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頭と心、そして現実は・・ [思うこと]

先月上旬からずっと体調に異変があって、
大好きなテニスもしばらく休み、外出も控え気味にして、家でおとなしくすごしていました。

娘が「病院にいってきて!」と何度もいうので、病院いくのは気がすすまなかったけど
先々週の金曜日におもいきって行ってきました。
念のためにガン検診しておくねと医者に言われ、その場で検査。
その結果が先週の金曜日にわかるということで
先日結果をきいてきたら、陰性とのことでした。

たぶん大丈夫だろうとはおもっていたのですが
結果をきくまでは、なんとなくいやなもので。
もしや・・・とか
なんだかいやなことも、ちらりと頭をかすめたりしました。

一度は、自分の体なんてもうどうでもいいやとか
長生きなんかしなくてもいいやとか
そんなこともおもったりしたものですが
こんな風に、気にかかるということは
自分の命に執着ができてきたということなのでしょうか。

いや、頭では、たとえ明日命がなくなったって
そういうこともありえないことではないし
もしそうなっても、まあしかたないかな
ただ、子供とか親には悲しい思いさせてしまうから
それだけが気がかりだけど・・
なんて、今でも考えたりもするのですが・・・
いざ、こんな風に病気の疑いや、宣告を受けるときになると
頭で考えるのとは、少し違うみたいです。

命がなくなるのが・・・と言うこと以上に
もしかしたら、病気になるのがいやということなのかもしれないけど。
病院きらいだし、病気と闘う根性ないし
痛いのも苦しいのもいやだし。。
結局、ああだこうだいってても、いざとなったら
じたばたしてしまうんだろうなぁ。頭と心と、そして現実はきっとそれぞれちがうんだろうね。

腎臓ガンと闘って、亡くなった池田さん。
宣告を受けたときに「これで開放される」
というようなことをおっしゃったとか、書かれていたとか
たしかなにかでみた覚えがあります。
病気のことも、自身の命があとわずかなのだということも
ほとんど書かれてないので、これに関する彼女のおもいを
詳しく知るすべはないのだけど。
「生」と「死」と、考えに考えられてこられた池田さんのことだから
きっと現実にじたばたすることなく、自然体でいられたんだろうなぁ。

頭で考えること、心で感じること、そしておもいもよらぬ現実に直面したときの自分の姿
どれもが同じであればいいのだろうけど、なかなかそうはいかない。
考えることと感じることの微妙なずれ。どうにもならないことを前に
普段冷静になって考えてることが、ほんとうにあっというまにすっとんでしまう現実。
こんな中で、葛藤しながら過ごしている自分は、凡人であるからこそということなのでしょうか。

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