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「考える日々」「考える日々Ⅱ」 [池田晶子]

「考える日々」に続いて、「考える日々Ⅱ」を読み終えた。
Ⅲも読んでから、まとめて書こうと思っていたのだけど、こちらはまだしばらく後にしか読めそうにないので、とりあえずここでいったんまとめておくことにしよう。

私が池田さんの本の中で一番最初に知ったのは、「14歳からの哲学」
これは、訃報を知らせるニュースのなかで、
「『14歳からの哲学』の著者池田晶子」と伝えられていたから。
でも、一番最初に読んだのは、「勝っても負けても41歳からの哲学」のほう。
そして、その次に娘にも読んでほしいと思い、「14歳の君へ」を。
この2冊を読んで、これは他のももっと読まなくちゃ・・・となり
その後も「14歳からの哲学」「あたりまえなことばかり」「人生のほんとう」「暮らしの哲学」・・・
と立て続けに数冊。

どちらかというと、中期から後期にかけての著書を読むことが多かったのだけど
今回の「考える日々」「考える日々Ⅱ」は「オン!」とともに比較的初期の頃の作品になる。
池田さんと言えば、もともと歯に衣着せぬ物言いする人というイメージではあったけれど
これら初期の頃の作品はさらに”切れ味鋭く”といった感じを受けた。
それでも、情緒あふれる最後のころの作品をすでに読んでいて、
穏やかなイメージの池田さんを知っているからなのだろうか
ちょっと強すぎるかなと感じられる物言いにも、むしろ若き日の血気盛んな池田さんを垣間見るようで、
なにか微笑ましくさえ感じられたくらい。
それに、自分では言えないけど、日ごろおかしいと思っていることに対して
池田さんが代わりにすっぱりと言いきってくれている・・
すっぱりばっさり、すっきりと・・・と、もしかしたら本の中で、自分自身が知らず知らず池田さんになっているのかもしれない。

他にも、いろいろな方の名前が登場している。
養老猛は、池田さんの他の著書の中にもよく出てきますね。
小林よしのりの名前が出てきたのにはちょっとびっくり。
お二人がもし対談されたらどんなことになるのかな、と想像しながら読んでいたら、
思わずふふっと笑えてきた。おそらく、話がうまくかみ合わずじまいで終わっちゃうのでは。
五木寛之の「大河の一滴」についても、批評されてますね。
といっても、池田さんはこの本を読まれたわけではなく、
「希望をもつから絶望するのだから、絶望から始めるのが生き抜くコツだ」
という宣伝ステッカーをみてのこと。池田さん曰く、
『「哲学的に正確を期すならば「希望も絶望もじつはないと知ることが、生きて在るそのことだ」』
とのこと。
実は、五木寛之の「大河の一滴」は、池田さんの本と出会う前に読んだことがあり
当時、数冊読んだ五木さんの本の中でも、一番印象に残っているもの。
このブログにも、この本のこと少しだけ書いてました。

http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2006-02-19

「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だとあきらめることからはじめよう」
この部分が、とくに”あきらめる”という言葉が、絶望に打ちひしがれていた当時の自分に響いたよう。
でも、池田さんは、絶望も希望もないのだとおっしゃっている。
この本を全部読んだ上での感想も、聞いてみたかったような。
もう今となっては叶わぬことだけど。。


「考える日々」でも「考える日々Ⅱ」でも、夢と現について書かれていて、
どちらもなかなか興味深い。
たとえば、「考える日々Ⅱ」の中の「とろけた自我は世界の側へ」p112~

夢と現の境目で、トロトロウトウトしているときに気持ちがいいのは
自我がとろけてなくなっているからなのであって、
現実世界で、人は自我という武装をして、自分とはまた別物と思いこんでいる他人の自我と
ぶつかり合うから、疲れるのだという。
現実世界も夢の世界となんの違いがあるのか、現実も夢も同じ自分の夢であり現実である、
と池田さんはおっしゃる。
自我なんてものを自分だと思うのは、ただの思い込みなのだともおっしゃる。
だとしたら、夢の世界と同じように、現実世界でも自我の鎧をはずし、他人も同じだとおもえば
もっと人は楽に生きられるということなのだろうか。
そうは思っても、この自我というのがやっかいなもので、なかなか手放すことができない、
自我の鎧をまとって、身動きとれなくなることもしばしば。そんな自分を別のところから
眺めているもう一人の自分がまたいたりして・・「ああ、またまただめだなぁ・・」なんて呟いたりしてる。
自分は心が弱いからなのか・・でも、池田さんでも、「頭からふとんを被って終日身動きせず、寝返りひとつ打たない。打てなくなる・・(p38)」こともあるそうで、なんだかちょっと安心したり。池田さんでもそんなことがあるんだな、って。。


最後に、「考える日々」の中で、特に印象に残った部分。
「宇宙自身を考えるために」p102~

「進化論的には、脳があるから考えができたのではなく、考えが在るから脳ができたのだ。
光があるから眼ができたように、考えが在るから脳ができたのだ。明らかに考えのほうが先なのである。」

こんな風に考えたことがなかったから、この部分を読んで、う~んと考えこんでしまった。
深海に住む魚には眼がないという、それは光がないから。
光がないところには眼がいらない。同じく考えがなければ、脳はいらないというわけで
あらかじめ宇宙に考えがあるからこそ、脳が発達したというわけだ。
この考え方、そんなばかなぁ~と言ってしまえない、自分にとっては、上手く言えないけど
なるほど、なるほど~って感じ。
この考え方って、池田さん自身が考えられたことなのかな。
それとも進化論の考え方として、どなたかが言われたことなのだろうか。
もし池田さんが考えられたなら、すごい!と思うのだけど。。

他にも面白かった部分はたくさん。
でも、すでに限界を超える長さになってしまっているので、このあたりで。
つぎは「私とは何か」それから「君自身に還れ 知と信を巡る対話」を読もうかな。

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