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池田晶子さん [池田晶子]

腎臓癌を患い、先日46歳の若さで亡くなった池田晶子さん。
慶応大学文学部哲学科を卒業。
専門用語をつかった「哲学」解説でなく
日常の言葉をつかって、読者に「哲学すること」を語りかけてくれた人。
「私」とは何か。「死」とは「生」とはなにか。
追求し続け、たくさんの著書を残されました。

死はないのだからわからない、わからないものを恐れることはできない、と著書の中で仰っていた池田さん。その池田さんらしさを表現している文章を以下に引用してみます。池田晶子さんの週刊新潮連載の「人間自身」最終回「墓碑銘」より。

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「こんな墓碑銘が刻まれているのを人は読む。「次はお前だ」。
 他人事だと思っていた死が、完全に自分のものであったことを人は嫌でも思い出すのだ。

 私は大いに笑った。
 こんな文句を自分の墓に書かせたのはどんな人物なのか。存在への畏怖に深く目覚めている人物ではないかという気がする。生きているものは必ず死ぬという当たり前の謎、謎を生者に差し出して死んだ死者は、やはり謎の中に在ることを自覚しているのである。

 それなら私はどうしよう。一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。ならこんなのはどうだろう。「さて死んだのは誰なのか」。楽しいお墓ウォッチングで、不意打ちを喰らって考え込んでくれる人はいますかね。」
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これを書かれたときにはもう死期を悟ってみえたのでしょうか。
こんなふうに書いている池田さんは、今頃明るく笑ってみえるのかもしれませんね。

そんな池田さんのこと、ネットのニュースで流れるまでまったく知りませんでした。
執筆家としても有名な方だったのに、どんな本を書かれていたのかも知らなかったし
著書も読んだことがありませんでした。
先日自由書房にふらりと立ち寄ったところ
池田晶子さんの「14歳からの哲学」が平積みされていました。
これが、あの本かァ~
と思い、手にとってパラパラと読んでみたところ
すぐに本の中に引きこまれてしまいました。

晴香を亡くしてからというもの
「闘病記」のようなものから「生とは、死とは・・・」とか「死後の世界」「臨死体験」とか
「般若心経」のような宗教がらみのものなど、
それまで読んだこともなかったような種類の本をたくさん読むようになりました。
それまで読んでいたような本も読むには読むのですが
本屋さんにいくと、そういう類の本にもどうしても関心がいってしまいます。
普段なにげなく過ごしていても、心の中にどうしても割り切れないおもいや
なぜに・・というおもいがまだ横たわっているのかも
それで、何かの答えを求めて、そういう類の本につい手が伸びてしまうのかもしれません。

一見関係なさそうな「宗教」や「哲学」、「宇宙」とか「物理学」も
どこかで繋がったり重なり合ったりする部分がたくさんあることに気がついたり、
あちこちの本を読んでいて、以前読んだ本と同じようなことが書かれている
と思うこともしばしばありました。

この池田晶子さんの書かれた本にも、
それまでに読んだ本と重なる部分がたくさんあるように思えました。
14歳からの子どもを意識して、語りかけるような口調で書かれてあったし
比較的わかりやすい言葉や表現がされていましたが
内容は、難しい部分もあるので、14歳の娘に果たして理解できるだろうか?
それよりも、まず読んでくれないかもしれないなぁと思ったので
とりあえずその場では、購入せず
かわりに自分用に 「勝っても負けても 41歳からの哲学」を購入。
数日後に、別の本屋で「14歳の君へ」という本をみつけました。
こちらは「14歳からの哲学」をさらに優しい言葉で表現したようなものだったので
これなら娘にも読めるかもと思い、購入。
今、ちょっとずつ読んでくれています。
41歳からの・・・は、あっという間に読んでしまったので
自由書房へ行って、「あたりまえなことばかり」と
「14歳からの哲学」をさらに買ってきてしまいました。
14歳からの・・・はこどもに、というより自分で読みたくなってしまったので。
当分、池田晶子の世界に浸りそうですo(^-^)o

14歳からの哲学―考えるための教科書

14歳からの哲学―考えるための教科書

  • 作者: 池田 晶子
  • 出版社/メーカー: トランスビュー
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 単行本


