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父のこと [思うこと]

ことしは9月や10月になっても暑い日が多く、
夏が長く秋が短かったような・・・
紅葉も遅れているし、まだまだ秋かな、とおもっていたら、
11月も半ばころになって、一気に寒くなってきました。
秋はちょっとで、いきなり冬がやってきたみたい。
長い夏のせいで、季節や時間の感覚がおかしくなってしまったのかも。
でも、もういつの間にか12月なのですね。

このところ、しきりに届くのが、友人からの喪中年賀欠礼状。
数年前から、目立つようになってきました。
私たちの親世代は、大半が70代から80代前半くらい。
友人や同世代の知り合いからも、父が具合が悪くて・・とか、母が入院して・・
などという話をよく耳にするようになりました。

私の父も今年82歳、母は76歳になります。
ここ数年、随分と弱ってきてしまったなあと感じています。
父は、20年近くも前に脳卒中で倒れ、以来、右半身が不自由です。
最初は歩くこともできなかったけれど、懸命なリハビリのおかげで歩けるようになり、
その後、左手だけで操作ができる改造車を運転したり、畑で野菜を育てたり、
障害者のグランドゴルフ大会で優勝したりと、不自由ながらもできることにどんどんと挑戦し、元気を取り戻していました。
それでも、80歳に近づいたころから、体力の衰えを感じ始めたようで、今では歩くのも一苦労な様子。
そんな状態でも野菜作りは続けている、これはほんとうにもう、気力というか精神力と言うか、それだけで頑張れているのだろう、我が父ながらほんとにすごいと思う。
そして、自らも膝関節の痛みと闘いながらも、父を支えてきた母にはご苦労様と言いたいのです。

そんな父が、数週間前に、帯状疱疹を患いました。
思うようにならない体で、同じことをするのにもずいぶんと時間がかかってしまう中で、
畑仕事を長時間頑張りすぎ体力がおちていたのかもしれません。
湿疹が消えてからも、痛みがあるとのこと、
麻酔科のある総合病院を受診するようにと、今は勧めているところです。
親というのは、いつも子どもの心配をしてくれるものだったのですが、
いつのまにか、子どもの方が親の方を心配する年になってしまったようです。
なにもできなくても、顔をみせに行くだけでもいいから、今までよりももっと
ちょくちょく親の元に出かけていかなくてはいけないなあとつくづく思うこのごろ。

それにしても、父の姿から、改めて感じるのは、
人が一生を生きるのは、なんと大変で苦しいことが多いのかいうこと。
もちろん、うれしいことも楽しいことも感動することもたくさんあって、
苦しいことばかりではないのだろうけど。
だけど、死にたくなるような苦しいこともおきる、それも1つや2つでなく。
こんな大変なことがあったから、もうこれからは・・・と思っていると、
次にまたもっと大変なことがおきたりする。
なんで自分ばっかり、なんで我が家ばっかりに・・とそんな時にはおもってしまうのです。
私も、晴香が病気になったとき、どれほどにかそう思って神さま仏さまをうらんだことか。
でも、今おもうに、人には形は違えども、みなそれぞれに苦しみには、
一生の間には必ず出会うようになっているのに違いないのでは・・ということ。
どの苦しみが一番苦しいとか、あれのほうがましだとか、こっちの方が大変だとか、
そんな苦しみ比べや、不幸比べなんかしたって仕方ないことだけど。。
そして、自分が遭遇した苦しみを、どれくらい苦しいと感じるかは、人によっては違いがあるのかもしれないけれど。。

苦しみが避けられないものであるならば、「苦しみがあってあたりまえなのだ、生きているのだから・・」と受け入れてしまった方が、気持ち的には楽に生きられるのかもしれない。

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あきおパパ

はるママさん、こんばんは~♪
はるママさんのご両親は、82歳に76歳ですか。
私の父母は、79歳に72歳ですから、ちょっと年上ですね。
幸いにも二人とも健在ではあるものの、
母は耳が遠くなり、父は疲れやすくなっているようです。

はるママさんのお父様は、本当に努力家の方ですね。
私の父や叔父たち、そして義父を見て思うのですが、
昭和一ケタ世代には、そういう人が多いのかな?


>なにもできなくても、顔をみせに行くだけでもいいから、
>今までよりももっとちょくちょく親の元に出かけて
>いかなくてはいけないなあとつくづく思うこのごろ。

私もそれをひしひしと感じています。5年10年先には、どちらかが倒れるかもしれないと思うと、今のうちにできるだけ両親と一緒の時間を過ごすのが大切だと感じています。

曽野綾子さんの「中年以後」という本の「誠実の配分」という話に、こんなくだりがあります。
「年をとった親と、今生でどれだけの時間を一緒に過ごすことができるかが親孝行の一番素朴な表現だろうと思うのだが、親と一緒に住まわなければ訪れる時間にも限りがある」(p.211)

私が実家に帰っても、外食にでかけたり、仕事を手伝うわけではありません。でも、今の私にとって、お金よりも物よりも大切な時間、それを、両親と共に過ごすことに使うことが、とてもとても貴重に思えるのです。

子供の時には聞いたことのなかった、両親の人生観や人間観などを、こたつを囲みながら話しています。
はるママさんはご両親とどんなお話をされるのかな?

お父様の体調が、早くよくなりますように。
ではまた~♪
by あきおパパ (2011-12-11 17:27) 

はるママ

あきおパパさん、こんにちは!
私たちの両親や祖父母世代は、今の私たちやもっと若い世代に比べても、ずっと忍耐強く、努力家の方が多いようですね。
やはり戦争や戦後という大変な中を生き抜いていらしたからなのかもしれません。
私の両親は、戦争のために十分に学校へ通うことができなかったけれど、
子どもにだけはちゃんと教育を受けさせたいと、私たち兄妹3人を大学まで行かせてくれました。感謝しないといけませんね。
父は職人肌で無口なほうなので、私が尋ねていくと、自分がなにかを話すというよりは、私と母のおしゃべりを聞いていることの方が多いです。(特に私が一番よく喋る・・)もっと父の話も聞かないといけないですね(^^;)
だけど、時には畑の野菜のことを話したり、野球(一家全員ドラゴンズファン)のことなども話したりしますが。。
少し前には、父の経験した戦争や軍隊の話しなど、私があれこれ聞くものだから、それまで語ってくれたことがないようなことも話してくれました。
人生観や人間観など改まって話すことはあまりなかったように思いますが、両親の場合、言葉にださなくてもその姿から学んだことがたくさんあるように思います。

曽野綾子さんの「中年以後」おもしろそうな本ですね。
いつか読んでみたいです。
年と共に、ますます時間というものが貴重におもえてきます。
何にどうやって時間を使っていくのか、いわゆる中年期の折り返し(?)に
さしかかってきて、いよいよ切実な問題になってきたようです。
限りのある時間ですから、自分のほんとうにしたいことにより多くの時間を使いたいものですが、雑用やらしなければいけないことやらに追われて、なかなかおもうようにいきません。
でも、両親とすごす時間、少なくとも今までよりはもう少し増やしていきたいです。

ps.
父の具合は、大分よくなってきたようです。
薬のおかげで痛みもやわらぎ、一時出ていた激しい副作用も
薬をかえることで、収まってきているようです。どうもありがとうございました^^
by はるママ (2011-12-12 16:16) 

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