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花火と晴香 [思い出]

昨日は、長良川の花火大会がありました。
花火のどーんと打ち上げられる音をきくと
落ち着かなくなってきて、みにいかなくては。。という気持ちになったり
華やかできれいなんだけど、みてると切なくなるような 妙な気持ちになります。
こういう気持ちになること、晴香が病気になるまではありませんでした。
花火の音を聞いてもただ、ああー夏だなーとか
河原はきっとすごい人だろうなー、とってもあの人混みに行く気はしないなぁ
くらいにおもっていただけでした。

3年前、晴香の具合がよくなったり悪くなったりを繰り返し
入退院を繰り返していた時期
8月の第1土曜日でした。
7月30日に5度目の入院から解放されて
最後の短い夏休みを自宅で過ごしていました。
どうしても、花火がみたい
それも、長良川まで出かけていって、間近でみたい
という晴香の願いを何とかして叶えてあげたい・・

それで、混み出す前のまだ明るい頃に主人に車で送ってもらい
晴香と沙織と私の3人で、長良川の河川敷まででかけて行きました。
すごい人混みで、当時まだ10歳だった沙織も、
足下がおぼつかない晴香をかばうようにして後ろからついてきてくれました。
まだ薄明るい頃に上がる花火は、それほどはっきりとはみえません。
それでも晴香は、空をみあげては、「すごーい!」と何度も。
川沿いの道にはたくさんの露天商が並んでいました。
3人で焼きそばを買って、河川敷に降りて食べました。
半分くらい食べたところで、晴香は焼きそばをひっくり返してしまい、
食べられなくなってしまいました。
そのころすでに、右手に軽い麻痺がきていたので、うまくもっていられなかったのでしょう。
かわいそうになって、そのあとかき氷を買ってあげたら 、とっても嬉しそうでした。
ほんとうにこの頃は、無邪気な子がますます幼くなって親ばかかもしれないけど、
晴香がまるで純真無垢な天使のようにみえました。

だんだんと暗くなってきて、いよいよ本番の花火がはじまると
晴香は、「うわーっ!すごーい、きれい!!」と
何度も何度も歓声をあげました。
以前一緒に来たときには、花火には大して関心をみせずに
露天のお店ばかり気にしていたのに
この日は、ほんとうに花火に感動している様子でした。
長い病院生活をするあいだに、外の世界に対する感受性が鋭くなったのでしょうか。
春に退院したときにも、いつもの年より何倍も桜が美しくみえた、
おそらくあのときと同じ感動だったのではないだろうか。

一番よく見えるところでみせてあげたい
と、人混みをかき分けて、長良橋のうえにたどりつきました。
そこからみる花火は、今までみたなかでも最高にきれいにみえました。
かき氷を食べながら、うち上がる花火をみては後ろにいる私の方を何度も振り返る晴香。
最高の笑顔、花火の音、幸せなひとときでした。
橋から下を眺めると 河原で人々が携帯を開いているのか
まるで蛍が飛び交っているかのように無数の光が瞬いていました。

今も花火の音をきいたり、みたりすると 、あのときのことが浮かんできます。
晴香のえがお、焼きそばをひっくり返して悲しそうな表情の晴香、
橋の上からみた花火、河川敷の蛍のような光
あのとき、もう少し長く花火をみせてあげたかった・・・
「もうちょとみたい・・」と、晴香は言っていたのに、
混むといけないからと、早めに帰ってしまった。。。
だから、今も花火の音が聞こえてくると
みにいかなくちゃ、晴香にもうちょとみせてあげなくちゃ
と、どこかでそんな風にかりたてられているのかもしれない。

みにいかなくちゃと、どこかでおもうものの
あれからは、1度もみにいっていません。
自宅で、窓からわずかにみえる花火を1人でみています。
1年目は、涙でまともにみえませんでした。
2年目は、ちょっとだけみえました。
今年は、うるうるしたものの
泣かずにみることができました。
少しずつ、悲しさが薄れていっているのでしょうか。
それとも、悲しみとのつきあい方に慣れたのでしょうか。
薄れていっているのなら、それはそれで寂しいような気がします。
あのときの記憶は決して薄れていってはいないのですが・・


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高校見学&職場体験 [思い出]

先日行きつけのガソリンスタンドへでかけたときのこと。
いつものようにガソリンを入れ、ブレーキランプが切れてるから替えて
とお願いして外に出ると、普段見慣れない青年の姿がありました。
よく見ると、晴香と小学校からずっと同じクラスだったH君ではありませんか。
あれ、どうしてここに。
胸の名札をみると、○○高等学校 ○○○ 実習中
などと書かれてありました。
そうか、H君たちは今高校3年生、
もう就職や進学の年なんだな。
晴香との時間はあれから止まっているけれど
時間は確実に流れていて、同級生のみなさんは成長されているんだなぁと言うことを
改めて知らされたような気がしました。

