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いよいよ学校へ [晴香との思い出の記録]

<生活ノートより>
4月24日

晴香が、手術後はじめて学校へ戻ったのは24日。
小雨がぱらつく中、2人で1本の傘に入り
嬉しさと、少しの不安とで、ドキドキしながら
学校の玄関にたどり着くと、そこには担任のK先生と
同じグループの4人の子たちが、出迎えていてくださいました。
グループの子たちは、晴香のほかに4人。
ひときわ背が高く、頼もしくみえます。

この日は、クラスみんなでトランプなどゲームをして
晴香の歓迎会をひらいてくださったそうです。
うまく馴染めるだろうか、新しいクラスのみんなは優しくしてくれるだろうか
親としてはいろいろな心配もありましたが
この日、「楽しかった」と帰ってから話してくれた晴香の言葉を聞いて安心しました。
優しく迎えてくださったクラスのみなさん、いろいろ配慮してくださった先生方に
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

5月1日



5月12日


晴香たち3年生は、5月28日から30日まで、広島・神戸・大阪へ
2泊3日の修学旅行にでかけることになっていました。
晴香が学校へ戻った頃は、修学旅行への取り組みの真っ最中でした。
晴香のつぎの目標は、みんなと一緒に修学旅行へ出かけること。
最初は困難なことに思われていたのだけど
次第にそれも夢ではなくなってきました。

学校へ行くようになってからの晴香は、日に日に元気を取り戻し
表情も明るく、クラスメートとふざけ合ったり、笑ったりするようになりました。
折り紙は、広島で被爆した貞子さんの像に捧げるために
みんなで協力し合って折っていた千羽鶴。
ときどき忘れてしまい、思い出しながら、熱心に折っていました。


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少しずつ回復 [晴香との思い出の記録]



放射線治療の効果があったのか
それとも手術のダメージから回復してきたのか
3月の半ばくらいからずいぶん体力が戻ってきました。
11日に退院してからは、毎週末ごとに家族であちこち出かけていきました。
春休みには大阪のいとこと一緒に
犬山のモンキーパークへ出かけていき、乗り物にも少しだけ乗ったりしました。
4月に入ると、学校へ行きたいという思いもあってか
少しずつ意欲がみられるようになり、表情にも変化が出てきました。
ほとんどしゃべらなかったのが、ちょっとだけでも自分から話したり
時にはニコッと笑ったり、以前の晴香にすっかり戻るところまでは
いかなかったけれど、少しずつ晴香らしさがみられるようになりました。


気候の穏やかな春先は、長良公園や畜産センター、河川環境楽園などに。
暑くなってきてからは、カラオケや温水プールにも出かけていきました。
できるかぎり一緒に楽しい時間を過ごしたい
晴香に楽しい思いをたくさんさせてあげたい
そのころは、ただそんな思いでいっぱいだったように思います。
プールに入って大丈夫かなと最初は心配していましたが、 いざ入ってみると、プールの中で晴香は普段以上に元気に 生き生きとして泳いでいました。




4月に入ってから、毎日のようにリハビリを兼ねた日記を書き、
勉強も日に1時間、頑張ってきたおかげか、
字もなんとか書けるようになり、かなり長い間座っていることもできるようになってきました。
そこで、22日に親子3人で学校へ出かけていき
校長先生や学年の先生方とお話しをして、いろいろとお願いをしてきました。
いよいよ、晴香が待ちに待った日がやってきました。
24日から、再び学校へ戻れることになったのです。


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放射線治療の副作用 [晴香との思い出の記録]

3月はじめから始まった放射線治療。
食欲がなくなるとか、吐き気がするとかの副作用が出やすいと聞いていましたが
晴香の場合、そういった副作用はなく
以前とかわらずに食事をとることができました。
なんでもおいしく食べられたことはとてもありがたいことでした。

治療が始まってから数日過ぎた頃から、髪の毛が抜けはじめました。
この副作用はどうすることもできませんでした。
最初は少しずつでしたが、ある時を境に一気に抜けるようになりました。
自分の頭や抜けた髪を見て、なんとも言えない寂しそうな晴香の顔を
今も忘れることができません。
そのころの晴香の頭の中がどのような状態になっていたのか
詳しく知るすべはありませんでしたが、そのころの晴香は
以前の表情豊かで元気なころと違い
話すのもゆっくりで、口数も少なく、なんとなくぼんやりしたようすでした。
そのせいなのか、髪が抜けることに対しても
泣いて悲しんだり、私たちに向かって気持ちを激しくぶつけてくることもありませんでした。
ただ、晴香の目や表情が、寂しさや悲しさを訴えかけているようでした。
激しく感情をぶつけることのない、無言の中での訴えが
無性に切なく感じられてしまいました。

