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国民読書年 [柳田邦男]

ことし2010年は、「国民読書年」なのだそうです。
数日前の中日新聞に、その特集記事が掲載されていました。
冒頭部分には、次のような言葉が書かれていました。

”古くから「言霊の幸う国」と呼ばれ、言葉が霊妙な力を持つとされてきた日本には、豊かな活字文化の伝統がある。”

近年「活字離れ」が言われる中で、大人も子どもも書物に深く親しむ社会をつくるため、
この1年を通じてさまざまな催しが開かれるのだという。
活字離れ・・携帯やパソコンなどの普及により、活字自体を目にする機会は
むしろ少なくなっていないと思うのだけど
その分、じっくりと1冊の本を読むという機会は減ってきているのかもしれません。
記事の中には、学校や地域での読書普及の取り組みとともに
児童文学者と研究者の「子どもと読書との関係」についての対談なども載せられていました。

昨年後半、柳田邦男氏の本を何冊か読む機会があったのですが
その中の1冊、「言葉の力、生きる力」の冒頭部分で、
柳田氏は、幼少期の体験について、次のように書かれています。

「いったい自分の性格とかものを感じる心や感情の動きといったものは、幼少期のどのあたりで芽生えたり形成されたりしたのだろうか。自分がどんな人間なのかを知るうえで、そのことは有効な素材を提供してくれるに違いない・・・」

そして、その答えを探しているときに出会った、高山辰雄氏の文章を読むうちに
以前から考えていた次のような仮説にたいして納得感を抱くようになったのだという。

「人はだいたい5、6歳の頃おそくとも7、8歳の頃に、何かに強く感動したり心を惹かれたりする経験をすると、それが原型となって、右脳の中にどういうものに感じやすくなるかのレセプターが形成されるのではないか~と。感動が強烈だとレセプターは確固たるものとなり、それからは鋳型にはまる対象をもとめて、飢えを感じるようになる。そして、その飢えが受動的な次元にとどまらないで、切羽つまった心境になり能動的な次元に高揚したとき、その人は絵、音楽、演劇、舞踊、写真、小説、詩歌など何らかの表現活動に踏み込んでいくことになる。・・・」

幼少期の感動体験・・・自分の場合、それは音楽であるのかもしれない。
音楽に強烈に惹かれた。クラシックはピアノという楽器に対して特に。
ピアノの音色を聴くと、心を揺さぶられ、自分もあんなふうに弾けるようになりたいという
憧れになり、その後、途中でブランクはあったものの、今もピアノとの関わりは続いている。
幼少期に初めて聴いた洋楽。シルビィ・バルタンの「悲しみの兵士」と「あなたのとりこ」
あと、ショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」とか。
家に唯一あった洋楽レコード。
特に「悲しみの兵士」が好きで、何度も何度も聴いた。
たしか小学校低学年のころだったか。
中学以降、ビートルズやクイーン、ポリスやスティービーワンダーにS&G、はたまたピンクフロイドやEL&Pなどのプログレに至るまで。
社会人になってからもあれこれ洋楽聴きまくるようになった原点は、この「悲しみの兵士」だったのかもしれない。

一方で、本については・・
実は幼いころは、多くの本を読んだ記憶があまりない。
読み聞かせをしてもらった記憶は皆無に等しい。
自分の場合、本に目覚めたのは、小学校5年生の時。
そのころ親しくなった友人が大の本好きで、自宅にはたくさんの文学全集がおいてあった。
「雨月物語」「源平盛衰記」「平家物語」・・・などなど。
借りて読んでみたところ、これがとても面白くて。
それで、すっかり本に目覚めてしまい、以来図書館に通いつめるようになった。
幼少期に読んだ本は少なかったせいもあってか、
そのころ読んだ本は、中味までとてもよく覚えている。
「マッチ売りの少女」「母を訪ねて3千里」それから、イソップ物語などの世界の民話集
何度も何度も読んだので、母を訪ねて・・に出てくる難しそうな地名、「ブエノスアイレス」とか「コルドバ」とか「サンチャゴ」など、今でもよく覚えている。

本を読んだり、音楽を聴いたり・・・というのは、柳田さんのいう表現活動とはちょっと違うのかもしれないけれど、幼少期の感動体験が、大人になってからの自分に影響を与えていることはきっとあるのだろうと思えます。

