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「ツインソウル」読みました [本(その他)]

飯田史彦さんの本はとても有名なのに、なぜだか今まで一冊も読んだことがありませんでした。
どうして読まなかったのかな?はっきりとは自分にもわからないけれど
なんとなく読もうという気がおきなかったんです。

でも、この「ツインソウル」には飯田氏が実際に臨死状態に陥ったときのこと
いわゆる死後の世界のことが詳しく書かれてあったので読んでみたいという興味がわきました。

彼によると、人が死んだ後には、物質世界から抜け出て精神世界にいくのだという。精神世界にはこの世のような時間や空間の概念はなく、過去も未来もないらしい。
精神世界にある魂は、自らの成長をはかるために「物質世界」を創造し
その自ら創り上げた物質世界であるこの世に、魂の修行のためにやってくるのだという。

もしそれがほんとうなら、死んだ人たちは”無”になってしまったわけではなく、精神世界で”魂”として存在しているわけであり、自分が死んだ後にはもしかしたら亡くなった娘にもあえるのかもしれない・・

読みながらそんな風に考えたら、なんだかうれしくなってきました。
これまでにも、般若心経とか読みながら、それと似たようなことも考えたことがありました。でも、あくまで仮想の世界のことで現実味はありませんでした。こうやって、実際に体験したんだよと言われると、ほんとうかもしれない・・・となんだか、現実のこととしてイメージがわいてくるような気がしました。

読んでいて嬉しくなった反面、ちょっと不満に感じたことも2つありました。
1つは、「ツインソウル」のことなんだけど、死別のこととは離れるので、ここではあえて省略しておきます。

もう1つ感じた違和感。
「あらゆる死には意味がある」なかで、時として
理不尽な「予定外の死」もおこりうる
と書かれています。
その「予定外の死」は、物質世界での自らのより深い学びや修行のために、あらかじめ仕組まれていることなのだという。
その考えだと、自らの修行のため自らの成長のために
わが子が早くに亡くなってしまうということも、あらかじめ仕組まれていたことになります。
これにはものすごく抵抗を感じました。
自分が成長するために子どもが犠牲になるようで。。
ただでさえ、子どもに対する申し訳なさや自分を責める気持ちでいっぱいなのに、こういった考えに出会うと、さらに追い打ちかけられるような気がしてきます。

今、目の前に子どもがいなくて淋しくても悲しくても
子どもが幸せだった、不幸ではなかったと思うからこそ
耐えて生きていけるのに。。
結果的に子どもが自分のために早く死ぬことを
子どもを辛い目にあわせるようなことを
最初からプログラムしていたなんて考えるのは
とても耐えられないです。
そんな風に思うのは私だけなのかもしれませんが。

また、機会があったら他の本も読んでみようと思います。
もしかしたら、自分が抱いた違和感を解消するような言葉が見つかるかもしれませんし。


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