そういえば、3年前、晴香が病気と闘っていた頃も
同級生のみなさんは中学3年生で、
進学に向けて、一生懸命にがんばってみえました。
ちょうど、6月頃だったと思いますが
高校見学の希望調査もありました。
晴香は、調子が下降気味ではあったのですが
本人は、秋頃に行われる高校見学に行く気満々で
私にも「お母さん、高校見学の希望調査書かいて出しておいてね」
と、何度も言っていました。
正直、そのころ学校も休みがちで、高校見学に出かけることはとてもできそうにない様子でしたので
曖昧に返事を返すだけで、希望調査書も出さずにいました。
結局、その後病状は悪化してしまい、高校見学に行くことはかないませんでした。
保育師になりたい、という夢があったのに。
保育科のある○○高校に行きたい。。という希望もあったのに
進学はおろか、見学に行くことさえもできなかったことが、
かわいそうだったなと今でも残念に思います。

中学2年の夏休みには、保育所で職場体験をしました。
小さい子が大好き
面倒見が良くて、小さい子に好かれた晴香
この病気になって、言葉も話さなくなり、笑うこともなくなっていたころ
近所の小児科で、小さい子たちを目の前にしたときに
なんともいえずうっとりするような、笑顔をみせてくれた
あのときの晴香の表情が、今も印象に残っています。
苦しいときにでも、小さい子をみて微笑んでしまう晴香は
ほんとうに小さい子が好きだったんだな。
今は、空の上で小さな子たちにも囲まれて
きっと、ニコニコ微笑んで、楽しくやっているに違いないね。
晴香の笑顔が、お母さんにもみえてくるよ。


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入学式 [思い出]

きのうは娘たちの中学校で入学式がありました。
新入生の親ではないのだけどPTAの役員を受けた関係で
私も入学式に出席しました。

新しい制服がまだ体になじんでいなくて
とっても初々しい新入生の子供たち。
この日にあわせて満開になったかのように
桜の花がみごとに咲いていました。
校門のあたりではこの桜をバックに
記念写真を撮る親子連れの姿がたくさんみられました。

その姿をみながら自分の娘たちの入学式のことが
いろいろ想い出されてきました。
沙織が入学したのはつい1年前のこと。
今ではすっかり背も伸び 中学生の顔になってきているので
わずか1年前に入学したような気がしません。
もう何年も中学生してるように思えます。

晴香が入学したのは5年前のこと。
元気に中学に通えたのは中学2年の2学期まで。
いっしょに過ごせたのは3年の秋まででした。
思い出はその時から止まったままです。
だから入学式からもう5年も経ったとは思えません。

中学校の駐車場の片隅にある桜の木。
この下で入学式の日 晴香とお友達2人といっしょに写真を撮りました。
やっぱりきのうのように桜の花が今が盛りとばかり綺麗に咲いていました。

 

自分の中ではあれからまだ5年も経っていない気がするのだけど
こうして写真を眺めていると 確かに時間は過ぎ去っているんだと
思えくるような気もします。
        

青空に映える桜の花。
何処かで晴香もみているのかな。


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スポーツ少年団空手道部 [思い出]

きのうの朝刊にスポ少の指導者として貢献され
表彰を受けた方のお名前が載っていました。
その中に晴香が小学校の時にお世話になったA先生のお名前もありました。
A先生は晴香が小学校3年生の時の担任の先生でもありました。
その先生が指導してみえたスポ少の空手道部に
晴香も小学3年から5年の終わりまで在籍しお世話になっていました。

スポ少の空手といっても寸止めでなくフルコンタクトで
試合ともなると防具をつけばちばちと蹴り合い撃ち合いの激しいものでした。
晴香は同級生と比べてもかなり背が小さくて
運動も苦手だったので 空手自体にはついて行くのは大変でした。
それでもA先生はじめいっしょ指導してくださった方や
お世話してくださった役員の方々 それにたくさんの仲間にも恵まれて
なんとか2年と少しの間続けることができ
ともにいろいろな経験をさせてもらうことができました。
週1回の練習だけでなく 夏の合宿や長良川の川下り(ラフティング)など
楽しい経験もいろいろさせてもらいました。
ラフティングでは晴香たちの乗ったボートが途中で転覆してしまうという
アクシデントがありました。
そんなこともあったせいかあのときのことは
今でも印象深い出来事の1つになっています。

