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「いのち~8人の医師との対話」柳田邦男~臓器移植法改正案にかかわって [柳田邦男]

先日、衆議院で臓器移植法改正案A案が可決しました。
『脳死は人の死である』
法律でそう定めるのだそうです。

ここ数日、もやもやとしたすっきりしない思いでいました。
臓器移植でしか命が助けられない
そんな子どもさんをもつ親御さんの気持ちはわかるから
臓器移植を否定するものではないのだけど。
でも、なにかが違うようにおもえるのです。

脳死が人の死なのかどうかなんて、ほんとうは誰にもわからないのではないのだろうか。
はっきりわからないからこそ、人それぞれのとらえ方があるわけだし
立場によって、死生観によって違った考え方になるのは当然ともいえるのでしょう。
それを、法律で一律に決めてしまうことに無理があるようにおもえるのです。
脳死などという微妙な問題に関して、法律でこうだと決めつけてほしくないし
医療の場で、脳死の場合はこうするのだとマニュアル化したりしてほしくもない。

以前、尊厳死にかかわる日記を書いたことがあったけれど
今回の問題と、尊厳死の問題と、
正反対のことのようだけど、実は根っこの部分にあるのは同じなのではないかともおもえます。

そんな思いでいたところ、先日立ち寄ったBOOK OFFで手に取った1冊が
柳田邦男氏の『いのち~8人の医師との対話』
細谷亮太氏や日野原重明氏など8人の医師との対談形式で構成されているもの。
日野原氏との対談の中で、柳田氏はまさにこの脳死問題、臓器移植問題について語られています。
柳田氏自身、25歳の次男を11日間脳死状態で見つめ看取られたのだそうで
そういう経験のもとに語られる言葉には重みがあり、心に響くものがあります。
ちょっと長くなりますが、一部引用します。

柳田氏は患者と医者の関係を3人称の関係といい、医者がどう患者の身体をみているかということについてある学会でつぎのような発表をされたそうです。

「脳死状態の人を見るときに、医師は、人生をそこに表現している人格をもった身体はでなく、いろいろな臓器が集積したものとして見ている。つまりそこに横たわっている脳死状態の人の中身を解剖図で見ているわけです。・・」

そして、愛するものとの関係である、2人称の立場からみた場合について
いわさきちひろさんの描かれた、つぶらな瞳をした4つくらいの女の子の絵を提示しながら次のようにも。

「・・・『2人称の人の眼はこういう姿全体を見ているのです』と。2人称の立場からみると、つぶらな瞳やおかっぱの頭や雨傘をもつ手や可愛らしい膝小僧や履いている雨靴のなかの足まで全部が、それまで生きてきた4年なり5年なりの人生をしみつかせているものとして、なおそこに生きている。一緒に海水浴に行ったとか・・・・いろいろなことがそこにしみついている。・・・たとえ脳死状態であっても、まだ心臓が動き、肌はあたたかく潤いがあり、・・・・家族にとって、まさに生きているいう実感がある。」

そして、自身の息子さんが脳死になったとき、医師や看護婦があたたかくケアを続けてくださったことが家族にとってもとても慰めになったと。もし医師から「そこにあるのは死体です。生きていると思うのは幻想です。」と言われたら心は凍りついていただろうとも。

「人によっては、生前の話し合いやリビングウィルなどから、2人称の人が脳死状態の段階で臓器提供を決心する場合もあるでしょう。しかし、やはりできない人もいるでしょう。そういうものが多様に認められていく医療が理想だと思います。」

柳田さんの話によると、欧米でもすべてが脳死=人の死と考えられているわけではないそうです。
アメリカニュージャージー州では、患者の希望によって脳死を死とするのもいいし、心停止まで待って死とするのもいいという、世界で初めて死の判断に幅をもたせた州法ができたのだそうです。

