおもうのです。

そういうおもいとは別に、
「命より大切なものはない」とか「この世の中で一番大切なものは命」
よく言われるこの言葉に対する違和感、
同じ違和感を星野さんも感じていらしたということがわかり、
なんとな嬉しいような気持になったのでした。

星野さんは、口に筆をくわえ絵や文を書かれるようになった2年余り後に、
病室にてキリスト教の洗礼を受けていらっしゃいます。
詩の中には度々「神さま」という言葉が登場しますし、
他にも「キリスト」「マタイの福音」「許す」・・・などの言葉が。
キリスト教洗礼の影響が、詩画集の中にも多くみられるようです。
私には特定の宗教を信じる心はないのですが、
宗教を超えて伝わるものが、ここにはあるようにおもいます。

口に筆を加えて描かれたとはおもえない、鮮やかに緻密に描かれた絵と
それと一体になった詩、どの作品も素晴らしく見ているとしみじみ癒されます。
この本もまた、私の傍らにいつまでも置いておく一冊になりそうです。



最後に、柳田邦男著「言葉の力、生きる力」の中から。

『人は身体が不自由になった時、心で生きる。
 人は身体が動かなくなった時、心で世界を見る。
 心が身体の分まで生きる時、心は言葉に魂を投影させる。だから、その言葉はいのちの響きを持つのだ。
この十年余り、星野富弘さんの詩画集を折々に開いては、絵筆がたどった跡をゆっくりと追い、言葉を一行ずつ 区切って静かに音読するという読み方をしてきたが、その度に右に書いたことを想う。』



いのちより大切なもの (Forest books)

いのちより大切なもの (Forest books)

  • 作者: 星野富弘
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2012/11/08
  • メディア: 単行本



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震災から2年~『魂にふれる~大震災と、生きている死者』より~ [若松英輔]

あれから2年。
テレビ画面に映し出される被災地、
直後の瓦礫が多く取り除かれ、一面の更地になった町。
かつてはそこに家があり、人々の生活がありました。
いまだに町の再建は進まず、多くの方々が避難生活を強いられていらっしゃいます。
”原発再稼働”なんて言っていないで、被災地の人々の生活を取り戻すこと、
なにより先に進めていってもらいたいものです。

生活のための街や家、仕事・・
多くの方から、大切なものを奪っていってしまったけれど、
これらは努力していけばもう一度得ることも可能なものでもあります。
(ただ、元のままの故郷を取り戻せないという悲しい現実はありますが・・)
しかし、どんなに努力しても、どんなに叫んでみても、
決して取り戻すことのできないもの、
それは、亡くしてしまった大切な人のいのち。

子どもを、妻を夫を、母や父を亡くした人たちの悲しみの声。
「どうして自分だけ生き残ったのか」
「自分もいっしょに逝きたかった」
「自分だけ生きていて幸せになって申し訳ない」
「助けてあげることができなかった・・」「もっとこうしてあげればよかった・・」
どれもこれも、かつて自分が感じた思いと重なり、おもわず胸が目頭が熱くなります。

「悲しくて悲しくてどこにも誰にも気持ちをぶつけることができず
悶々としていたけれど、震災後に家族を亡くした人たちの集まりにでて、
そこで初めて自分の気持ちを言葉に出すことができた。
同じような立場の人と語ることで、初めて気持ちが楽になった・・」
こんな風におっしゃった方、
これを聞いて、池田晶子さんがかつて書いていらっしゃった言葉をおもいだしました。

「死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、
医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である」
『あたりまえのことばかり』より

同じような経験をした方たちと語り合うことにより、
この方の気持ちは楽になった・・・
同じような経験をしたもの同士だからこそ、発せられる言葉はきっとその方の心のなかに
しみじみと沁み渡っていったことでしょう。
その方自身も、普段言えない言葉を発することができたのでしょう。