勝っても負けても 41歳からの哲学

勝っても負けても 41歳からの哲学

  • 作者: 池田 晶子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/08/25
  • メディア: 単行本


あたりまえなことばかり

あたりまえなことばかり

  • 作者: 池田 晶子
  • 出版社/メーカー: トランスビュー
  • 発売日: 2003/03/20
  • メディア: 単行本


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はるの

こんにちは。武蔵野大学通信学部で心理学を学んでいる はるの といいます。このたび、人間学のレポートを書くため、池田晶子さんを追っていたら、晴香ママのblogにたどり着きました。私にも10歳の娘がいて、晴香ママさんのブログの記事の一つ一つが胸を打ち、涙が止まりませんでした。
池田晶子さんはかねてからファンだったのですが、亡くなっていらしたのは、今日、本屋さんで知りました。大変ショックだったのですが、同じ日に、この縁で晴香さんの存在を知ることが出来ました。
亡くなったら消えてしまうのだ、と池田さんは常々著書の中でおっしゃっていましたが、こうして、晴香ママさんのblogにたどり着かせてくれるなんて、やはり形而上の世界は実在するのではないでしょうか。ね、池田さん!と言いたくなり、書き込ませていただきました。
by はるの (2007-07-30 21:02) 

はるママ

はるのさん、はじめまして!

池田晶子さん、とても素敵な方ですね。
若くして亡くなられてしまったのが、残念でなりません。
私は、池田さんの本をほんの数冊、それも自分なりの解釈で読んでいるだけなので、おそらく池田さんのおっしゃることのほんの一部しか読みとれてないのかもしれないなあと思っています。
きっと、もっともっと奥の深いものがあるのでしょうね。

>こうして、晴香ママさんのblogにたどり着かせてくれるなんて、やはり形而上の世界は実在するのではないでしょうか。ね、池田さん!と言いたくなり

人の繋がりというのは不思議ですね。
私たちがこうやって出会えたのも、時空を越えた”想い”によって
結びつけられたといえるのでしょうね。
きっかけは「池田晶子さん」というキーワードであったのですが
はるのさんが、亡き娘のブログを読んでくださって、私の想いを伝えられたこと、嬉しく思います。

これからも、研究がんばってください!
by はるママ (2007-08-01 13:40) 

太郎

初めまして。
私も故池田晶子さんの大ファンでして、著書は(確か)ほとんど持ってます。
今でもたま~に、以前に読んだ著書を読み直しています。

「無」が「ある」、というのは語義矛盾である。
「死」が「無」ならば「死」は「ない」、という結論だと解釈してます。
ちょっと頭がこんがらかる内容ですが、よく考えると合点がゆきます。

たまたま読み返した本の中で次ぎのような文章がありました。
~引用は「残酷人生論」
P207です。

~死は存在しない。
したがって「魂」は存在し続ける。
これが、私が「魂の私」という変な言い方で言おうとしている事柄の、「論理」構造である。
by 太郎 (2007-10-21 22:22) 

はるママ

太郎さん、初めまして!
 
池田さんの著書をほとんどもっていらっしゃるとのこと
私が記憶しているだけでも、30冊ほどあったとおもいますが・・
かなりのファンでいらっしゃるのですね。

>「死」が「無」ならば「死」は「ない」、という結論だと解釈してます。

私はまだ、8冊ほどしか読んでないのですが
それでも、この部分はいろいろな箇所で書かれているので
印象に残っています。

残酷人生論は、ずいぶん前から読み始めているのですが
残念ながら、まだこの部分には到達していないようです。
1つのタイトルが4ページという短い区切りになっているので
1日か2日に1つの区切りというように
ゆっくりゆっくりと読んでいるので、いまやっと4分の3くらいまで
きたところです。

>~死は存在しない。
したがって「魂」は存在し続ける。
これが、私が「魂の私」という変な言い方で言おうとしている事柄の、「論理」構造である。

これだけを読んでも、正直どういうことかよくわからないですが
この部分も含め、最後の「魂」「幸福」の章、じっくりと読んで考えてみようと思います。

コメントくださり、どうもありがとうございました。
by はるママ (2007-10-23 22:17) 

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