「多様性を認める医療」

これこそが、足りなかったもの。
これこそが21世紀の医療で目指していってほしいもの。

柳田邦男の「いのち~8人の医師との対話」
議員さんたちにもぜひ読んでいただきたいとおもうのだが。

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leaf

移植を待つ患者家族も提供しなければいけない患者家族も
同じ尊いいのちの家族の死を目前に苦しむ人間です。
小さな子どもには自分の意思表示はできません。
3人称の他人事でしかない人たちではなく
2人称の家族、
とりわけ希望を捨てなければいけない立場に追い込まれる
提供者側の家族の意見をもっともっと聞いていただいて
お互いが安心して治療を受けられる医療を見つけていかないと
恐ろしい社会になってしまう、と感じます。
by leaf (2009-06-22 08:18) 

はるママ

leafさん、こんばんは!
nice&commentありがとうございます。

leafさんも、この法案可決について日記に書いてみえましたね。
読ませていただきながら、コメントも残さずすみませんでした。

今回の法案、直前まで迷っていたという議員さんも多かったという中で
A案があっさり通ってしまったのには驚きました。
どれだけの議員さんがこの問題について、両方の立場を考慮しながら
真剣に考えられたのか、疑問におもいました。
人の生死にかかわる問題だけに、もっといろいろな意見に耳を傾け
いろいろな方向からじっくりと考えてから決めていってほしいものです。

>提供者側の家族の意見をもっともっと聞いていただいて
お互いが安心して治療を受けられる医療を見つけていかないと
恐ろしい社会になってしまう

ほんとうにその通りですね。
leafさんたちの切実なおもいが、より多くの人たちに届きますように。
そして人にやさしい医療が実現していきますように。
by はるママ (2009-06-24 20:50) 

あきおパパ

はるままさん、こんばんは♪
臓器移植を前提とした脳死の問題については、私も違和感を感じてます。

以前に柳田さんの「犠牲、わが息子・脳死の11日間」という本を
読みました。
はるママさんも書かれていますが、柳田さんは息子さんを失いました。
息子さんの11日間の脳死状態おける、周囲の様子が描かれています。
最終的に柳田さんは臓器移植を承諾しますが、
親として、その決意と、一方で割り切れない気持を書かれています。

この本のなかで、柳田さんが、以下のように述べています。
「現実に脳死を人の死と認めると、日本の医療現場の現状では、タテマエのきれい事だけではすまないで、失うものも多いという危惧を抱いている。なぜなら、死にゆく物の命も、臓器移植を待つ者の命も、等価であるはずなのに、脳死・臓器移植論のなかでは、死にゆく者の命=患者・家族全体を包む精神的ないのちのかけがえのない大切さに対しては、臓器移植を待つ者の命の千分の一の顧慮も払われないからだ」(P148)

本が書かれて15年の月日が経ちましたが、臓器移植に際して、
患者の家族の気持ちに対して、どこまで配慮されるようになっているのか、
そのような話をなかなか聞くことができません。
残された家族が、さらに辛い思いをすることのないように、
十分な配慮をしてほしいと思っています。


臓器移植を待つ方の、生きたいという気持ちも尊重すべきと思いますが、
一方で、脳死移植を待つととは、他人の死を期待するとことでもあります。
それがはたして良く生きるということなのか、私には素直に賛同できません。
このことも、私が違和感を覚えている理由でもあります。


今日から「いのち」を読み始めました。最初から胸が痛む話です。
読み終わったら、また感想を書かせてくださいね。

ではまた♪
by あきおパパ (2009-06-28 23:50) 

はるママ

今回の臓器移植法改正案に関して、違和感を抱かれる方は少なくないようですね。
特に脳死状態のお子さんを育ててみえる親御さんや
柳田氏のようにかつてわが子が脳死状態に陥ったことのある方など
強い反発を感じられているようです。

>死にゆく物の命も、臓器移植を待つ者の命も、等価であるはずなのに、脳死・臓器移植論のなかでは、死にゆく者の命=患者・家族全体を包む精神的ないのちのかけがえのない大切さに対しては、臓器移植を待つ者の命の千分の一の顧慮も払われないからだ