私自身、晴香を亡くしたあと、
ネットを通じて同じような方々の集まりに参加させてもらい、
書き込みをさせてもらったり、自分の書き込みに対してコメントをいただいたりして、
気持ちが楽になったことが何度もありました。
また、図書館や書店へも通い、多くの本を読んできました。
それらのほとんどといってもいいくらいが、娘を亡くす前とでは
あきらかに種類が変わっていました。
それらの中に、自分の心の救いとなるようなものや、
自分が悩み疑問におもうことへの、わずかでもいいから答えになるようなもの
手がかりになるようなものを、求めていたのでしょう。
読んでいてハッとさせられた言葉には、付箋を付けたり、本の端を折り込んだりし、
ブログに改めてまとめて書いてみたり。
書きながら、考えながら、そうこうするうちに、頭のなかが整理できたり、
気持ちが落ち着いたり。
こんな風にして9年あまりやってきました。
どん底にいた自分にとって必要としてきた言葉、
その言葉を読み、考え、書くことによって、随分と救われてきました。

震災後にも多くの本と出会いました。
その中から昨年読んだ一冊が
若松英輔氏の『魂にふれる~大震災と、生きている死者』

震災後に書かれた哲学エッセイのいくつかをまとめたもの。
池田晶子さんのことに多く触れられており、それだけでも興味深いのですが、
他にも柳田國男、小林秀雄、フランクル、神谷美恵子、西田幾多郎など、
なじみ深い人たちについても書かれていました。
エッセイのひとつひとつ中身が濃く、じっくりと時間をかけて読みました。


『やりきれなくて、悲しくて、独り、死者に呼びかける、どうすることもできなくて、呻く人の思いは、「結晶のような想いとして」この世界に現われる。・・・・・・・・・・・・・
 君の嘆きは、死者の世界では、透明な結晶となって、雪のように降り積もる。それを大切に拾うのは、亡くなった、君が愛するその人だ。ぼくには、世界に一つしかない貴重な石を大切にするように、 その人が結晶を慈しむのが、はっきりと見える。
 深く悲しむ君は、深く人を愛するころができる人だ。なぜなら、君は愛されているからだ。君が悲しむのは、君が想う人を愛する証拠だけれど、君もまた、愛されていることの証でもある。悲しみとは、死者の愛を呼ぶも う一つの名前だ。』   p14~p15 悲愛の扉を開くより

語りかけるような著者の言葉ひとつひとつ
読みながら、涙がぽろぽろ零れてきました。
闘病記や手記など読んでいて涙したことは何度もあるけれど、
哲学エッセイ、このような類の文章を読んでこんな気持ちになったのは初めてのこと。
まさに魂にふれる言葉に出会ったからなのでしょうか。
あるいは、なにもなくなってしまったかのように語られる死者の存在が、目に見えないなにかが
身近にたしかにあるのだということ、魂を感じることができたからなのかもしれません。


 『夜にひとり、部屋で悲しみに暮れて涙するとき、君は、自分を孤独だと思うかもしれない。誰も自分をわかってくれない、そう感じるかもしれない。でも、そのとき君は世界とつながっている。世に苦しみのない人はいないからだ。
 苦痛は、見えない世界で、私たちと他者を結び付けている。君が苦しんだ分、君の愛は深まっている。苦難が私たちを連れていく存在の深みは、歓喜のそれよりも深い。人生の深みで生きる、それは幸福に生きることと同じことだ。』   p16  悲愛の扉を開くより


この世界は、なぜだかその多くが対照となって存在しているようであり、
感じ方は相対的なものでもあるから、喜びしか知らないものには真の意味での喜びや幸福は
わからないといえるのだろう。
それゆえに、ほんとうのところを知るためには、苦難はさけて通れないことになっているのかもしれない。
わかるけれど、それはなんて皮肉なこと。
大切な人を亡くし、苦難の中で考え初めて気づく諸々のこと、
私たちはなんて悲しい存在なのでしょう。



 『死者と共にあるということは、思い出を忘れないように毎日を過ごすことではなく、むしろ、その人物と共に今を生きるということではないだろうか。新しい歴史を積み重ねることではないだろうか。「死者」は肉眼で「見る」ことはできない。だが「見えない」ことが、実在をいっそう強く私たちに感じさせる。』  p43 協同する不可視な「隣人」ー大震災と「生ける死者」ーより


『死者の姿は見えない。しかし、死者は寄り添うように私たちの近くにいる・・』  p89  没後に出会うということより


寄り添うように近くにいる死者たち、これは霊とかそういう類のものではない、
意識というか想いというのか、なんといっていいのかわからないけれど、
若松氏のおっしゃる魂というべきものなのかもしれない。
すぐ傍らにいてくれる、いつも一緒にいるという感覚、
死者も生者も共にあるという想い、
こんな中にあれば、絶望感も幾分か薄まり淋しさも和らいでくるのではないのだろうか。

