SSブログ

中島義道 [中島義道]

久しぶりの記事投稿。
ここしばらく、ウインブルドンやらサッカーやらの観戦に忙しく、
テニスが一段落したところで、今度は溜めこんでいた本を読むのに忙しく
なかなか書くことができませんでした。

溜めこんでいた本というのは、以前ブックオフでセールをやってたときに
まとめ買いしたものが数冊。
それと、図書館で借りた本が3冊。

その中の多くが、中島義道さんの本。
ブックオフで物色中に、ふと手にしたのがこの人の「私の嫌いな10の人びと」
中島氏のいう嫌いなひととは
「常に感謝の気持ちを忘れない人」
「いつも前向きに生きている人」・・・とこんな具合。
これってどれも、世間一般ではよい人、好感を持てる人の代表のような人たち。
それなのに、どうして嫌いというのだろうか。
中島氏は、かなり変わった人なのかなというのが、最初の印象。
で、その時には本を買うこともなく過ぎたのですが、
その後図書館で、中島氏の「狂人三歩手前」「私の嫌いな10の言葉」「人生を<半分>降りる」
を見つけて、パラパラと読んでいたところ、なんだかおもしろそうということで
この3冊を借りてきたというわけなのです。

最初は、随分と偏屈で変わりものというイメージだったのだけど、
読み進むうちに、そのイメージも幾分変わってきたように思います。
むしろ言葉の端々から、この人独特の優しさ繊細さが感じられるところもあったり、
ご自分で書かれているほど悪い人、とっつきにくい人ではないのでは・・と思うようにも
なってきました。
ただ、世の中のマジョリティーに対してマイノリティーである限りにおいては、
変わりものであることには違いないのかもしれませんが。。
そういう点では、私もどちらかというと、変わりものの部類に入るのかも。
みなと同じでなければ、みなと同じ行動をとり、流行となれば行列をなしてみなが同じものを求め・・
(学校給食は拷問に等しかったという記述には、ひどく共感したし。。)
そういうことに対して、とても違和感を覚える自分も、中島氏がいうマイノリティーの要素があるのかも。
だいたい、こういう種類の本を読もうとしたり、なるほどと考えさせられたり、すべてではなくとも共感を覚えたりするのは、世の主流からみれば、すでにちょっと変なんでしょうね、きっと(´_`。)
それでも、中島氏にくらべてみれば、自分もまだマジョリティーの方に入るのかもしれません。
これまであたりまえと思っていた常識も、マイノリティーからみたら、あたりまえではない、苦痛にしか思えないことがあるということ。
数の論理で少数の人の気持ちを理解しない、時には封じ込めたり
押し付けたりしてしまうことが現実には多々あること。
世の常識がすべての人の常識ではないのだということ。
物事の奥深くまで考えぬいたこの人の言葉に、なるほどと考えさせられた部分もありました。

中島氏は、東京大学大学院卒業後、ウイーン留学。電通大人間コミュニケーション学科教授を務めたのち、2009年退職。2008年より「哲学塾 カント」を主宰。
専攻は「時間論」「自我論」「コミュニケーション論」で、カント専門。

私には哲学の素養がないので、「カント」に関する記述部分がでてくると、なにがなんだか
よくわからなかったりするのですが、
「時間」や「善」に関わる記述など、興味をひかれるところもありました。
その中で「善」について少しだけ。
普通善行を行う人は、一般にはよい人であるわけなのですが
中島氏は、善行を行う人の心の中に潜む自負心に対して目を向け、
そして、同時に感謝の言葉を期待してしまう人の心にも触れ、
それはすでに「善」ではないのだという。
それでも、よきことを行わない人はそれはそれで「善」ともいえず
したがって、人はどうしたって「善」ではありえないのだという。
このあたりのことには、「歎異抄」を連想させられます。

中島氏はこのような考えをもっているからこそ、
著書の中で、自分のことを悪ぶって書いてみえるのかもしれないですね。
よい人に思われるなんて、とんでもない!っていうところでしょうか。
彼流の美学なんでしょうね。
その後、ブックオフで購入した本の中に
「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」
「やっぱり、人はわかりあえない」
「私の嫌いな10の人びと」
次に読む予定なのだけど、タイトルみるとなんだかひどく暗く虚無的な感じ。
人によっては、中島氏の本は、「死にたくなる」「毒がある」・・
そうですから、向き不向きがあるのかもしれません。
他の本も読んでバランスをとりながら・・・というのがいいのかも。
まぁ、私の場合、生に執着があるかないかは別として、今さら死んでしまいたい
なんて思っているわけではないので、このような本を読んでもきっと大丈夫かなと思いますが。。

そうそう、話は変わりますが、
中島義道さんの本と並行して読んでいるのが
山岸凉子さんの「日出処の天子」
これもブックオフで全巻まとめ買い。
以前池田理代子さんの「聖徳太子」を読み、その後気になっていたシリーズ。
こちらもとてもおもしろくて、読みだしたらとまりません。
3巻の巻末に、山岸さんと梅原猛さんの対談が載っていました。
山岸さんは梅原さんの「隠された十字架」を読んでから、このシリーズが閃いたのだそうです。
この「隠された十字架」は、「水底の歌~柿本人麻呂論」とともに高校時代夢中になって読んだ本。
歴史ミステリーといった感じで歴史好きの自分にはたまらなく魅力的でした。
「日出処・・」も、この梅原さんの作品に影響されたということを知って、なるほど納得でした。
池田さんの作品は、日本書紀に比較的忠実。
山岸さんの作品は、さらにイマジネーションが加わって、読み物としてさらに複雑に面白くなってます。
久しぶりの少女漫画ですが、漫画といっても侮れない、なかなかの大作ですね。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 2

plant

こんにちは。
どこかで読んだ、全ての人間は少数者だ、という言葉を思い出しました。
つまり、あらゆる面で普通だという人なんていない=誰でもどこかに変わった部分を持っている、という事実を指摘することによって、他人に“普通”を強要する人たちに“少数者への思い遣り”を説く、という文脈。
感動したわりには、誰の言葉だったか思い出せませんが・・・。
by plant (2010-07-10 14:06) 

はるママ

なるほど・・
たくさんもっているか少しもっているかの違いはあっても
どんな人でも変わった部分をもっているということなのですね。
自分にとっての常識や普通が、人にとっては常識や普通でないこともあるわけで。
それが、大多数対少数になったとしても同じこと。
なのに現実には、知らず知らずのうちに、少数派の人たちに強要してしまっていることが多々あるようです。
中島さんの本を読んで、私も気付かされました。
同じようなことをおっしゃっている方が他にもみえるのですね。
どなたの言葉か、私もちょっと気になります。
by はるママ (2010-07-11 09:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。