「いのちより大切なもの」 [星野富弘]
昨年出会った本の中からもう一冊、
星野富弘さんの詩画集『いのちより大切なもの』
星野さんのことはいろいろなところでお名前を拝見していましたし、
その作品もどこかで目にしたことはありました。
数年前に読んだ、柳田邦男氏の『言葉の力、生きる力』の中でも
紹介されていましたし。
そのころからちょっと気になっていて、いつかじっくり読んでみたい
見てみたい、とおもっていたのでした。
そうおもいながらもなかなか作品を手に取る機会がないままになっていたのですが、
昨年末ころ、偶然にこの作品に出会い、そのタイトルに惹かれ、
迷わずその場で購入したのでした。
星野富弘さんの描かれる花の絵は、色彩鮮やかで生き生きとして目を惹かれますが、
その絵以上に、花の絵に添えられた詩が素晴らしく、
読んでいて、心にじんわり沁みてきます。
この作品には、ところどころに星野さんのエッセイが書き加えられており、
絵や詩以外からも、星野さんのおもいをさらに知ることができます。
3.11の震災後に出版されたこの作品には、震災当日のことや、
その後の彼のおもいなども書かれています。
若いころの事故により、手足の自由を奪われ、
絶望の中から「生きる」ことや「いのち」について見つめ続けてきた星野さんだからこその
深いことばが詩画集とともに伝わってきます。
その中でもとくに惹かれた部分。
『この災害で多くの方がいのちを亡くされました。昨日までそばにいた家族が、友人が、突然いなくなってしまったのです。いのちがいちばん大切だとしたら、健康で長く生きることだけが価値ある人生なのだとしたら、生きるのは、あまりにも悲しくて苦しい連続ではないでしょうか。』
『私は以前、「いのちより大切なものとは?」と聞かれた時には、こう答えていました。「その答えはこうですよ、と言うことは簡単だけど、きっとそれは意味のないことです。自分で苦しみながら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです」と。』
「いのちより大切なもの・・」この星野さんのことばに、自分のおもいや、
日ごろ自分が抱いている違和感とも重なり、共感を覚えたのでした。
といっても、命を軽視しているわけではなく、
いのちが大切なものであることはもちろんのことであるし、
自分のいのちも人のいのちも大切にしなければいけないことは当然のことでもあります。
また、星野さんもおっしゃっているように、せっかく与えていただいたいのちなのですから、
より良く生きたいともおもうのです。
そういうおもいとは別に、
「命より大切なものはない」とか「この世の中で一番大切なものは命」
よく言われるこの言葉に対する違和感、
同じ違和感を星野さんも感じていらしたということがわかり、
なんとな嬉しいような気持になったのでした。
星野さんは、口に筆をくわえ絵や文を書かれるようになった2年余り後に、
病室にてキリスト教の洗礼を受けていらっしゃいます。
詩の中には度々「神さま」という言葉が登場しますし、
他にも「キリスト」「マタイの福音」「許す」・・・などの言葉が。
キリスト教洗礼の影響が、詩画集の中にも多くみられるようです。
私には特定の宗教を信じる心はないのですが、
宗教を超えて伝わるものが、ここにはあるようにおもいます。
口に筆を加えて描かれたとはおもえない、鮮やかに緻密に描かれた絵と
それと一体になった詩、どの作品も素晴らしく見ているとしみじみ癒されます。
この本もまた、私の傍らにいつまでも置いておく一冊になりそうです。
最後に、柳田邦男著「言葉の力、生きる力」の中から。
『人は身体が不自由になった時、心で生きる。
人は身体が動かなくなった時、心で世界を見る。
心が身体の分まで生きる時、心は言葉に魂を投影させる。だから、その言葉はいのちの響きを持つのだ。
この十年余り、星野富弘さんの詩画集を折々に開いては、絵筆がたどった跡をゆっくりと追い、言葉を一行ずつ 区切って静かに音読するという読み方をしてきたが、その度に右に書いたことを想う。』