自分自身、ますます目に見えるものがすべてでなく
生者も死者も、絶対的に違うのだというような以前のような考え方とは
ちょっと変わってきているように感じます。


言葉というものはほんとうに不思議なものですね。
こんな風に読んでいると、自分の気持ちの中にどんどんと入り込み、はっとさせられ、新しい何かが生まれているようにも感じられます。
以前のように多くは読まなくなってしまったし、こうやって書いたりすることも少なくなってしまったけれど、それでもすっかりやめてしまうことは、まだできそうにないですね。


長くなりましたが、最後に。
しばらく更新していない間に、アクセス数が30万を超えたようです。
今現在のアクセス数は、302,262
月に1度更新するかしないようなこんな超スローなブログに、日々200件前後ものアクセスをいただいているようです。お子さんやご家族をを亡くされた方が多く訪問してくださっているのでしょうか。
なにか少しでも参考にしていただければ幸いなのですが・・
次の更新がいつになるかさっぱりのブログですが、とりあえずもうしばらくはこのまま続けていくことにしましょう。


魂にふれる 大震災と、生きている死者

魂にふれる 大震災と、生きている死者

  • 作者: 若松 英輔
  • 出版社/メーカー: トランスビュー
  • 発売日: 2012/03/06
  • メディア: 単行本



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25歳の誕生日 [思うこと]

前回から2ヶ月も過ぎてしまいました。
その間、新しい年が明け、母の2回の手術も終わりすでに退院、
先月の13日は、沙織の成人式、
そして同じく27日は、晴香の25歳の誕生日でした。

いろいろなことがあって、ありすぎて、
無理をしすぎたせいか、体調も少しおもわしくなかったこの2ヶ月でした。
夜になると疲れてしまい、パソコンを開いてみるものの
なかなか記事を書いたり、コメントをしたりなどする気になれませんでした。
ここ数日、少しずつ体調が戻ってきたようで、久しぶりにこうやって呟いている次第。

ブログ書こうとおもいつつ書けないでいたのですが・・
先月の27日、晴香の25歳の誕生日は、
発病して初めて中学校を休んだときから、ちょうど10年目、
小さい頃病気がちで弱かった晴香でしたが、
中学に入ってからはあまり病気をしなくなり、その日まで一日も休むことなく学校に通っていたのでした。
それだけに、初めて休んでしまったその日、とても残念がっていたことを今でもよく覚えています。

病院に入院し、手術したのは、その少しあと、
2月に入ってからでした。
そのころに病院で撮った写真は、今でも御仏壇の前に置いてあります。
普段毎日じっくりと見るわけではないけれど、ちょうど10年になる今年の誕生日には、
手にとって、暫くの間見入ってしまいました。

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東京や大阪からわざわざお見舞いに来てくれた親戚のみなさんが、
ポラロイドカメラで撮ってくれた写真。
家族4人の写真、従姉妹たちといっしょの写真など、
写真を見ていると、当時のことがまざまざと甦ってくるものですね。

沙織もまだ当時10歳、従姉妹のみんなもまだ小中学生くらい。
小さかったけれど、今ではみんな大きくなって、
10年と言う時間の流れを感じさせられます。
大人の私たちも、年を取ったものだとしみじみ。

あのときいた晴香が今はいない、という淋しさももちろん感じさせられるのだけど、
それだけでなく、10年という時間が、
確実に何かを変えていっているのだなあということ、
それは私たちも含む生きているものの形であったり、
またひとりひとりの環境や生き方でもあったり、
そして、人の心のうちでもあったり・・・
うまくいえないけれど、たしかに10年の歳月はいろいろなものを変えていく
大きな力をもっているものなのだなあということ、
写真を見ながら、なんとなくそんなことも感じさせられてくるのでした。

006.JPG

25歳の晴香、
どんな女性になっていたのかな。
相変わらず思い浮かべることは難しいけれど・・
記憶の中の幼い晴香、15歳の晴香、
ときどき夢にでてくる晴香・・
現実世界では出逢うことはできないけれど、
心の中や夢の中の晴香は、明るく笑っていてくれる。
そんな晴香には、明るいメロディーと、
ギターとチェレスタのやさしい音色がとっても素敵な、『夢路より』が似合うかな。