晴香が学校へ行くためには解決しないといけない問題がありました。
それは、治療によって髪がぬけてしまったために
なにか頭を覆う物が必要になったことでした。
教室の中で、外でかぶるような庇のある帽子もどうかと思われたし
かといって、そのころの晴香は暑苦しいのをいやがっていたので、
頭に密着するような巻物もかぶろうとしてくれませんでした。
そこで、生地屋さんへ行って、通気のよい麻の生地を購入し
家にあった帽子を参考にして型紙をおこし、ミシンで縫うことにしました。
ピッタリ合うように作るのには苦労しましたが
なんとかできあがり、学校に通うようになってからは毎日かぶっていってくれました。
写真の帽子は外出用に作った庇つきの物で、修学旅行にもかぶっていきました。
このほかに、庇のない物ももう1つ作りました。
こどもたちが小さい頃、夢中になっていた洋裁の経験を
こんなところで生かすことができました。
晴香のために何かしてあげられる、
そのころの自分にはなにより嬉しいことでした。


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放射線治療 [晴香との思い出の記録]

晴香の日記は3年前の4月1日から始まっています。
スキャナーには失敗しましたがデジカメで写してみたらなんとか読めるようです。


晴香の腫瘍は神経膠種の一種で
手術によって全てを摘出することは不可能でした。
それで手術のあと、傷が癒えるのを待ってから
放射線治療を行うことになりました。

最初の放射線治療は3月4日に始まりました。
治療自体はわずか数分間の放射線照射でしたし
それ自体が痛いというものではありませんでした。
しかしこの病気になってから晴香は、手術の前も後もなぜか
異常に暑がったり、せまいところに閉じこめられることや
長い間じっと座ったりしていることが辛いと感じるようになってしまいました。
脳圧が高くなっているせいなのか、どういうわけなのか
理由ははっきりとはわかりませんでしたが。
治療を受けるために狭くて高い台に寝かせられ
落ちるといけないということで体をひもで固定され
しかも顔をセラミックのようなもので覆わなくてはなりません。
平静なときなら耐えられることなのでしょうが
あのころの晴香にとっては随分と辛いことだったと思います。

最初は動くと危険だからということで
麻酔を使ってこの治療を行っていましたが、
麻酔を使う間は、入院していなくてはなりませんでした。
担当医も放射線の技師の方々もそして付き添っている私も
なんとか麻酔なしで治療ができるようにならないものかと
みんなで試行錯誤しながらの毎日でした。
晴香の好きなkinki kidsのテープをもちこんで流してもらったり
保冷剤などで体を冷やしてみたり
「お母さん ここから話しかけてあげてください」
といわれてマイクを借り、治療のあいだずっと晴香に呼びかけたり
いっしょに数を数えたりしてみたり。
なんとかしてという思いで体にもずいぶん力が入っていたのでしょう。
いつも治療が終わると なにも治療を受けていない私も
汗ビッショリになっていました。

普通だったらさっさと麻酔薬打って治療されてしまうのかもしれません。
何とかして麻酔なしで治療できるようにして退院したい
そういう私たちの意を酌んでくださって
担当医の先生も技師の方々も声をかけてくださったりいつまでも待ってくださったり。
私たち親子を温かく見守ってくださったこと
ほんとうにありがたいことだったと感謝しています。

治療を受けている間にもだんだんと晴香は回復してきて
次第に自分からがんばろうという意志も芽生えてきました。

「桜が咲く頃にはこの治療も終わるね」
そう話していたとおり 治療が終わった4月1日頃は
あちこち桜が綺麗に咲き始めていました。 
この日記にある4月2日には
治療後のMRIとCTの検査がありました。
ほんとうによく頑張った晴香。
自分で自分に拍手をおくりたいという言葉に
たくさんの思いがこめられているように感じます。


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晴香が日記を書くようになるまで [晴香との思い出の記録]

大きな手術のダメージのせいか、晴香は手術後何日か経ってからも
体のだるさがなかなか抜けないようでした。
退院後も何かがしたいとか誰かに会いたいとか言うことはあまりなくて
ぼんやりしていることが多かったような気がします。

3月末の教職員の異動で、お世話になった先生がかわっていかれることになり 
挨拶だけでもと、その日の午後2人で学校へ出かけていきました。
しばらくぶりで恥ずかしがってなかなか職員室に入ろうとしない晴香でしたが
たくさんの先生方が晴香のもとにいらしてくださって
「元気になってよかったねー」とか
「晴香がいなくて寂しかったよ」とか
いろいろ話しかけてくださいました。
それまで不安げだった晴香の表情はみるみるにこやかな笑顔になっていきました。
よほど嬉しかったのでしょう
それまではあまり意欲を示さず学校へも行きたいといわなかった晴香が
この日以来、毎日のように「学校へ行きたい」と言うようになりました。

