雨の命日 [思うこと]
今日は、晴香の6回目の命日
朝から夜まで、ずっと雨が降り続き、晴香の命日らしからぬ一日でした。
これまで、毎年のように、この日はすばらしい秋晴れになっていたのですが。。
昨年の今日も・・・
おととしのこの日も・・
真っ青な空は、晴香のイメージにぴったり
なのに今日は、青空の欠片も見ることができなく、残念でした。
それでも、午前中、私の両親と姪が来てくれ
午後からは中学のときの担任だった先生が、わざわざお参りに来てくださいました。
数日前にもNさんTさん母子が訪ねてくださったり。。
幸せ者ですね、母も子も。。感謝の気持ちでいっぱいです。
少し前に県立図書館で、本を数冊借りてきました。
その中の一冊が、「亡き子へ~死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言」若林一美編
これは、「ちいさな風の会」という、子どもを亡くした親の会の文集に寄せられた、1200以上の
エッセイから80余編を収録したもの
こういった手記集のような類の本は、ここのところ読んでいなかったのですが
晴香の命日も近いということで、読んでみようという気持ちになったのかもしれません。
お子さんを亡くされてまだ数カ月、という方の文章からは
悲しみや苦しみの気持ちが生々しく伝わってきて
自分自身の当時の記憶が蘇ってくるようで、読みながらつい涙してしまいます。
それでも、1年、3年、6年・・・と、気持ちは微妙に変わっていくのだということ
時間というのは、人の心を少しずつ癒していくようです。
胸が張り裂けるような悲しみに日々悩まされることもしだいになくなり
普通に毎日を過ごし、笑い、楽しむことができるようになる一方で
それはそれで、なんとなく淋しくまた後ろめたくも、思えてしまう。
現実の世界に我が子がいないことに慣れ、いないことが普通になり
いっしょに過ごしたときのことが、まるで夢の世界のできごとであったかのように思えてくる・・
そんな複雑な気持ちや不思議な感覚は、経験した者にしかわからないのかもしれません。
いろいろ共感した中でも、とくに伊藤忠男さんの書かれた文がとても心に残りました。
「十年」というタイトルが付けられたその文章は、今の自分の心境と、よく似ているように思えます。
最後の部分だけ、少し引用させてもらいます。
『・・・子どもを亡くしてからは人生設計というものを考えたことはありません。
毎年毎年が生きられればいい、いや一日を大切に生きたい、
一生懸命に、頑張って生きるのではなく、その時その時を自分の気持ちに素直に生きたいと思う。
子どもはいつも心の中に生きている、自分に生ある限りこの子を思ってやりたい。』
今日でちょうど6年。
来年、再来年・・・そして10年、20年後の自分は、どんな思いでいるのだろうか。
朝から夜まで、ずっと雨が降り続き、晴香の命日らしからぬ一日でした。
これまで、毎年のように、この日はすばらしい秋晴れになっていたのですが。。
昨年の今日も・・・
おととしのこの日も・・
真っ青な空は、晴香のイメージにぴったり
なのに今日は、青空の欠片も見ることができなく、残念でした。
それでも、午前中、私の両親と姪が来てくれ
午後からは中学のときの担任だった先生が、わざわざお参りに来てくださいました。
数日前にもNさんTさん母子が訪ねてくださったり。。
幸せ者ですね、母も子も。。感謝の気持ちでいっぱいです。
少し前に県立図書館で、本を数冊借りてきました。
その中の一冊が、「亡き子へ~死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言」若林一美編
これは、「ちいさな風の会」という、子どもを亡くした親の会の文集に寄せられた、1200以上の
エッセイから80余編を収録したもの
こういった手記集のような類の本は、ここのところ読んでいなかったのですが
晴香の命日も近いということで、読んでみようという気持ちになったのかもしれません。
お子さんを亡くされてまだ数カ月、という方の文章からは
悲しみや苦しみの気持ちが生々しく伝わってきて
自分自身の当時の記憶が蘇ってくるようで、読みながらつい涙してしまいます。
それでも、1年、3年、6年・・・と、気持ちは微妙に変わっていくのだということ
時間というのは、人の心を少しずつ癒していくようです。
胸が張り裂けるような悲しみに日々悩まされることもしだいになくなり
普通に毎日を過ごし、笑い、楽しむことができるようになる一方で
それはそれで、なんとなく淋しくまた後ろめたくも、思えてしまう。
現実の世界に我が子がいないことに慣れ、いないことが普通になり
いっしょに過ごしたときのことが、まるで夢の世界のできごとであったかのように思えてくる・・
そんな複雑な気持ちや不思議な感覚は、経験した者にしかわからないのかもしれません。
いろいろ共感した中でも、とくに伊藤忠男さんの書かれた文がとても心に残りました。
「十年」というタイトルが付けられたその文章は、今の自分の心境と、よく似ているように思えます。
最後の部分だけ、少し引用させてもらいます。
『・・・子どもを亡くしてからは人生設計というものを考えたことはありません。
毎年毎年が生きられればいい、いや一日を大切に生きたい、
一生懸命に、頑張って生きるのではなく、その時その時を自分の気持ちに素直に生きたいと思う。
子どもはいつも心の中に生きている、自分に生ある限りこの子を思ってやりたい。』
今日でちょうど6年。
来年、再来年・・・そして10年、20年後の自分は、どんな思いでいるのだろうか。