ちなみに、柳田氏は、大人になってからの自分とはどういう人間なのか探るために
上にあげた仮説を、過去に遡ってたどってみようとされているのですが、
その探索作業の一端が「はじまりの記憶」の中に記されています。
この本は、さし絵作家の伊勢英子さんとの共著となっていて、
幼少期のさまざまな思い出が短編エッセイとしていくつか書かれています。
これらを読んでいくと、お二人の現在の人柄や考え方に、幼少期の体験が深く関わっていること
さまざまな体験が潜在的意識となって、大人になってもずっと心の奥底に秘められ続けているのだということなどが伝わってきます。

本の中でのお二人の対談から(柳田氏の言葉)

「・・・・自分の人間形成の原点を探ると、人生も心も豊かになるのではないか。その場合に、大事な体験を絵画的な情景としてとらえることができればヴィヴィッドに自己形成の原点に近づけるような気がするのです。そして、自分という存在への理解と納得を深めることができる。」

大人になってからも絵画的な情景として思い浮かべることができるような幼少期の体験。
それは、幼少期の子ども自身にとっても、もちろん大切で必要な体験なのだろうけれど
それだけでなく、大人になってからも人生や心を豊かにしてくれる
かけがえのないものでもあるのでしょう。
実体験だけでなく、心に残る本を読むこと、揺さぶられるような音楽などの芸術と出会うこと
そういった体験も、きっといつまでも心の中に潜在的に残って、
気がつかないうちに自分自身に影響を与えていくのでしょう。

よき本とのであい。。子どもたちにとってとても大切なこと。
子どもたちが、より多くのよき本と出会うことができますように。

もちろん、子どもだけでなく大人にとっても必要なこと。自分にとっても。。
昨年、たくさんの本と出会うことができました。
今年は、どんな本と出会うことができるでしょうか。楽しみです。



言葉の力、生きる力 (新潮文庫)

言葉の力、生きる力 (新潮文庫)

  • 作者: 柳田 邦男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: 文庫




はじまりの記憶

はじまりの記憶

  • 作者: 柳田 邦男
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/08
  • メディア: 単行本



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コメント 4

あきおパパ

はるママさん、こんばんは~♪
国民読書年ですか。ちゃんと国会決議で決めたようですね。
私も読書は大切だと思います。

ここ数年、心とは何かということを考えているのですが、
最近、いくつかの本*を読んで、
心とは、他人と共感できることなのだと思うようになりました。
(脳の障害により、他人に対して共感する機能が損なわれると、
 人の心といえるものが、無くなってしまうようなのです。)
たしかに、頭で考えて共感することもできるかも知れませんが、
心から共感するには、他人と類似した経験が重要になります。

もちろん、一人の人間ができる経験には限りがあります。
でも、読書による仮想体験でもいいから、多くの経験を積むことが、
他人に共感できることにつながり、豊かな心につながると思います。
だから読書は重要なのだろうなと思います。

はるママさんも、読書家でいらっしゃいますね。
私も負けずに、今年もじっくりたくさん読んでみたいです。時間がない~!
ではまた~♪

*「なぜ女は昇進を拒むのか」(スーザン・ピンカー)
 「ミラーニューロンの発見」(マルコ・イアコボーニ)
 「ロボットとは何か」(石黒浩) ←これはすごい本だと思います
by あきおパパ (2010-01-11 23:34) 

はるママ

あきおパパさん、こんにちは!
今日はとても寒くなりましたね。
東京都心では初雪が降ったとのことですが、大丈夫でしたか?
こちらは、今は雨ですが、今夜あたりからまた雪になるかもしれません。

読書は、自分が経験できないことを仮想体験できる
私もそう思います。読書だけでなく、映画や舞台作品などについても
同じようなことが言えると思います。

以前、あきおパパさんからご紹介いただいた「ゆびさきの宇宙」を、ちょうど読み終えたところですが、
福島さんは、盲ろうになって一番つらかったのは、他者とコミュニケーションがとれなくなったことで、
まるで漆黒の宇宙の中にただ一人投げ出されたようだったとおっしゃってみえます。
人とのコミュニケーション、人と共感しあうことは、人が生きて行く上で大切な要素なのですね。
でも、かといって、人と共感する機能が損なわれてしまったときに
人の心といえるものが無くなってしまうとまで言えるのかどうか、
これついては、疑問を覚えたりもしますが。。