『夢路より』 フォスター作曲


前回と同じくぴあんの部屋さんからお借りしました。ありがとうございます^^


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母の手術 [日々のできごと]

先週から寒い日が続いていましたが、夕べからまとまった雪が降り、
今朝は、辺り一面の雪景色になっていました。

夏の終わりから秋、そして冬へと、今年は季節の移ろいをゆっくりと楽しむ間もなく、
気がつけばいつの間にか冬になってしまったようです。
年の瀬も間近、慌ただしく一年が終わりそうです。

今年は父が亡くなったということもあり、年賀状を準備することもなく、
新年の行事もおそらく省略・・いつもの年とはちょっとだけ違った年末年始になるのかもしれません。
そしてもうひとつ、大きなことが残っています。

実は、母が今月の半ば過ぎに膝の手術を受けることになっているのです。
長年膝の痛みに苦しみ、リハビリなど行ってきたものの、
なかなか回復が望めず、母は今回とうとう人工関節の手術を決意したようです。
手術後もリハビリのために、しばらく入院しなければならないようです。
お正月もおそらくは病院で迎えることになるのでしょう。

「自分の足でさっさと歩いてみたい。」という母の願いが叶うように、
どうか手術がうまくいきますように。
長期のリハビリも大変だろうけれど、私もなるべく病院に足を運ぶつもりだから、
なんとかがんばってほしい。

父が見守ってくれてるから・・
以前は手術に対する不安を口にしていた母も、
今回は、父がどこかからか応援していてくれる、そんな気がする、と
父の後押しを感じているようです。

亡くなった人は、いなくなってしまったわけではない、
いつまでも心の中に存在し続けているのですね。
母の中にも、父は今もなお間違いなく、居続けてくれてるようです。



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選挙、そして池田さんの遺した言葉 [池田晶子]

今年は夏が長く、10月に入ってからも30度を超えるような日もあったのですが・・
秋になったかな、とおもったのもつかの間、
あっという間に紅葉も散り、厳しい冬がやってきました。
本当にこのところ、夏と冬が長く、過ごしやすい春や秋が短くなってしまいましたね。

気がつけばもう師走。
ただでさえ慌ただしく落ち着かないこの時期に、
朝から賑やかな宣伝カーが次々にやってきては、大きな声で叫んでいきます。
このあたりは岐阜1区になるので、
昨日は、民主党の柴橋候補の、今朝は日本未来の党の笠原候補、そして自民党の野田(聖子)候補の宣伝カーがやってきては、「よろしくお願いします!」と、決まり文句を連呼していきました。

こういう中身のない、ただうるさいだけの宣伝カーって、ほんと意味がないのになあって、いつも思う。
意味のないことなんかやめたらいいのにと思うのだけど、慣習になってることってなかなかやめられないんだろうなぁ。。

それにしても、今回の選挙、多くの人がそうであるように、
私自身も誰に投票したらいいのか、決めかね悩んでいます。

「美しい日本を守るため・・・」とおっしゃる某政党党首。
原発を稼働し続けて、美しい日本が守れるのだろうか。
福島の人たちは原発事故のせいで、故郷の美しい自然溢れる多くの土地を奪われているというのに。

「過去の失敗を教訓に、今度こそ国民のために・・」
とおっしゃる某政党候補者。これまでのことを考えてみても、どこまで信じていいのやら。。

選挙戦をまえに、急に政党を変わる候補者が増えたり、
政策の違いがありながらも、政党同士でいっしょになってみたり・・
まあ、政治家は当選しなきゃ始まらないから、そういう気持ちはわからないでもないけれど、
言ってることがころころ変わったり、簡単に主義主張を変えたりするのは、
ほんとうに信頼していいのかと、不安になってきます。


真に国民のことを思って行動してくれる候補者がいるなら、
迷わずその方に一票を投じたいのですが・・


先日ネットを見ていたら、池田晶子さんがかつて新聞に投稿されたエッセイをみつけました。
その中に、政治家について書かれた箇所もありました。

『・・・政治家が人を動かし、政策を進める時の武器は「言葉」のはず。しかし、現在の政治の現場ほど言葉が空疎である場所はない。「命を懸けて」なんて平気で言う。言う方も聞く方も本気とは思っていない。政治家に詩人であれとは望まないが、自分の武器を大事にしないのは、自分の仕事に本気でないからだ。・・・』

