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2011年今年のおみくじ [日々のできごと]

あけましておめでとうございます!
ちょっと前に年が明けたばかりだという気がするのに、もうお正月も終わり、
今日から仕事始めですね。
年々、時が過ぎるのが早く感じられます。

年末年始は、遠出することもなく(ここ数年ずっとそうなのですが・・)
ほとんど家に籠って、映画やスポーツ観戦をしていました。
レンタルDVDやwowowで観た映画、5本。
スポーツ観戦は、箱根駅伝や12月に行われたテニスの録画放送など。
箱根駅伝も白熱した展開だったし、映画もどれもなかなか面白かった。
こちらのブログにはこのところ本の感想を書くことが多くなっていますが、
今回観た映画についても、機会があったら感想などまた書いてみたいとおもっています・・(実現するかな?!)

籠りがちだったお正月ですが、初詣には出かけていき、毎年恒例になっているおみくじも
引いてきました。
いつも行く加納天満宮には、この日なぜか物凄い人が詰め掛けて、門の外にまで
参拝を待つ人が溢れ。。
最後尾に並ぶ気力もなく、早々にひきあげ、かわりにほとんど人のいない近所の住吉神社で
お参りをしてきました。
おみくじは、昨年に続いて「中吉」でした^^

今年の神の教にはどんなことが書かれていたでしょうか。

**********************************
  難儀苦労のある時ばかり神の御袖(みそで)にすがる気か
難儀な時の神だのみ、平素は一向にふり向きもしないで、人の力の及ばぬ苦しみに行き合わすと、俄かに神様神様とさわぎ立てる。神様も可哀想だと思し召し御助けなさって下さるでしょうが、私共は平素から神様を敬い其御心に叶う様正しい行いをしておかねばならぬ。
**********************************

この言葉には、ちょっと苦笑、でも確かにその通りですね。
普段熱心に特定の神様に祈りを捧げるわけでもなし、いつもいつもなにかの神様を意識してるわけでもなし。
だけど、受験がせまったり、病気になったり、年の初めの願い事をするときなど
そういう時になると、俄然神様お願いします!となるのですから。
神様、おっしゃる通りです。すみません・・
でも、神様、そうはおっしゃいますが、後半のこの部分には、ちょっと、いやかなり不満。

「神様も可哀想だと思し召し御助けなさって下さるでしょうが・・・」

神様は、いつも御助け下さるとは限らないのですよね。どんなに頑張ってもどんなに願っても、
助けてもらえないことも、この世の中にはしばしばあるんですよね。
物凄い頑張っても助けてもらえない、一生懸命努力してきたものが何故にこのような目にあうのか
そんな不条理極まりない事例をいくつも見てきました。晴香もそのひとり・・
以前のように神様仏様を恨むつもりは今さらないですが、
それでもやはり、この世界が理解できない納得しきれない不条理に満ちていること
この事実の前には、呆然となって立ちすくんでしまうのです。
そしていつまでたってもなぜに?と問うことがなくなることなく・・
きっと今年もまたこうやってつぶやき続けるのでしょうね。

神様と言われて私がイメージするのは、神社の氏神様とかなにか特定宗教の神様というよりは、
むしろもっと普遍的なもの。
このブログでも、いろいろなところで書いていると思うのですが・・
そういうイメージでの「神」であるなら、以前よりは意識するようになってきたように思えます。
なにか人知の及ばぬ大きな力によって、私たちは生かされているんだというような。
その力の前では、私たちの力も存在もちっぽけなものにすぎないように思われます。
物理音痴の私が、宇宙とか科学の分野にも興味をもったりするのは、こういうことも
関係しているのかもしれません。といっても、この大きな力は、おそらくは
科学の力をもってしても解明されないのでは・・とも思えますが。。
まさに人知の及ばぬわけですから。

今年もまた、いろいろな方面に興味を広げて、たくさんの本や映画と出会っていきたいです。
このブログにお越しくださっているみなさま、迷える私に、アドバイスやコメントなどくださると
とても嬉しいです。今年もどうぞよろしくお願いしますm(_ _"m)

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E・G

あけまして、おめでとうございます。

今年も、はるママさんのエッセイを楽しみに、伺わせていただきます。
箱根駅伝は伯仲のレースが面白かったですね。湘南まではそれほど遠くないので、いつか沿道まで応援に行ってみたいのですが。

人生の不条理・・・皮肉なことに、これがあるから必死に考えなければいけないような状況に追い詰められるようです。
神なんて信じられるものかと、絶対否定から始まった存在の追及が、いつか神(もちろん既成の宗教の神ではなく)をふたたび考えることになる不思議。
今年も、はるママさんと一緒に考えていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

by E・G (2011-01-04 20:26) 

はるママ

E・Gさん、あけましておめでとうございます。

箱根駅伝は、レースの内容もよかったですが、この日天気がよかったこともあって、
湘南海岸や、芦ノ湖からみる富士山などの景色も、素晴らしく綺麗に映っていましたね。
私はまだこの地域は新幹線で通過したことしかないので、いつか訪れてみたいと思いながら見ていました。

恨み否定することから始まったことが、気がつけばまわり回って
再び神について考えているのも皮肉なことのようですが、
私の場合、きっかけになったのは、瀬戸内寂聴さんの「般若心教」のようです。
寂聴さんの、「神や仏とは宇宙の生命だ」という言葉にはっとさせられ、私の記憶の中に鮮烈に残り、それ以後神(たぶんE・Gさんと同じような意味の・・)について考えるようになりました。(そのことについて書いた記事→http://m-haruka.blog.so-net.ne.jp/2006-01-14
考えてもすぐに答えがみつかるというものではなさそうですので、
今年もまた”不思議世界”にどっぷりと浸かることになりそうですが、
共に考え合える方がいてくださるということ、とても心強いです。
今年もどうぞよろしくお願いします。
by はるママ (2011-01-05 11:01) 

E・G

はるママさん

先日、メールのなかで、普遍的なものを指す言葉としていのちという言葉が今の自分にとっていちばんしっくりするようです、とお話ししましたが、まさにこの宇宙的生命のことを言いたかったのでした。
宇宙的生命の現れとしてわたしたち個々に分かたれたいのちがあるのだと今は思えます。
その証明はと問われれば、魂が知っている、と言うより他はないのですが。


by E・G (2011-01-05 19:15) 

はるママ

E・Gさん、
先日いただいたメールのこの部分を読んで、もしかしたら自分と同じような考えを持っていらっしゃるのかと感じていましたが、やはりそうだったのですね。
「存在」や「宇宙」、「いのち」、私もどこかでこのような言葉を書いていたはずと思い、自分のブログを辿っていったところ、「寂聴さんの般若心経」に行きあたりました。
寂聴さんの「宇宙の生命」という言葉になぜハッとさせられたのか。
これはもう自分の直感としか言いようがなく、
もしかしたらこの直感は、魂がそうと感じ知らせてくれたものなのかもしれませんね。
by はるママ (2011-01-05 22:08) 

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