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寂聴さんの般若心経 [本(その他)]

初詣のことを書いた日記に
”神さま拒否の気持ちが薄らいできた”と書きましたが
このことについて もう少し触れてみようと思います。

晴香が助からないとわかったとき 小さいときから頑張り屋でまじめに生きてきた娘が
たすからないなんて 神も仏もないと思いました。
最初のころは神社にお参りする時にも
大切な娘の命をたすけてもらえなかったのに
今更何をお願いするのだろう・・・
と思い 手を合わせはするものの気持ちは込められませんでした。

我が家の宗派は禅宗の曹洞宗で
法事のときには よくお寺さんが 般若心経を唱えてくださいました。
神も仏もないと思っていた私でしたが
亡くなった人の供養になることであれば気持ちも込められました。
般若心経を何度も耳にするうちに どんな意味があるのか知りたくなりました。
どうせなら意味を知った上で供養したいと思ったからです。
お寺さんにきいてみたら 意味がわからなくてもお経を唱えるだけでよいとのことでした。
とても難しいものだからそう簡単に説明できるものではないのでしょう。
それでも・・・と本屋さんで般若心経の本を探したところ
そのころから般若心経ブームだったようで 実にたくさんの本がでていました。
そのうちの一冊を購入して読んでみましたがよく意味がわからず。
漫画になっているものがあったので 次にそちらをよんでみたものの
やっぱり肝心なことはまったくわからず。
最後にであったのが 瀬戸内寂聴さんの「寂聴 般若心経」でした。
これは寂聴さんが法話として話されたものを本としてまとめられたもので
多くの人にわかりやすいようにとかみ砕いてお話ししてくださっているため
難解な般若心経が比較的わかりやすく説明されていました。 

この本を読んだことも少なからず影響したのだと思いますが
私の中で少しずつ神仏否定の気持ちが薄らいできました。
かといって 積極的に神仏肯定に切り替わったわけではないのですが
裏切られたとかたすけてもらえなかったというような
思いがなくなってきたといったほうがいいかもしれません。

この本の中でとても印象的だったところがあります。
それは 神や仏とは宇宙の生命なのだと寂聴さんが説かれるところです。
キリスト教もイスラム教も仏教もみな 根元は宇宙にあるというのです。
そして私たちもいつか必ず死ぬときがやってくるのであり
その時には この宇宙の生命に還元されるのだと寂聴さんは話されています。

こうやって考えてみると神も仏も私たち全て
行き着くところは同じ 一つのところにあるように思えてきます。

私が青空を眺めて晴香を感じたり 
満点の星空を見て晴香がその中の星の一つのように思えるのも
案外思いこみばかりでないのかもと思えてきます。  
そして いつか私も晴香と同じ場所に帰っていくのかなと。
お互いまた会えたね という認識はきっとないのかもしれないけれど・・・・。


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