星野富弘さんの詩画集『いのちより大切なもの』
星野さんのことはいろいろなところでお名前を拝見していましたし、
その作品もどこかで目にしたことはありました。
数年前に読んだ、柳田邦男氏の『言葉の力、生きる力』の中でも
紹介されていましたし。
そのころからちょっと気になっていて、いつかじっくり読んでみたい
見てみたい、とおもっていたのでした。
そうおもいながらもなかなか作品を手に取る機会がないままになっていたのですが、
昨年末ころ、偶然にこの作品に出会い、そのタイトルに惹かれ、
迷わずその場で購入したのでした。
星野富弘さんの描かれる花の絵は、色彩鮮やかで生き生きとして目を惹かれますが、
その絵以上に、花の絵に添えられた詩が素晴らしく、
読んでいて、心にじんわり沁みてきます。
この作品には、ところどころに星野さんのエッセイが書き加えられており、
絵や詩以外からも、星野さんのおもいをさらに知ることができます。
3.11の震災後に出版されたこの作品には、震災当日のことや、
その後の彼のおもいなども書かれています。
若いころの事故により、手足の自由を奪われ、
絶望の中から「生きる」ことや「いのち」について見つめ続けてきた星野さんだからこその
深いことばが詩画集とともに伝わってきます。
その中でもとくに惹かれた部分。
『この災害で多くの方がいのちを亡くされました。昨日までそばにいた家族が、友人が、突然いなくなってしまったのです。いのちがいちばん大切だとしたら、健康で長く生きることだけが価値ある人生なのだとしたら、生きるのは、あまりにも悲しくて苦しい連続ではないでしょうか。』
『私は以前、「いのちより大切なものとは?」と聞かれた時には、こう答えていました。「その答えはこうですよ、と言うことは簡単だけど、きっとそれは意味のないことです。自分で苦しみながら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです」と。』
「いのちより大切なもの・・」この星野さんのことばに、自分のおもいや、
日ごろ自分が抱いている違和感とも重なり、共感を覚えたのでした。
といっても、命を軽視しているわけではなく、
いのちが大切なものであることはもちろんのことであるし、
自分のいのちも人のいのちも大切にしなければいけないことは当然のことでもあります。
また、星野さんもおっしゃっているように、せっかく与えていただいたいのちなのですから、
より良く生きたいともおもうのです。
そういうおもいとは別に、
「命より大切なものはない」とか「この世の中で一番大切なものは命」
よく言われるこの言葉に対する違和感、
同じ違和感を星野さんも感じていらしたということがわかり、
なんとな嬉しいような気持になったのでした。
星野さんは、口に筆をくわえ絵や文を書かれるようになった2年余り後に、
病室にてキリスト教の洗礼を受けていらっしゃいます。
詩の中には度々「神さま」という言葉が登場しますし、
他にも「キリスト」「マタイの福音」「許す」・・・などの言葉が。
キリスト教洗礼の影響が、詩画集の中にも多くみられるようです。
私には特定の宗教を信じる心はないのですが、
宗教を超えて伝わるものが、ここにはあるようにおもいます。
口に筆を加えて描かれたとはおもえない、鮮やかに緻密に描かれた絵と
それと一体になった詩、どの作品も素晴らしく見ているとしみじみ癒されます。
この本もまた、私の傍らにいつまでも置いておく一冊になりそうです。
最後に、柳田邦男著「言葉の力、生きる力」の中から。
『人は身体が不自由になった時、心で生きる。
人は身体が動かなくなった時、心で世界を見る。
心が身体の分まで生きる時、心は言葉に魂を投影させる。だから、その言葉はいのちの響きを持つのだ。
この十年余り、星野富弘さんの詩画集を折々に開いては、絵筆がたどった跡をゆっくりと追い、言葉を一行ずつ 区切って静かに音読するという読み方をしてきたが、その度に右に書いたことを想う。』