今回の法案に違和感を覚えるのは
まず臓器移植ありきで、脳死が人の死なのかどうかという問題が
真剣に考えられてないように思えるからです。
脳死が人の死だと認めることができて、そこで初めて臓器移植を考えることになるはずなのに、なにか順番がちがう。
臓器移植が海外でも困難になってきたので、国内での移植が可能になるように急いで法案を可決したように見える。
これでは、脳死状態の人、とりわけその家族にとっては納得なんかできないでしょう。

>本が書かれて15年の月日が経ちましたが、臓器移植に際して、
患者の家族の気持ちに対して、どこまで配慮されるようになっているのか、
そのような話をなかなか聞くことができません。

この本が書かれたのは15年も前なのですね。
医療技術は進歩しても、精神面に対するケアに関しては
ほとんどかわってないということなのでしょうか。
一部の医療関係者には、患者側にたって考えてくださる良心的な方もおられるようですが、全体の方向性は15年たってもあまりかわっていないのかもしれません。

>一方で、脳死移植を待つととは、他人の死を期待するとことでもあります。
それがはたして良く生きるということなのか、私には素直に賛同できません。

このことは、池田さんも著書の中でおっしゃってみえますね。
脳死をみとめるのなら、安楽死もみとめないといけない・・というようなことをどこかに書かれてたとおもうのですが。。
私自身も臓器移植カードはもってなく、
それはどこかに移植に対する抵抗があるからなのかもしれません。
ただわが子が必要とするようなことがあったら、どうなるのか
あくまで移植を拒否するだろうかとそこのところだけは自信がありません。

「いのち」早速読み始められたのですね。
私は、まだ日野原氏と細谷氏との対談部分を読んだだけでなかなか進んでいません。
またがんばって読もうと思います。
あきおパパさんも読み終えられたら、ぜひまた感想書いてくださいね。
では、また!
by はるママ (2009-06-30 20:07) 

NO NAME

はるママさん、こんばんは♪
「いのち」を読み終えました。
患者の気持ちに配慮しようとする医師たちのことばに、心を打たれました。

特に初めに登場する細谷先生に、とても共感を覚えました。先生は小児科の特に小児がんの専門家の先生です。柳田さんとの対談では、患者の子どもに対する先生の深い愛情が感じられます。
51pの「亡くなる子どもたちのケアをするうえで、天国の存在を確信している人はうらやましいと僕は思います」という細谷先生の言葉と、
52pの「子供が死を予感したときに、死を辛いものではなく、そのむこうに天国があるというかたちで、子供のこころを安らかにしてあげる-ある意味で悟りの境地を開いてあげるこういう方法も一つの行き方だろうとと思います」という柳田さんの言葉に、つよく心を惹かれ、涙が止まりません。
自分も、死を前にした愛する人に対して、そう言ってあげられれば、そう信じさせてあげられれば、と思います。

今、細谷先生の書かれた「医師としてできることできなかったこと~川の見える病院から~」という本を読んでいます。先生が心をこめて子供たちに接している様子が伺えます。はるかさんの状況と近いので、まだお辛いかもしれませんが、献身的な先生の姿に、はるママさんも心が休まるかもしれません。もし大丈夫でしたら、一度ご覧ください。

臓器移植問題という観点からは、やはり柳田さんの言われる「二人称の死」に対する配慮の必要性を、つよく感じさせられました。
この考えが、実際の運用に反映されることを期待したいです。

ではまた♪
by NO NAME (2009-07-11 00:14) 

あきおパパ

↑名前書き忘れてしまいました。あきおパパです♪
by あきおパパ (2009-07-11 00:16) 

はるママ

あきおパパさんこんばんは。
今日は大変残念なことに、臓器移植法改正案A案が参院で可決してしまいました。
衆院で可決された後、あちこちで反対の声があがっていたので
参院では、否決されだろうとおもっていたのですが
予想を裏切って、あっさりと可決してしまいました。
衆院で可決されたとき以上の驚きです。