『学校へまた行きたい』
晴香のこの願いをなんとか叶えてあげたい。
体力はずいぶん戻ってきたものの
まだ字がまともに書けない。
手術のダメージからまだ完全に回復しきっておらず
勉強する以前に、ペンをもってしっかりとした字を書くこともできない状態でした。
「始業式の日から学校へ行く」
という晴香に
「学校へ行くからには授業中しっかり座ってなきゃいけないし、字も書けないといけないよ
勉強も忘れてるから少しは思いだしておかないとね」
と説得し、その日からリハビリを兼ねて日記をつけることにしました。
少しずつだけど勉強もすることにしました。


晴香の受けた手術は大変な危険を伴うものでした。
腫瘍は大脳の中心に近い部分にできていたので
それを摘出するのにはどこかを傷つけなければなりませんでした。
しかも悪いことにそれは左側よりでした。
左脳は右脳に比べて言語など人として生活していく上で
大切な要素を司るものの指令部分が集まっているそうで
そのどれも犠牲にできないものばかりでした。
最終的に左斜め後頭部からということに決断が下されました。
そこは視野にかかわるところで
手術後 もしかしたら視野が狭まったり
階段を下りるときにすっと降りられなくなるということが
おきてくるかもしれないと言われました。
それ以外にも頭の手術なのでなにがおきるかわからないと
誓約書には考えられるあらゆる危険性が書き連ねてありました。

神に祈るような気持ちで手術室に送りだしたとき。
ストレッチャーに乗せられて運ばれていくときの不安そうな晴香の表情。
今でも忘れることができません。
手術室から出てきたときにはもしかしたらもう「お母さん」と
呼んでくれないかもしれない。
もしかしたらもう二度と笑顔をみせてくれないのかもしれない。
そう考えたら涙がつぎからつぎへと溢れてきました。

幸いにも手術は成功し
病室に戻ってきた晴香は手も足も動かして
しばらくすると声も出すことができたので
ほんとうによかったと心から喜びました。
しかし一時的ではありましたが、手術のダメージは大きく
術後10日から2週間くらいの間は、本人にとっても付き添っている私たちにとっても
とても過酷な日々が続きました。
もちろん一番辛かったのは晴香本人であることはいうまでもないことですが。

手術後歩くこともペンを持つこともできなかった晴香が
自分でペンを持って字を書くことができるようになること
私たち親にとって、どれほど嬉しいことだったでしょう。
元気なときだったら当たり前のようなことでも
このときはほんとうに嬉しくて夢のように思えました。
1字1字時間をかけて、最初はしっかりした形にならず
書いているうちに字が重なり合ったり はみ出たり
真っ直ぐに書けなかったりしましたが
日に日に字らしい形になってきました。


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晴香との思い出の記録 [晴香との思い出の記録]

4月に入ってから急にいそがしくなってブログも
なかなか更新できませんでした。
気がつけば前回からもう10日以上も過ぎてます。
ろくに更新できないくせにHP2つにブログ2つと手を広げすぎてしまって。。
どれもみんな休眠状態になってしまいました。
忙しいだけでなく 書きたいことはあるのだけど
なんとなく日記を書こうとする気がおきなかったということも
正直言ってありました。
書きたいと思うとき そうじゃないとき
いろいろな時がありますが 
これからも気持ちの赴くままでいこうと思います。
まったく気ままな日記ですみませんm(_ _)m

1年半ほど前に、晴香の一周忌にと15ページほどの冊子をつくりました。
小さい頃からの写真 家族やお友達、従姉妹たちとの思い出の写真。
みなさんからいただいたものの中から
色紙や短歌、写経、弔辞、同級生からの晴香を偲ぶ言葉など。
入院にいたるまでの経緯。
退院してから学校へいくまでのあいだに晴香がリハビリを兼ねて書いていた日記。
学校へ行くようになってから書いていた生活ノートからの引用と私の言葉。
それらをパソコンでまとめ20部ほど印刷し
おもに一周忌の時にお参りに来てくださった方を中心にお配りしました。
表紙は晴香のHPのトップページの写真と同じものです。
HPにはその冊子に載せなかったことを中心に書いてきましたが
これから冊子の中から一部抜粋して
ここにも載せていこうかと考えています。

晴香が退院後に書いた日記は3年前の4月から始まっています。
手術のダメージからまだ完全に回復できていなくてたどたどしい字や文章だけれど
時間をかけて一生懸命書いたものでした。
あれからもう3年が経ってしまったのかと
4月に入ってから、あのころのことを何度も思い出していました。
晴香の書いた文字をなんとかそのままここに載せたいとおもったのですが
スキャナーで綺麗に取り込めなくて
しかたないのでワープロで打っていこうと思っています。


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