14年も前に書かれた文章のようですが、今もそのままにあてはまる言葉ですね。
池田さんはこういう政治家のみならず、非難する人たちについても、厳しくおしゃってます。

『・・国民の側も、他人のことを悪く言えるほどあなたは善いのですかと、私はいつも思う。・・』

『・・・世の中が悪いのを、常に他人のせいにしようとするその姿勢そのものが、結局世の中全体を悪くしていると思う。政治家が悪いと言っても、その悪い政治家を選んだのは国民なんだから。にわとりと卵で、どうしようもないと気づいた時こそ、「善い」とは何かと考えてみるべきだ。一人ひとりがそれを考えて自覚的に生きる以外、世の中は決して善くならない。・・・』


どの政治家の言葉も虚しく聞こえ、誰も信頼できない気がする・・
そんな風に感じている自分に対しても、どきっとさせられる言葉です。

たしかに他人のせいにしてばかり、ではなにも善くはならないですね。
忙しさの中、じっくりと考えることをつい避けがちになってしまいますが、
逃げないで、もっと根本に立ち戻って考えていかないといけないのですね。
池田さんのおっしゃることは、政治や社会に関することばかりではなくて
もっと広い意味でおっしゃっているのでしょうけれど・・

だけど、しかし、目の前の選挙、
とりあえずは、自分なりに考えて、一票の行き先をきめることにしないと・・


新聞記事のなかの文章は目黒被災さんのブログより
http://megurohisai.blogspot.jp/2011/03/blog-post_3473.html


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臼田輝くんのことば [本(その他)]

今朝の中日春秋は、ひらがなばかりで綴られたこんな文章で始まっていました。

<てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめて いきていこうとおもう。
 うつくしいていねんは しんじつそのものです。 くるしみのなかで ひかりかがやいています>

美しい諦念を握りしめて生きる・・・この言葉を書いたのは15歳の少年、臼田輝くん。
彼は1歳になる直前、都内のマンション5階から転落し、動くことも話すこともできなくなった。
数年後、輝くんの母は、彼の目が輝く瞬間があることに気がついた。
指先のわずかな動きをひろい、文字を表現できる装置に出合い、光が言葉となった。

記事にはつづけて、彼のこんな言葉も紹介されています。

<へいわがくればいい うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり
いつのひか ちいさないのちがうまれて そだっていくように>

<てのなかにあるしんじつは さいわいそのものです。
 のぞめばいつでもてにはいりますが だれもこのことはしりません。
 なぜならにんげんは つねにらくなみちのほうをこのむからです。
 いきるということは くなんとなかよくしてゆくことなのです>

臼田輝くんのこと、少し前に朝日新聞の記事の中でも紹介されていたようです。
http://www.aiiku-gakuen.ac.jp/img174.pdf

<せっかくのことばが ことばとして こうのうがきのように 
 うけとめられてしまいざんねんです(中略)
 すばらしいのはつらくても ことばがあることです 
 ことばこそ ばくたちにとってひっようなものなのです>

言葉こそぼくたちにとって、必要なものなのです・・・
池田さんを想い起こさせる言葉です。

15歳にして、なぜこれほどまで研ぎ澄まされた言葉を表現できるのか、
自らが明かします。

<けっしてなにもするわけでもなく ただじっと ことばだけをつかっていきてきた
 しかも いちどもそのことばを だれにもはなさずに いきてきたので 
 のんふいくしょんのどらまのようなせかいを すごしてきた どらまよりも 
 すさまじいたいけんをしてきた だから ことばがとぎすまされてくるのは
 あたりまえのことなのです>

<きぼうがすっかり きのうのおもいでになってしまったら 
 すなおなきばうの しにたえたきみょうなせかいがおとずれるだろう 
 ついにきぼうのすみきったせかいが おとずれたとき しあわせは
 どういうかたちになるのだろう しあわせはちいさなよろこびとなって   
 しあわせとよぷひっようもなくなるだろう>

輝くんのお母さんが、大学で教育学を学ぶ学生さんたちの前で語られた言葉がまた印象的。

「息子が幸せだったのは文章を残せたことより、重い障害があっても、
 1人の人間として向き合って下さった方々がいたこと。
 子どもの前に立つ皆さん、その子の目の輝く瞬間を、どうか見逃さないでください」