賛成派の中には、脳死判定は強制ではない、受けたくない人は拒否ができるのだから、問題はない。と言われる方がありますが
「脳死は人の死」と法律で決めることによっておきてくる問題は、もっと別のところにもあるのではないのでしょうか。
単に、いやならしなきゃいいというのでなく
脳死が人の死となると、脳死状態の患者さんが治療を受け続けることが
できなくなるのではないかということ。
保険もおりなくなる・・病院も治療を積極的にしなくなる・・
あるいは世間からの無言の圧力がかかる・・
そういったことがおこってくるのではないでしょうか。
そういうことまで議員さんたちがちゃんと考えて決めたのかどうかとても疑問です。

この記事を書いてから知ったのですが、柳田さんは、厚生労働省の「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」のメンバーのお一人なのだそうですね。
そして、7月2日に参院の厚生労働委員会の参考人として質疑応答されていたそうですが、思いは伝わらなかったようで残念です。。


「いのち」読み終えられたのですね。
私は、もう少しで最終章にはいるところです。
あとから読み始められたあきおパパさんにすっかり追い越されてしまいました(^^;)

細谷亮太先生は、医師としても人としても尊敬するお一人です。(このブログでもどこかに細谷先生のことを書いてたとおもいます・・)
「川の見える病院」も、数年前に読んだことがあります。
あきおパパさんがおっしゃってみえるように、細谷先生は
子どもたちひとりひとりのことを、真剣に考え深い愛情をもって接してみえる
とてもすばらしいお医者さまだとおもいます。
ちょっと前にNHKの特集番組にも出演されていました(再放送でしたが・・)
TVのなかの細谷先生は、本で読んだときの印象そのままの、あたたかい心の持ち主であり
世の中の医師がみな細谷先生のような医師ばかりだったらどんなにかいいのにとおもいました。

あれこれとりとめなく書いているうちに、長くなってしまいました。
では、また!

PS.ブログ、ご紹介くださってありがとうございました。
お気遣いくださったようですが、このブログも重いという点では
あきおパパさんのブログには負けてませんから(苦笑)
どうぞ気になさらないでくださいね。
あきおパパさんのブログにも、コメントさせてもらっていいでしょうか?
by はるママ (2009-07-13 18:58) 

あきおパパ

はるママさん、こんばんは、お返事ありがとうございます♪

細谷先生の「川の見える病院」は、すでに読まれていたのですね。
余計なおせっかいをしてしまったかも知れないと心配していたのですが、
もうご覧になられていたと知り、ちょっと安心しました。
この本は、心に深くのこる、とても良い本だと思います。

さて、ブログの件は、コメントをいただければ、とても嬉しいです。
明るい話題でなくて恐縮ですが、遠慮なくお書きください。

私のブログにコメントをくださる川西先生というお医者様が、
心から患者さんを気遣ってくれる素晴らしいお医者さんなんです。
仲間うちでは、観音様が人の姿をしていると噂しています。

ではまた♪
by あきおパパ (2009-07-13 20:36) 

E・G

はるママさん
ちょっと時間差はあったけれど、同じ考えの方が身近にいてうれしく思いました。
ほんとうは自分の娘のことなどダシに使いたくなかったのですが(いままで娘のことを書いたことはありません)、問題の、重さに少しでも拮抗するには、第三者的な立場で書くのではなく、自分に即して書かなければなりませんでした。後から気が重くなっていたところへ、はるママさんに好意的コメントをしてもらい、ほんとうにホッとしました^^
たしか、池田晶子さんも臓器移植には”存在”の視点から厳しい見方をされていましたね。この世界には個々に様々な問題がありますが、やはり根本的、普遍的な場所へと深く降りてから、個々の問題を考えるというのが、正しい方法なのだと気づかされました。

by E・G (2009-07-22 22:02) 