ご紹介いただいた本、さすが科学に関心のあるあきおパパさんならでは・・
ですね。
私は科学には疎いのですが、人の心とか感情とかいったことには関心があります。
いろいろ読みたいと思っている本は何冊もあるのですが
読むのが遅いのか、他のことに時間や気をとられてしまうせいなのか
なかなか進みません。
今年も、こんな調子で、ゆっくりマイペースになると思いますが、
ぼちぼちと読んでいきたいと思っています。
また、面白い本があったらご紹介くださいね。
by はるママ (2010-01-12 20:10) 

あきおパパ

はるママさん、こんばんは~♪
「ゆびさきの宇宙」をご覧になられたのですね。
盲ろう、つまり目が見えず耳も聞こえない状態について、本の中で「壺の底に閉じ込められた感じ」(p82)と表現されています。この孤独で絶望的な状況にも関わらず、生きる希望を与えることができる「コミュニケーション=言葉(ロゴス)」のすごさに感動しました。

>人と共感する機能が損なわれてしまったときに、
>人の心といえるものが無くなってしまうとまで言えるのかどうか

確かに、ちょっと言い過ぎてしまいました。
ここでいう「人の心」とは、感情に基づく喜怒哀楽のことではなく、
真心や思いやりの心、人間味ある心、人を人たらしめる心とお考えください。
もちろん共感が損なわれた人も、そのような心をもつことは可能ですが、
それはすごく大変なことのようです。
たとえば、「なぜ女は・・」にアスペルガー症候群の男性の話がのっています。
共感する機能が損なわれた彼は、意識しないと他人の心に気がつかないのです。
「涙を流しているのは哀しいからだ」と考えないと、分からないのです。
他人を理解するのに、すごい努力が必要なのです(本人にはその気はありません)。

私たちが、相手の表情を見ただけで、辛さや哀しさを読み取れることは、
共感の回路が正常に働いていることであり、それはすごいことだと思います。

前の職場に、良心の呵責もなく、平気で人の心を踏みにじる人がいました。
そのような人をみると、「人の心」の存在を疑わざるをえません。
むしろ、悲しむ人を慰めてくれる犬の方が、遥かに「人の心」に近いと感じます。
そんな観点から、「犬の心」についても、ずっと長い間考えているんですよ~。

話がそれてしまいました。
まだまだ寒い日が続きます。風邪など召されませぬように。
ではまた~♪
by あきおパパ (2010-01-16 16:54) 

はるママ

あきおパパさん、再びのコメントありがとうございます!
「ゆびさきの宇宙」ご紹介いただいてから、随分と時間が経ってしまいましたが
やっと読むことができました。
盲ろうという状態が、どのような世界なのか、
これまであまり深く考えることもなく、想像することもあまりなかったのですが
この本を読んで、いかに過酷な状態なのか、少しでも垣間見ることができました。
人が人の心と触れあえたり、共感しあえたりできるということは
実はすごいことなのですね。
普段、ほとんど意識することなく過ごしてしまってますが・・
人はなくしてみないとそのありがたみに気づけないものなのかもしれませんね。

先天的にあるいは後天的に、共感する機能を失ってしまった人の場合は別として
(そういう人たちに対しては、むしろまわりの人の理解や時にはサポートが必要なのかもしれません。)
機能がありながら、ちゃんと使っていない場合や、または使わないために機能が働かなくなってしまった場合などが問題になるのかもしれません。
神経細胞も使わないと働きが鈍くなるのですよね(?)
だとしたら子どものころから、いろいろな体験や疑似体験などで、感動したり共感したりすることで、ミラーニューロンも働くようになってくるのではないのかな。
脳トレとかいろいろ流行ってましたが、知識とか知能とかも大切ですが
本当に子どものころから育てていかなくてはいけないのは
共感する力とか想像力、あるいは創造力なのかもしれません。
そう考えると、やはり読書は大切ですよね~!!
by はるママ (2010-01-19 16:06) 

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