16歳で旅立った輝くん、
研ぎ澄まされたことばの数々は、「輝 いのちの言葉」のタイトルで、
本になったそうです。

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9回目の命日 [思うこと]

きのう10月2日は、晴香の9回目の命日でした。
台風の余波なのか、やや雲が多く、時折強めの風が吹くこともありましたが、
雨の心配もなく、青空が覗く爽やかな一日になりました。

毎年この日は特別な日、であるには違いないのですが・・
昨日は、特別ではあるけれど何か特別なことをするわけでもなく
実に静かに過ぎた一日でした。
誰かがお参りにいらっしゃるということもなく、
家族も別々、なので一人晴香のことを想い、花とお菓子を供え、
お線香をあげ、静かに手を合わせ・・・
そんな自分自身も、命日だからと一日家にいることもなく、
普段通りに用事や仕事に出かけたり。
こんな風に普段通りに過ごした命日は、きのうが初めて。
以前には考えられなかったこと、
9年という歳月が、人の心の内を変えていくものなのだなあと、
改めて思えてきます。

きのうが晴香の命日だったということ、
実は私の実家の誰もが忘れてしまっていたのです。
ちょっと淋しいような気もするのですが・・
先週末父の四十九日だったということもあり、
母も兄も姪も、みんなおそらくそのことでそれどころじゃなかったのかもしれません。
あるいは、人は何か大きな悲しみに襲われると、それまでの悲しみを忘れてしまうというか、
気にならなくなるということもあるのかもしれません。
母の場合、やはり長年連れ添い常に傍にいた父がいなくなるということは、
何にもまして、大きな悲しみであり心の痛手であることに違いないのでしょう。
それと、9年という歳月が、少しずつ少しずつ悲しみを和らげる力を与えてくれたのかもしれません。
みなが晴香のことを忘れてしまったわけではないのでしょうから、
命日のことを忘れていても、咎めようとはおもいませんし、薄情だともおもいません。
母親である私自身でさえ、9年前とは明らかに変わってきているのですから。

変わってきているのは、命日に対することばかりでなく、
そのほかのさまざまなことについても言えるとおもうのですが・・
最初の1年目、2年目に感じていた、晴香とどんどん遠ざかって行くような気がして
淋しいという感情。
それはこのごろでは、遠ざかって行くというよりは、むしろ近づいていくという感覚に
変わってきているようです。
自分自身もどんどんと年をとっていき(平均寿命からいえばまだまだ若い方なのでしょうが・・)
気持ち的には、晴香のいるほうにむしろ近づいてきているような、
もういつでもそちらに行ってもいいような、そんな想いになってきているということ。
父も四十九日を終え、晴香と同じところに還っていったんだなぁなどと想像していると、
なんだかあちらが賑わしくなってきて羨ましくなってくるような。。

そうはいっても、こちらにいればいたで、あれやこれやといろいろなことに
忙しく過ごしていくのでしょう。
せっかくこちらにいるのですから、それなりに楽しんで。
9年前には想像もできなかったけれど、こんな風に自然体でいられるようになったことは
きっといいことなのでしょうね。

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父との別れ [その他]

3月に肺がんが見つかり、闘病中の父が、17日夜亡くなりました。
わかったときにはすでに胸膜、リンパ節など、全身に転移。
余命半年とのことで、覚悟はできていたつもりだった。。

病院でも、亡くなった後父が実家に帰って来た時も、
みんなの前ではそれほど涙はでなかったけれど、
娘が名古屋へ帰って行き、久しぶりに一人になってみると、
昔のこと、病院でのこと、父の言葉・・
いろいろなことが、あれやこれやとおもいだされ、
ああ、お父さんはもういなくなってしまったんだなぁとしみじみとしてくる。

たくさん話をしたはず、病院へも何度も通って、多くの時間を共に過ごしたはず・・
それでも、それでも、もっとああしてあげればよかった、あのことも伝えておけばよかった、
もっといろいろなところへ一緒にでかければよかった、と想いはつきません。
こんな風におもうのは私だけじゃなくて、誰しもが、大切な人とどんなに長く一緒に過ごそうとも、これで十分だということはないのかもしれません。

