SSブログ

出会いの奇跡~「暮らしの哲学」より [池田晶子]

前回に引き続いて、池田さんの作品『暮らしの哲学』より。
池田さんの最後の一年を綴ったエッセイ。
そのためなのだろうか。
これまで読んできた池田さんの作品とは、がらりと趣が変わって感じられる。
なかでは、四季折々の生活の中で池田さんが感じたことやおもいが
情感豊かに語られている。

最初の章の『春に思う「この感じ」』や
『夏休みは輝く』は季節感たっぷり。
また、過ぎ去った子供時代をおもい懐かしさと
切なさがこみ上げてくるよう。

愛犬との別れを綴った『「彼」と出会えた奇跡』や
『あなたの親は親ではない』
は、出会いの奇跡について改めて考えさせられる。

『「彼」と出会えた奇跡』より
*************************************
ひとつの命の誕生から死亡までを見届けるというのは、しかも深く愛していたその者を見送るというのは、やはり悲しいものだなあ。だから、子供に先に逝かれたしまった人の悲しみがどれほどのものか、これは思うにあまりあります。・・・・・・・でも、そうやって悲しんでいるうちに、気持ちに少しずつ変化が生じてくるのが感じられるようになる。
出会えたということだけで、素晴らしいことだったじゃないか。・・・・・
なるほど彼とはもう二度と会えない(のかもしれない)、それはとても悲しい。しかし会えたということは、会えなかったのかもしれないのに会えたということなのだから、これは奇跡的なことじゃないか、素晴らしいことじゃないか。
そうして、出会えた彼と、出会えた縁への感謝に似た気持ちが悲しみに代わるようになったころ、同時に、彼は死んだけれども、いなくなったわけじゃないという深い確信も訪れていました。・・・・・・・・・・・
************************************

そして、この、「死んだけれどもいなくなったわけではない」という言表が、正確にはなにを言っているのかはわからないが、霊とかお化けとかそんなものとして存在していると言う意味ではなく
そうではなくて、全部がつながっているという感じであって、何かのご縁で出会えたのだからそのご縁のままにつながっているじゃないかとも。

私がこの4年間、移り変わってきた気持ちと
池田さんが愛犬を亡くして以来感じてこられたおもいとが
重なります。
大切な人やものを亡くして悲しむ気持ち
そして、その後に感じるおもい
亡くしたものが違っても、そのおもいに違いはないということなのでしょう。

そして、このことは人間同士のあらゆる関係においても言えることであり、
人と人との出会いは、本当に奇跡的なことなのだ
これは親子の間であっても例外ではないのだとも。
『あなたの親は親ではない』では、おもに親子の出会いの奇跡について書かれている。
親も子も、無辺際の宇宙の中で、たまたま出会ったのであって、
その出会いはまさに奇跡
つかの間の時間を過ごし、そしていつかどこかへと別れていく
いずれみな、宇宙の旅人なのだと。

こんな風に考えながら子どもと接してみると
わが子が今までとは違ったようにもみえてくるから不思議。
池田さんもいってるように、こんな感じ方をしていたら、親子関係ももっと味わい深いものになるのかもしれませんね。

暮らしの哲学

暮らしの哲学

  • 作者: 池田 晶子
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2007/06/29
  • メディア: 単行本


nice!(0)  コメント(4) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。