晴香の告別式のとき学年の代表として弔辞を読んでくださったのは
4人のうち3人までがこの空手道部でいっしょだった子たちでした。
その後もなんどか晴香のお参りにと家まで訪ねてきてくださいました。
いつまでも晴香のことを覚えて気にかけていてくださることは
親としてとてもうれしいことでした。

それだけでなく 逞しく立派に成長している彼らの姿に
今は亡き晴香の姿が重なってみえるような
彼らの傍らには少しだけ成長した晴香がともにいるような
そんな気さえしてきて なんだか嬉しくなったりもしました。

妹の沙織も4年から6年の最後まで空手道部に在籍。
お姉ちゃんがでられなかった対外試合にもでたり
20人抜きもやり遂げて黒帯ももらいました。(あくまでスポ少レベルですが。。)
晴香も沙織の頑張りを何処かからみてきっと喜んでくれていたことでしょう。
試合のたびに「さおりーっ!がんばれー!」
と晴香の声援が聞こえてくるような気がしていました。
今沙織は中学でバスケットをがんばっていますが
厳しい練習にもまけない強い心とからだを
この空手道部で培っていただいたように思います。

A先生 2人の娘が大変お世話になりました。
たくさんの仲間とともにかけがえのない経験をさせていただいたこと
またそういう場を提供してくださったこと
感謝しています。
これからも子どもたちのためにどうかがんばっていってください。


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連れて行ってあげられなかったディズニーランド [思い出]

皇太子一家がディズニーランドを訪問されたとかできのうからテレビニュースで
さかんにその様子を報じています。
ディズニーランドは子どもにとっても大人にとっても
楽しい夢の世界のようです。

3年前の今頃 晴香の一番行きたいところはディズニーランドでした。

3年前の2月4日に病名がわかり緊急入院。そして1週間後には手術。
退院までの1ヶ月と少しの間は晴香にとってとても辛い日々だったと思います。
手術直後は自由に動きまわることや話すこともままならず
いつか再び歩くことができるようになるのだろうか
もう一度もとの明るい晴香に戻れる日がやってくるのだろうか
そんなことを思っては不安に駆られる毎日でした。

それでも2週間を過ぎる頃から車いすに乗れるようになり
少しずつ歩く練習もできるようになってきました。
そしてあの渡り廊下ではじめて歩けるようになったころから
だんだんと元気を取り戻していきました。

3月に入って週末外出許可が出ると家族4人でアピタへ出かけていきました。
晴香にとっては久しぶりの外出でした。
まだ長い時間の外出は疲れるのでほんの少しの時間だけ。
4人でプリクラをとってすこしだけ買い物をして帰りました。

3月11日に退院してからは毎週末家族であちこち出かけました。
長良公園・畜産センター・犬山モンキーパーク・岐阜祭り・河川環境楽園などなど
この頃は体力もついてきて日に日に元気になってきていたので 
晴香の「ディズニーランドに行きたい」という願いは
いつかきっとかなえてあげられるのでは
放射線の影響で抜けてしまった髪も秋頃には少しはもどって
いっしょにディズニーランドにもいけるのでは・・・・
と思ったりしていました。

でも次の秋がやってきたときにはもう晴香はいませんでした。
1年の余命宣告を受け せめてつぎの夏と秋はみんなといっしょに楽しく過ごさせてあげたい
夏休みには山岡でみんなといっしょにバーベキューをしよう 花火もしよう
秋にはディズニーランドにつれていってあげよう
それはみんな叶わぬこととなってしまいました。

後になって難病の子の夢を叶えるメイク・ア・ウイッシュという団体があることを知りました。
もっと早く知っていたら もしかしたら連れて行ってあげられたのかも
もっと早い時期におもいきってでかけていたらよかったのかも
などと悔やんだこともありました。

今思えば5月の連休のころが晴香の一番のピークだったようです。
手術のダメージからも回復し体力もあったころ。
そのゴールデンウィークにみんなで大阪に出かけられたこと。
ディズニーランドへはいけなかったけどユニバーサルスタジオへ
出かけられたことがせめてもの救いに思えます。
ディズニーランドへは連れて行ってあげられなかったけど
ユニバーサルへ行けたから晴ちゃん許してくれるよね。


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卒業の季節 [思い出]