父が最期に心配していたのは、やはり母のこと。
そして、戦時中の同期生だったー当時の傷がもとで今もつらい思いをしているというー友人のこと。
最期のときになっても、当時のことが蘇ってくる、戦争体験というものは強烈な記憶として、おそらくは、
何十年も父の心の奥底にとどまりつづけていたのでしょう。

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父が15歳で入隊したときの写真。 「大日本帝国海軍」の文字が。
平生へ一緒に行くという約束を果たせなかった。。 「お父さん、ごめんなさい」


大好きな父
この世の中で一番、おそらくは無条件に私のことを愛してくれた人が、
この世からいなくなってしまった・・

さみしくて仕方がないけれど、
父自身は、痛みや苦しみ、不自由だった身体から解放されて、
今は、あちこち自由に駆け回っているのかもしれません。
もしかしたら、晴香とも再会しているのかも。。

最期のときに父には、「あちらにいったら、晴ちゃんによろしくと伝えてね。」と
頼んでおいたから、今頃は2人で笑って、私たちのことを見ているのかもしれません。
そんな風に想像していると、悲しさや淋しさが幾分か和らいでくるようです。

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藤村のことば [島崎藤村]

毎年ゴールデンウィークには、お墓のある山岡へ出かけていくのですが、
今年は後半の2日間を向こうで過ごしました。

2日目には、岐阜と長野の県境にある馬籠(以前は長野県、現在は編入により岐阜県)へ寄ってきました。
馬籠は中山道宿のひとつとして、昔は多くの人が行き交ったところ、
島崎藤村が「夜明け前」の冒頭部分で「木曽路はすべて山の中である」と記しているように、
ほんとうに山深いところで、坂道の続く馬籠峠を越えるのは、さぞかし大変なことであったろうと、当時のことが偲ばれます。
その島崎藤村は、ここ馬籠宿の旧本陣に生まれました。
馬籠には、藤村記念堂が建てられ、中には多くの資料が展示されています。
島崎藤村といえば『破戒』がとても有名ですが、近代日本の浪漫主義詩人として、
後の人びとに大きな影響を与えた方でもあったのですね。

展示物の中に、藤村の作品の中から抜粋された言葉を
ちょっとした冊子にまとめたものがあり、読んでみたら、これがなかなかいい。
無駄のない印象に残る表現。書いてある内容にまた惹きつけられる。
古いかなづかいが、最初読みにくいようだったけれど、しばらくすると、
これがかえって心地よく響いてくる。

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60ページほどの薄い冊子ですが、中には藤村の作品中から選び出された
珠玉の言葉で埋め尽くされています。
2~3ページくらいの比較的長い文章の抜粋もありますが、
大半は数行の短いもの。
藤村の想いをほんとうによく知るためには、作品そのものを読むことが一番なのでしょうが、
それもなかなか難しい。断片的であっても、選び出されたこれらの文章を読むだけでも、
藤村の想いが少しは伝わってくる。
心惹かれる文章はたくさんあったけれど、その中から一部だけ。


生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなわち新しき生涯なり。
    「藤村詩集」序より


     別離
別れとは悲しきものといひながら、
旅に寝ていつ死ぬらんと問ふ勿れ。
よしやよし幾千年を経るとても、
花白く水の流るゝその間、
 見よ見よわれは死する能はず。
    
   
     簡素 
『もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか。』これは私が都会の空気の中から抜け出して、あの山国へ行った時の心であった。
    『千曲川のスケッチ』


     誠実
すべてのものは過ぎ去りつゝある。その中にあつて多少なりとも『まこと』を残すものこそ、真に過ぎ去るものと言ふべきである。 
    『板倉だより』


・・・・・・・・・誰でも太陽であり得る。わたしたちの急務は
たゞたゞ眼の前の太陽を追ひかけることではなくて、
自分らの内部(なか)に高く太陽を掲げることだ。・・・・・・・
    『春を待ちつつ』     


・・・言葉といふものに重きを置けば置くほど、私は言葉の力なさ、不自由さを感ずる。自分等の思ふことがいくらも言葉で書きあらはせるものでないと感ずる。そこで私には、ものが言ひ切れない。・・・
    『市井にありて』