はるママ

E・Gさん
社会の風潮や、その中で決められていくことなどに対して、おかしいと思うことが度重なると、自分のほうがおかしくなってしまったのだろうかと、つい不安になったりします。
でも、このように、自分のおもいや考えに対してみなさんから好意的なコメントをいただいたり、同じおもいで書かれた文章などに出合ったりすると、ホッとしたり嬉しくなったりします。
だから、E・Gさんのブログの文章を読んだときも嬉しくなって、一瞬の躊躇はあったものの気がついたら、コメントを書きこんでいました。

つい最近池田さんの「死とは何か」を読んだのですが
この中で、池田さんも人称による死の違いについて言及されています。
そして、「生死の境目というものは、非常に不明瞭なもので、わからないもの」とも述べられ、脳死問題云々についても、「わからないからこれをもって死とする、ということにする、という取り決めにすぎないということがはっきりわかってくる。」というようなことをおっしゃってみえます。
今回の「脳死は人の死である」、法案も、まさにそういうことにする
と取り決められてしまったことなのですね。
池田さんが生きていらしたら、なんとおっしゃったことでしょうか。
by はるママ (2009-07-24 11:22) 

はるママ

柳田邦男氏の「犠牲 サクリファイス わが息子・脳死の11日」を読みました。
実は前回の「いのち 8人の医師との対話」が、柳田氏の著書を読んだ最初でした。
脳死問題、臓器移植問題を考えるのならば、こちらの本を先に読んだ方が、むしろよかったのかもしれません。
ただ、これらの問題に対する柳田氏の考えは、「いのち・・・」の本でも十分に知ることができたとおもいます。
今回のこの「犠牲・・」では、このような考えに至った柳田氏の親としてのおもいが、切々と、且つ克明に綴られており、読んでいて、なんとも表現できないようなおもいにかられ心が激しく揺れました。
中学高校とわが子が心を病んでいたことに気付かなかったと
さらにその後の6年間も、一番身近にいながら助けてあげることができなかったと自責の念にかられる父
亡くなった洋二郎さんが書き残した日記や短編作品のあちこちに刻み込まれた日々の苦悩
洋二郎さんは、あまりにも心優しく、繊細でかつまた純粋で
それ故に、この世界で生き続けることができなかったのでしょうか。
ああ、そういえば、わが娘晴香も純粋すぎるくらい純粋な子だったなぁ
と突然にわが事におもいが過ったり・・(もちろん亡くなった原因も子どもの性格もまったくちがうけど。)
そんなことをおもいながら読んでいたら、胸がつまりそうになってしまいました。

受け止めるにはとても重い内容ではありますが
柳田氏がおっしゃる2人称の視点がどのような経験から生まれてきたのかを知るためにも、人間の人としての「命とは死とは」を考えるためにも、これは必読の書だとおもいます。
by はるママ (2009-08-07 22:20) 

あきおパパ

はるママさん、こんにちは♪
「犠牲・・・」を読まれた感想、ありがとうございます。
臓器移植を議論する際は、とかく移植を望む側の声が優先されますが、
それを基本的に支える、提供者側の声は取り上げられません。
脳死や臓器移植を真剣に考えるのなら、ぜひ読んで欲しい本だと思います。

さて、胸がつまりそうとお聞きすると、申し訳ないような気がします。
でも、そうやって晴香さんを思い出すことも、大切なことなのでしょう。
元気で明るく楽しい晴香さんをたくさん思い出して、
できれば、つらい思い出を上書きしてもらえればよいのですが。

はるママさんに「いのち」を紹介していただいたおかげで、
細谷先生の「川の見える病院から」、
山崎先生の「病院で死ぬということ」とその続編、
その他、沢山の素晴らしい本に出会うことができました。
はるママさんに出会えたことに、とても感謝しています。

ではまた♪
by あきおパパ (2009-08-08 14:52) 

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