このところあちこちで卒業式が行われています。
県内の公立高校は1日にありました。

その日のテレビニュースで斐太高校の卒業式恒例行事 
白線流しの様子を放映していました。
以前高山にいたころ 斐太高校の近くに住んでいたので
このニュースとても懐かしくみていました。
白線流しとは男子学生の学帽の白線と女子生徒のスカーフを
1本に結びあって永遠の友情を誓い合い 
学校前を流れる大八賀川に流すという伝統の行事です。
少し前にテレビドラマでやっていた”白線流し”は舞台が信州になっていましたが
ほんとうはこの高山市の斐太高校で伝統的に行われているものなんです。

娘達の中学の卒業式は今週末の10日だそうです。
沙織は今卒業式で在校生が歌う歌の伴奏を一生懸命練習しています。
ときどき「お母さん 伴奏にあわせて歌ってみて」
なんていうものですから 旋律をピアノで弾きながら口ずさんだりしています。
卒業式の歌って 独特の雰囲気がありますね。
歌いながら 娘の弾く伴奏を聴きながら おもわず込みあげてくるものがあります。

沙織が現在通っている中学は当然ですが晴香が通っていた中学でもあるわけで
歌を聴きながら あのころのことがいろいろ甦ってきます。
晴香が亡くなったのが中学3年の秋。
当時在籍していた3年4組のみなさんは 
最後まで晴香の机と写真を教室においてくださいました。 
卒業式にはご両親も出席くださいと招待もいただきました。
その気持ちはとっても嬉しかったです。
できれば晴香の遺影と共にいっしょに参加して見届けたい
そんな想いもありました。
でも元気でいたらこの場に当然いたはずの晴香がいないということに
平静でいられるだろうか
心は揺れました。
「卒業式はお祝いの場だから自分たちはでるべきでない」
という主人の言葉に
自分がその場に出席して泣かずにいられるだろうか
おめでたい席で悲しみの涙を流すのはふさわしくない
泣かずにいられる自信がないならやはりでるべきでないだろう
そう考えて出席しないことにしました。

せめて晴香の遺影写真は明るく華やかにしたいと
木枠のフレームにフラワーアレンジメントのお店で
たくさんの花を飾り付けてもらいました。
卒業式当日はその写真を同級生のお友達や担任の先生が
ずっともっていてくださいました。
知り合いの方が撮ってくださったビデオをあとからゆっくりとみせていただきました。
式に出なくともこれで十分でした。
写真をずっと持っていてくださった同級生や担任の先生
答辞の中で晴香のことを語ってくださったお友達
みなさんの温かな想いが伝わってきて式に出なくても
私たちにとって忘れられない卒業式になりました。
その日きっと何処かからみていたに違いない晴香にとっても
きっと同じだったろうと思います。


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雛飾り [思い出]

ちょっと前から気になっていたのになかなか出せずにいたおひなさま
今日やっと飾ることができました。
ひな祭りまで今日をいれてあと6日。
かろうじて間に合いました。
          
お内裏さまとおひなさまの人形はリビングに。
こどもたちが小さいころ紙皿に作ったものも飾ります。
これは晴香が小学校低学年のころに作ったものだと思います。
紙皿に折り紙でつくったお内裏さまとおひなさまを貼ったもの。
明るい顔のお内裏さまとおひなさまは晴香のイメージそのものです。

この頃は母子3人で折り紙や紙皿・牛乳パック・段ボールなど使って
いろいろなものを作ったりしていました。
折り紙で花を作って飾ったり動物や手裏剣を作って遊んだり
牛乳パックでいすやびっくり箱を作ったり
今でもそのころ作ったものが写真に残っています。
いまだに使っているものもあります。
親子でいろいろなものを制作する時間はとても楽しいものでした。

この紙皿のおひなさま 晴ちゃんのコーナーに 
鮮やかな色のチューリップとともに飾りました。
とっても春らしく爽やかな感じが漂っています。
         
              


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病院での思い出 [思い出]

図書館で借りていた本の返却日が過ぎていることに気づき
今日急いで返してきました。
この図書館は晴香がお世話になっていた県立岐阜病院の近くにあります。
図書館の近くからも病院の建物がよく見えます。
この病院も今年の秋には新しく大きく生まれ変わります。
今の病院横に現在建設工事が行われています。

病院のHPを見ると新しい病院は古いときと比べて
随分と広くなるようです。
病室も個室が増え 大部屋も一室4床で全部のベッド脇に窓ができるそうです。
今までは個室の数も少なく大部屋にはせまい室内に6床もベッドが置かれ
とても窮屈なものでした。
年数も経ってるので当然古くて暗い感じでしたし。。
新しくなってゆったりと利用できることはいいことだなと思います。
設備の方もよくなるのでしょうし。。。