   
     老年
 老年は私がしたいと思ふ理想境だ。今更私は若くなりたいなぞと望まない。どうかしてほんたうに年をとりたいものだと思ふ。十人の九人までは、年をとらないで萎れてしまふ。その中の一人だけが僅かに真の老年に達し得るかと思ふ。
    『板倉だより』


     故郷を思ふ心
郷里の忘れがたいのは、古い幼馴染の人達がそこに生活してゐるからであり、また昔のままに形をかへない山や岡があって、いつでも自分を迎へてくれるからであるが、つまりさういふ昔なじみの人達や、それからさういふ人達の話す言葉や、言葉のなまりや、又そこにある森だの川だの谷だのといふものが、自分の幼年時代の思ひ出と密接に交錯してゐる、それらを眼に見たり頭に憶ひ浮かべたりするたびに、自分の心を幼年時代につれていつてくれるからで、そこに故郷の忘れがたい魅力があるのです。故郷にかへるといふことは、自分の幼年時代にかへるといふことのやうな気がします。
    『文章倶楽部』より

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藤村の生まれ故郷馬籠から見える、恵那山の風景。
幼少時の記憶というものは人の生涯において影響を及ぼすものだといふ藤村。
その忘れられない記憶のなかには、この恵那山の雄大な景色もきっとあったことでしょうね。

詩人島崎藤村も素敵ですね。
その後、「藤村詩集」と「千曲川のスケッチ」の2冊、買ってしまいました^^


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懐かしの飛騨高山へ [思い出]

3月半ばから、沙織は名古屋でひとり暮らし、
夫は突然の異動により、4月から飛騨高山へ、
そして私はひとり岐阜に、
現在家族3人がそれぞれ別のところで暮らしています。
3月の始めころまではこのようなことになるとは思ってもみなかったことです。
みんなばらばらとはいえ、お互いに岐阜や高山へと行ったり来たり、
沙織も友人に会うからと、ちょくちょく岐阜に帰ってきます。

私も4月になってから、引っ越しを含めこれで3回高山へ出かけてきました。
高山は、晴香が生まれる前から3歳になるまで住んでいたところ、
ゆっくりと高山の街並みを車でまわったり歩いたりするのは、ほんとうに久しぶり。

以前住んでいた住宅は、老朽化が進みとうとう壊されることになったのだとか。
なくなってしまうのは淋しいけれど、こればかりは仕方がないですね。
車で住宅まで行ってみたら、
まわりには新しい道路ができ、新しい家が建ち、少し景色は変わってみえましたが、
住宅そのものは以前以上に古びてみえたものの、建物もまわりの敷地も昔のまま。
しかしいずれ壊されることが決まっているせいか、住んでいる人はごくわずか、
人の気配は感じられず子どもの姿も見ることができなく、淋しげな様子でした。

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私たちが住んでいたころは、小さな子どもから小学生くらいの子どもたちが、
いつも暗くなるまで、住宅の周辺で元気に遊んでいたものでした。
晴香も、同じくらいの子からちょっと上のおにいちゃんおねえちゃんまで、
大勢に囲まれのびのびと過ごしていました。

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高山駅前、鍛冶橋、安川通り、宮川や中橋、大八賀川に東山地区・・
どこもかしこも懐かしい。。
新しい店が建っていたり、新しい道路ができていたり、坂の上のほうまで新しい家が建っていたりと、
昔と変わっているところもあったけど・・
それでも、何十年かぶりに通ってみると、あっちにもこっちにも、
昔の思い出がいっぱい刻まれている。
以前の記憶が甦り、まるでタイムスリップをしたかのような気分になってくる。

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高山には幼い頃の晴香との想い出がたくさん詰まっています。
この頃では、20年以上も前のことをそれほど鮮明におもいだすことはあまりなかったのだけど、
ひさしぶりにこの土地を訪れてみると、当時のことがちょっと前のことだったかのように、
次々と思い出されてきます。
嬉しいような、でもちょっぴり切ないような。。

岐阜に帰って来てからも、高山で過ごした日々が懐かしくなり
おもわず昔のアルバムを引っ張り出してきました。
幼い晴香、若い父と母。
高山の街並み、お祭り、たくさんのお友達、
懐かしい・・でも、あんまり眺めていると感傷的になってしまって、どうもいけませんね。
昔の写真を見るのもほどほどにしておいたほうがいいのかも。
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