でも 晴香とともにあの病院でたくさんの時間を過ごした私にとっては
なんとなく寂しい気もします。
最初と最後の入院は1ヶ月以上。
その間にも1週間とか2週間とかなんども入院したことがありました。
昼間はほとんどといっていいくらい晴香の傍に付き添っていたし
夜も時々主人に代わってもらったとき以外はほとんど泊まっていました。

あの病院には晴香と過ごしたたくさんの思い出があります。
病室の中はもちろんのこと
保冷剤をもらいになんども通ったナースステーションや
車いすを押して歩いた廊下。
いっしょにお菓子を買いに行った購買部。
晴香が好きだった地下の喫茶店。
もう一度いっしょに喫茶店で食事がしたいなと言っていた
晴香のささやかな願いは叶えてあげられなかったけれど。。。
たくさんの思い出の場所の中でも一番忘れられないのは
病院の西端2階にある渡り廊下。
最初の手術のあと なかなか歩けなかった晴香が初めて歩いたところ。
スプーンもなかなかもてない 歩くこともままならず
移動は車いすだったあのころ。
その日はとても穏やかなよい天気で
朝の陽の光が窓から眩しいばかりにキラキラと差し込んできていました。
そんなあたたかな初春の光の中で
初めて晴香が私たちの手を離れて3歩4歩と歩いたときの喜びは
いまだに忘れることができません。
幼いころにはじめて歩いたときの喜びよりももっと大きかったような気がします。

苦しくつらかった闘病生活ではあったけれど
悲しいことばかりでなくささやかな楽しみや回復する喜びもありました。
なにより晴香とともにかけがえのない時間をそこで過ごしました。
思い出の場所がこわされなくなってしまうのは寂しいです。
せめてあの廊下だけでもと思うのは未練がましいでしょうか。。。

たとえ思い出の場所は壊されなくなっても 
晴香が歩いたときのあの場面は眩しい朝の光とともに
私の中で永遠に輝き続けていってくれると信じています。


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思い出の飛騨高山 [思い出]

先日高山に住む知人のTさんがお手紙と飛騨のりんごを送ってくださいました。
早速お礼の電話をすると 
晴香のことずっと気にかけていてくださったとのこと。
もう何年もお会いしてなくて 年賀状だけのお付き合いになってしまっていたのに
晴香のこと覚えていてくださってとてもうれしかった。。。

私たちが高山に住んでいたのはもう15年以上も前のこと。
晴香が生まれる前から3歳になる年までの4年間。
私たちが4階でTさんご夫婦がそのすぐしたの3階。
とことこと部屋の中を走り回る晴香の足音でずいぶんご迷惑をおかけしていたのに
いつも優しい言葉をかけてくださいました。

Tさんのお宅には当時鳩時計がかけてあって
そのとけいが 「ピポピポッ」となるのをきいた晴香は
それ以来 Tさんのご主人のことを 「ピポのおじちゃん」と呼ぶようになりました。
Tさんご夫婦によく懐き「ピポのおじちゃん」とニコニコしながら呼びかけていた
晴香の声が 今も懐かしく思い出されます。
もう何年もお会いしてないのに 電話で昔の懐かしい話をしていると
いろいろなことがついこの間のことのように思い出され
長い年月の空白が一気に埋められていくようでした。
当時一緒の住宅にいた人たち
みなさんあちこちに家を建てられたり
引っ越されたりしてバラバラになってしまったけれど
今でもときどき集まってみえるとのこと。
私もずっと高山に行っていないけれど話をしているうちに
また出かけてみたくなってきました。

懐かしい飛騨高山。幼い晴香との思い出がいっぱい詰まった場所。
雪深い冬の寒さ厳しい地ですが 人情溢れる素敵なところでした。


お守り [思い出]

先日 海外出張に出かける主人が 久々にスーツケースを開けたところ
子供たちが昔 主人のために作ったお守りがでてきました。
晴香が小学校6年生 沙織が2年生のときのものでした。
折り紙で作ったお守りの中にはお父さんへの無事を祈る手紙が入っていました。

お父さん 一度は連絡してね。
無事に元気な姿で帰ってきてね。

そのようなことが書かれていました。
このお守り 子供たちが私には見せることなく主人に渡していたのか
それとも もう5年も前のことですっかり忘れていたのか
私にはまったく初めてみるもののように思えました。
晴香らしい手紙の内容 懐かしい晴香の字
折り紙で作った入れ物には お守り お父さんへと書かれていて・・。
主人や娘の前では泣かないようにしようとずっと思ってきたのに
こんなの見たらたまりませんよね。
その当時のことが一気に思い出されてきて
おもわず涙が溢れてきてしまいました。

主人はこの2つのお守りをもって今日出かけていきました。


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